« 2023年2月 | トップページ | 2023年4月 »

2023年3月31日 (金)

民主主義はそのまま共産主義

誰でもケアされ、ケアを与えるものであることで平等だということに民主主義(demos 細民のcracy支配)の基礎というか目標をおくとすれば、その原則は「能力に応じてケアを与え(生産し)、必要に応じてケアを受ける(消費する)」ということになる。それはケアの持つ特質によってそれ以外はないからである。

政治はその原則を実現するためにある。
こうしてケアに注目すれば政治に対する眼差しは一変する。現存の政治は支配そのものであり、ケアとは無縁あるいは敵対物だ。

また、この原則に役立つという条件でのみ不平等は容認される。
例えば、ケアを多く与えているものは休暇や収入が多いとか、ケアに関わる学習環境を優先的に保障されるとか。

ケアに対する責任に能力による不平等を認めることが、権利の平等になる。

こうして民主主義はそのまま共産主義だ。
歴史的に「共産主義」と言えない国では「ケアの倫理」と言い換える。

| | コメント (0)

2023年3月28日 (火)

第29回山口民医連「元気の出る看護介護症例検討会」あいさつ

第29回山口民医連「元気の出る看護介護症例検討会」にご参加の皆さん、土曜日の午後にもかかわらず熱心にご参加いただきご苦労さまです。県連会長としてのご挨拶を申し上げます。
今日は何を話そうか、大変迷いましたが、その説明のために映画を2つ取り上げたいと思います。一つは門脇麦と水原希子が主演した「あのこは貴族」2021年です。
東京はお互いに出会うことがない上下の階層にくっきり分かれているという認識のもとに、結婚することに自己実現をかけている上層の門脇麦と、地方出身で学費の仕送りが途絶えて大学を中退しながら、挫折の末に起業して生きていこうとする下層の水原希子が、ある偶然で交錯するという話です。門脇麦のほうが水原希子に影響されてその階層から離れていこうとするのがエンディングです。その影響は「結局どの身分に生まれようとも、最高の日もあれば最低な日もある。大事なのは嬉しいことも悲しいことも素直に話せる相手がいることじゃない?」という水原希子の語りです。
少し僕が話すには似合わない感じがありますが。
もう一つは「ちひろさん」という映画です。有村架純が主演で、Netflixで今年の2月23日から公開というものですから、見た人は少ないかもしれません。しかし、大きな話題にはなっています。
あらすじは話さないほうがいいと思いますが、他者にこころおきなく依存できることの大切さと、そのことの中に埋没してしまうのでなく、いったん他者から離れて自立して、そこからもう一度人間のつながりの意味を見つめ直す必要性に着目した話だとは言えるのではないかと思います。
この2つの映画に共通するものを表現する言葉を探すと「シスターフッド」かもしれません。立場の違った女性同士の助け合いという意味です。
自分でもわかりにくいと思う以上の話から何を言いたかったかというと、実はこれからの民医連にとって何が大切かという話です。
人々が貧困や差別で生命や健康を失うことをなくすため「公正、平等な社会を作りたい」と思ってこれまで何十年とやってきたのですが、その目標への近づき方において、なにか大事なアプローチ法を忘れていた、それが言い過ぎなら、ある大事なことをあまり重視しないで来たという発見を話してみたかったということになります。
つまり、目の前にいる人、患者、利用者、同僚、家族全部含まれますが、その人達の苦しみ、悲しみを、「物語」として深いところで理解して惜しみなく支援する、そのためには「経常利益」や職種の守備範囲とみなされているものに制限されない、求められる依存関係に思い切って応えるという気概のアプローチがないと実は前に進めなくなっているのではないかという気づきです。
いま焦点の難しい言葉でいうと「ケアの倫理」を十分に発展させてこなかったところに、僕たちが情勢を切り開けない壁があるのではないかと思います。
そういう意味ではこの「元気の出る看護介護症例検討会」こそ、そのことへのヒントがいっぱい詰まった企画だったのだと思い直しています。ということで、今日は心して皆さんの発表演題を傾聴したいということをお話して私の挨拶とします。
よろしくお願いします。

| | コメント (0)

2023年3月22日 (水)

2023.3.22  山口民医連理事会挨拶

今年度最後の理事会になりましたが、異様な暖かさで桜も史上最も早い開花となりました。今年の水害、台風がどうなるのか心配です。気温上昇対策に失敗している今、災害の激しさは年々増して行くと覚悟しておかなければなりません。

もちろん、南海トラフ大地震の切迫、原発再稼働・延長・新設による危険、台湾をめぐる軍事的緊張は気候災害と同時、相乗的に私たち国民の被害を拡大しますので常に注意を払っておかなければならないものです。今日は広島湾で初めて行われた米軍自衛隊合同演習の模様など身近になってきた軍事的緊張について、岩国の吉岡さんからお話しいただきます。

新型コロナ対策は特に山口など高齢化率の高い人口減少地方で猛威を奮った7波、8波の経験を踏まえて、5月8日以降の感染症法取り扱い変更後の政策要求をまとめることが急務になっています。病院は2回の留め置きクラスターを経験し、クラスター以後も数えると10人前後の死亡者を出しました。在宅介護の経験はもっと悲惨で「地域に留め置かれた」人はまさに放置されました。この経験を振り返り、自治体や業界団体と、広く認識を共有することが、5月以降の対策に直結します。雑誌や新聞などの資料も添付していますが、後で議題としていますので、熱心な討議をお願いします。

民医連の理念問題では、第二回評議員会で取り上げられた「ケアの倫理」について深めようといく動きが注目されます。

「ケアの倫理」は「正義の倫理」にならぶ私達の行動規範です。
正義の倫理は「公正」とも言いかえることができ、介護労働者の低賃金と劣悪待遇は直ちに一般労働者並みに是正されるべきだという主張は正義の倫理に基づくものです。また誰しもSDHの重圧から脱して健康に生きることが可能にならなければならないというのも典型的な正義の倫理です。

いっぽう「ケアの倫理」は互いに依存する以外にない人間関係の規範で、一言で言えば「人は能力に応じてケアを提供する責任があり、必要に応じてケアを受ける権利がある」ことの実現を目標とします。特にケアを提供するものも、受け取るものも社会的に脆弱になるという認識が必要で、社会は両者に必要十分な配慮をしなければなりません。

ケアの倫理が女性差別の中で女性により育まれたことから見て、ケアの倫理の確立と女性差別の解消が密接に関連していることは明らかです。特に男性がケアの倫理を規範として行動することがケアの倫理の確立に通じます。

また古い正義の倫理でケアの倫理を攻撃しないことも重要です。
固定された職種の業務範囲にケアの提供を縛ろうとするために様々な軋轢や配慮不足が生まれようとしています。
アウトリーチしてホームレスの足浴に行くことが職種の則を超えていると批判された例などが報告されています。

ケアの倫理は私達にとってまだ新しい認識ですが、そのインパクトはSDH認識が果たしたもの以上があるように思えますので、注目をお願いしたいと思います。

| | コメント (0)

2023年3月18日 (土)

むき出しの支配から正義の倫理による支配の時代へ、さらにそこを超えてケアの倫理の時代へ

正義の倫理は救済にも統制にも使わわれるが、結局は政治や統治のためのものと言ってよい。

医師の役割はここまで、医療の役割はここまでと限界を定め、自らはその限界の遥かに遠く小さく縮こまり、超える他人は目ざとく攻撃するとき使用されるのも正義の倫理である。

「こういう限度をわきまえない困窮者支援に、法人は給料を払っているつもりはない、そのための残業も認めない」という言い草もその類(たぐい)だろう。

ケアの倫理はそれに抗(あらが)うためにあると言ってもよい。
簡単にいうと「能力に応じて与え、必要に応じて受け取る」のがケアなのだ。
今ここにあるコミュニズム。

哲学者 鈴木 茂が「巨視的に見れば人類史は、共同的社会性という人間の本性の成熟してゆく過程にほかならない」と言ったのは、ケアの倫理が正義の倫理に置き換わっていくということだったのかもしれない。

むき出しの支配から正義の倫理による支配の時代へ、さらにそこを超えて(この境界部分に後期マルクス、ロールズ、センやマーモットがいる)、ケアの倫理の時代へということ。

| | コメント (0)

2023年3月17日 (金)

「贈与と互酬」と「ケアの倫理」

女性が政治の場から排除され家事労働や家族の世話を押し付けられる中で、発達させてきたものの考え方や行動様式がある。人と人の関わりを大切にして、相互援助(贈与と互酬)を基本にした生き方と言ってもよい。最近では女同士の助け合いsisterhood として描かれることも多い。これが「ケアの倫理」というもので、男女を問わず社会の基礎となる規範、より深く研究され学ばれて人類全体のものとすべきものである。
この際に女性差別を「ケアの倫理」と引き換えの形で肯定することなく、女性差別の解消とともに新たな倫理規範として確立して行くことが重要である。

ジェンダー差別解消とは、女性の政治・社会地位の平等を求める「正義の倫理」の発展だけでなく、女性が歴史の中で育ててきた孤独をなくし平等に生きるための「ケアの倫理」の共有ということである。

| | コメント (0)

SDHから「ケアの倫理」へ

患者中心の医療がフェミニズムの中にある「ケアの倫理」の具体化だということは、多くの人が意識してこなかったことではないだろうか。

SDH概念を男性優位の中で形成された「正義の倫理」の範疇にあるものとすれば、
患者中心の医療PCMは女性が育んできた「ケアの理念」つまり依存と共生の理念の中にある。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2012/10/2-introduction-.html

もうどちらも目新しいものではないが、、必要なのは枠組みの変化の中で両者を区別し、新しい形で統合することである。

| | コメント (0)

川本隆史さんの講演の結論は?

昨夜の川本隆史さんの講演は、聴衆が医療・介護従事者として具体的なケア労働の真ん中にいたとしても、抽象的な「ケアの倫理」に理論的に触れたことのない人には少し難しいものだったかもしれない。
そして核心的主張は、最後に極めて精緻に練り上げられたものとして提示されたので、さらにわかりにくい感じがあったかもしれない。

つまり、「ケアの倫理」には ケアのケアのありかた、背景、目的を示す『ケアリング・デモクラシー・インテグリティ」の3要素がある。
 1:ケアリングは能動態(ケアする主体)/受動態(ケアされる客体)の主客二元論ではカバーし切れない中動態〔國分2017〕として存在する。

2:ケアされること、ケアすること双方の脆弱性は誰にでも訪れることであり、その意味でデモクラティックなものである。
デモクラシーが、戦前のアナキスト石川三四郎が言ったように最も小さい者demosの支配cracy 、つまり細民の共生だとすれば、ケアの本質はそういうデモクラシーである。

3:個人のインテグリティとは「他者が触れてはいけないものとしての個人の私的領域の統合」という意味である。それを守ることが実はケアリングが実現すべきことの核である。「あなたのやり方」でということ。

| | コメント (0)

成長時の悩みには普遍的に2軸ある

わけのわからないことを書き付けている場合はたいてい読書メモです。

「他者と一緒にありつつも独立した自分でいられるかどうか」つまり依存と自立が両立できない悩みは映画「ちひろさん」でも直接的に取り上げられていたが、別に女性の成長に限った悩みではないだろう。
今の、あるいは一昔前の性別役割の強制の中では、たしかに女性に顕著に現れる悩みではあるが、男性も悩みとするところだ。
男性だって「正義の規範を他者への愛着のため守れない自己不全感」つまり義理と人情の板挟みだけで悩んでいるわけではないし、そういう悩みは女性と無縁であるわけがない。

つまり、成長時の悩みには普遍的に2軸あるということ。
他者につながるからこそ自分を確立できる(社会から非難されても他者の求めに応えることを道徳的命令とする)という軸、他者を切り離せるからこそつながりを認識できる(他者を切り捨てても公正という社会的規範に応じることを道徳的命令とする)という軸。
発見はこの2軸が相矛盾しながらもお互いに相手を前提にして、循環しているということ。

| | コメント (0)

ケアの倫理と「各人はその能力に応じて与え、各人はその必要に応じて受け取る」

性たちが不当なジェンダー差別の中で育んで来た「ケアの倫理」。

その中に、「各人はその能力に応じて与え、各人はその必要に応じて受け取る」というコミュニズムが存在する。

つまり生産力の無限の発展の向こうに共産主義があるのでなく、コミュニズムはいつの時代にも私たちの立つ地面にいた。言語と一緒に。

ケアの倫理はそのように人類がまず到達すべき普遍的な目標となる。正義の倫理と螺旋を作りながら。

| | コメント (0)

「多様性」の落とし穴

おそらく誰も疑問を持たないLGBと、それとは質を異にして意見が割れるTQを並べて「多様性」でくくる議論の粗さを誰も気にしないのだろうか?
ここでは「多様性」が思考停止の言い換えになっているのではないか。

| | コメント (0)

SDHの次のキーコンセプト

昨夜は川本隆史さんの全日本民医連での講演、2時間をじっくり聞いた。
テーマは「ケアの倫理」。http://fuko.co.jp/catalog_2020/books_data/fuko_books_038.html
考えてみると、SDH概念はセンの影響下に形成されたものとは言え、まだ男性優位世界で生まれた「正義の倫理」の一部分にとどまっている。
この講演会が、SDHの次のキーコンセプトを獲得する画期になってほしい。




| | コメント (0)

2023年3月12日 (日)

山口民医連の特徴と未来

山口民医連の特徴と未来を短い挨拶で紹介するとどうなるだろうか。
まずは特徴
1:限界を乗り超えた生活支援を「ケアの倫理」に基づいて実践している
2:SDHへの視点を実装している
3:家庭医療学の蓄積(患者中心の医療)から学ぼうとしている

次に未来は
A:地域主権の推進者である
B:労働者協同組合運動の一翼を担い労働者階級像を一新する

| | コメント (0)

2023年3月 6日 (月)

柄谷の予言は正しいのか

今は共産主義・コミュニズムが歴史から強制されている時代である。

つまりA国民、B国家、C資本が三位一体として強く結合している社会構成体、つまり(=を強い結合を表す記号だとして)A=B=Cという一見揺らぐことのない社会構成体が爆破されて、Aが国民というAの偽物から共産主義・コミュニズムつまりDに置き換えられる社会構成体に変わる以外に人類の生存がない時代。D>>B=Cとも表現される。

ではどのようにしてA=B=Cが爆破されるのか。
それは戦争に他ならないというのが柄谷行人。

その戦争の後、人類は憲法9条や国連を今度こそ自覚的・意識的にもう一度選び直すだろうという予言である。
まさに今ウクライナにその予言の実現の萌芽が見られるという訳である。

いや、そうだとしたら共産主義・コミュニズムの意義はないのではないか。
予言の実現としての戦争を破綻させることとA=B=Cの爆破を一致させるようなヘゲモニー(規範統合)のあり方を現実に探さなくてはならない。

それがケアの倫理、正義の倫理、エコ倫理を統合する地域主権主義ではないだろうか。

| | コメント (0)

2023年3月 4日 (土)

3つの軸

私達の行動を律する3つの軸があるように思える。
一つは人類特有の数とされる150人以下の共同体における「ケアの倫理」、
もう一つは、共同体を超えたところで働く「正義の倫理」、
最後に自然との物質代謝を律する「生存の倫理(仮)」

地域主権はこの3つを一体のものとして考えないと構想できないものだ。

| | コメント (0)

« 2023年2月 | トップページ | 2023年4月 »