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2023年1月 4日 (水)

秋川雅弘さんのこと

最近も、鉱山研究が専門だったという元工学部教授の胸部CTに典型的な石綿肺の像を認めた。およそじん肺には無縁と思われている大学教員の中にもこういう事態が広がっているのか。
いま少し手が止まってる石綿関連疾患発掘も根気よく続けなければいけないと改めて思う。もう重くなりすぎた荷にも感じられるのだが。

全日自労の地方支部の役員という肩書きで秋川雅弘さんが私の前に現れたのは1990年頃である。トンネル工事の出稼ぎ農民のじん肺と振動障害の診療をしてくれないかという話だった。全国に延びた新幹線、高速道路の長大トンネル工事が急増していたころである。いま検索してみると秋川さんは「あすの農村」という共産党の雑誌の1987年5月号に『産業"空洞化"のなかで進む農村労働者の組織化』という記事を寄せている。
四国山地ほどではないが、谷の深い西中国山地で一軒一軒訪ね歩き、暗い屋根の下で人知れずじん肺に苦しむ人を探す苦労を想像して、ためらいながら承諾した。

全く知らなかったじん肺の診断を学ぶため、県庁を通せば研修の門戸を全国に開いていた国立の専門病院「珪肺労災病院」に出かけた。栃木県にあるこの病院は主として足尾銅山の鉱夫を対象として1949年スタートし1951年全国の研修センターとなった。突然のように廃止されたのは2006年である。このとき、冬のシーズンオフを利用して病院が準備してくれた鬼怒川温泉の大型旅館は僕の長い出張史の中でも最悪の部類だったが、いまは廃業しているだろう。

島根・広島・山口各地から秋川さんが紹介してくる重症者の労災認定・診療を積み重ねるうちに、トンネルじん肺以外のケースを自力で発見するようにもなった。山陽小野田の中小炭鉱労働者の珪肺患者はある集落の外れ近くに集まって診断もされずひっそり暮らしていた。珪肺の発生はないと言われていた宇部興産炭鉱労働者の中にも患者はいた。その第一号が労働者詩人で宇部市議の花田克己さんだった。下関の三菱重工造船所の下請け労働者の石綿関連疾患も集まった。

長く経過を追っていると自分なりの発見もある。初診時に検査するKL-6というマーカーが画像とは別に予後に深く関わっていた。また、じん肺患者は肺癌以外の全身の癌の発症も2倍位多い。それを小さな集会で発表したが反響は全くなかったので、ごく当然の話として済まされることだったのだろう。

いま珪肺は新発生が少なくなってきて高齢の患者さんも年を追うごとに亡くなっていく。数年前、久しぶりに秋川さんに会うと 彼も年老いて車椅子に乗って現れた。30年前この人が僕の前に現れなければ、それに続く過労死労災認定、働くもののいのちと健康の地方センターの設立、全日本民医連での「健康の社会的決定要因」概念普及、ロールズやセンのリベラル平等主義と民医連理念の接合などの僕の仕事はなかったのである。

リニューアル前の宇部協立病院の暗い待合室で執拗に面会を求めて来た小柄だが鋭い眼光、説得的な愛媛弁の口調が特徴的な人と立ったまま話を続けた夕方をたまに思い出す。

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