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2023年1月31日 (火)

正義の倫理とケアの倫理

民医連の文書でも、「ジェンダー平等=LGBTQの人々の人権尊重」という等式が成立しているように読み取れる記述になっている。女性差別の解消がジェンダー問題の根源と正しく書いているところもあるが。

男性中心に発展してきた政治哲学「正義の倫理」=自由権的人権と、女性が育ててきた「ケアの倫理」=平等・社会権的人権を接合して、両者をジェンダーから解放することを民医連が自らの課題とするのは、健康の社会的決定要因(SDH)の背景になる政治哲学を川本隆史先生に教えられながら僕もずっと考えてきたことなので喜ばしい。

考えれば、マルクスやロールズやセンも「正義の倫理」の中に「ケアの倫理」を織り込もうと努力した人だったのだ。コミュニズムや格差原理やケイパビリティ・アプローチなど。

先日の非営利・協同総合研究所「いのちとくらし」の理事会で都留文科大学の後藤道夫先生が、日本は左派を含め自由を追求することに偏り、誰も平等を真剣に考えてこなかったと発言されたのはこのことだろう。

実践としては相談活動が、まさに平等を求める「アウトリーチするケアの倫理」の実践だ。後藤先生はだいぶ前に「相談活動しない中間組織はだめになる。労働組合でもなんでも」と言われていた。

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2023年1月27日 (金)

ケアを中心にしたコミュニティ(政治)の確立


ケアを中心にしたコミュニティ(政治)の確立とは「ケアの倫理」と「正義の倫理」の接合だ。

それはミュニシパリズム、地域主権政治、FEC自給圏、脱成長コミュニズムにも一致する。

マルクス、ロールズ、センを学ぶだけではなく、キャロル・ギリガン、ジョアン・トロント、エヴァ・フェダー・キティ、ファビエンヌ・ブルジェールを学ばなくてはならないのはそのためである。
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「二重の戦略」

女性がケアにおいて発見しながら無視されてきたものにもっと注目せよ、それは人類の未来を救済するものになるだろう ということと
女性にのみ歪んだケアを一方的に押し付けてきた社会自体を解消せよ ということを両立させなくてはならない。是枝裕和監督のNetflixドラマを見終わっての感想。

それにしても旧社会の価値観から自由になるうえでのsisterhoodの重要性を描く作品が最近は多い。「あのこは貴族」とかも。
Netflixシリーズ「舞妓さんちのまかないさん」公式サイト

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2023年1月25日 (水)

国家権力を握って上から資本家を統制することなしに本当に世の中が変わるのかという不安

ミニュシパリズムは素晴らしい。市民が直接的な主人公となって自治体を舞台に世界を変えていく。
しかし、国家権力を握って上から資本家を統制することなしに本当に世の中が変わるのかという不安は常につきまとう。ある時までのマルクスはそう考えていた。少なくとも「共産党宣言」の頃は。
世界でもその問題を考える人はいるらしく、今日届いたアーロン・ベナナフ「オートメーションと労働の未来」はそれを扱っているらしい。題名とどう結びつくか、読まないとわからない。
しかし、国家主権・資本主権はもはや世界を統治できなくなっているのは以下の引用のように明らかである。
写真の説明はありません。

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国家主権・資本主権から地方主権へと主戦場は変わった


岸本聡子「地域主権という希望」から。ここでも注目すべきなのは、論じられているのは普通の地方自治の問題を超えて、国家主権、「資本主権」と対峙し、それらを乗り越えて行く「地方主権」だということである。
2000年施行の地方分権一括法で国家と地方が対等になったことを実質化する議論と言って良い。

暮らしや産業のことは地方が自主的に決めて行くとなれば、国家はそれら地方の協同事務、つまり外交、防衛、各種制度や通貨の管理を任される補助的存在になるだろう。

そうなれば、国政で勝利して幹部議員集団による上からの改革を行うことが全てに優先するというタイプの政党は不要になり、違う政党形態が模索されるはずである。
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2023年1月23日 (月)

人口5000人-10000人あたりに1箇所くらいの地域医療志向で在宅医療もする救急告示中小病院

いわゆるマイナー科の開業医ワンセットと人口5000人-10000人あたりに1箇所くらいの地域医療志向で在宅医療もする救急告示中小病院(+サテライト診療所1,2箇所)が一つのユニットとして満遍なくあれば地域住民にとっては一番良い。
何十年も前からそう考えて、診療所を病院に拡大して維持して来たのだが、その病院が最も存続困難なモデルになるのでは、憤死するなぁ。

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今の時代の若月俊一をたくさん作りたい

かっての民医連中小病院の内科医師養成のありかたを今の制度に落とし込むとこんなふうになる。

初期研修2年ー病院のレギュラーメンバーとして制度外のサブスペシャルティ研修数年あるいは短期の診療所長(例えば上下内視鏡ができるまで、全身のCT・MRI読影がある程度できるまで、一人外来と訪問診療ができるまで)ー総合診療「専門医」の制度的研修(専攻医)ー病院幹部医師あるいは長期の診療所長/サブスペシャルティの制度的研修(院外)

制度外のサブスペシャルティ研修数年や若い診療所長の医療行為が社会的に許容されるかどうかが少し心配だが、僕などからみると今でも民医連に腰を落ち着けてこんなふうに育ってくれると安心できる。
そうすると地域の医療だけでなく、地域の生活全体に関わろうとする、FEC自給圏の実現を自分の課題にしようとする医師ができるだろう。
今の時代の若月俊一をたくさん作りたい。

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2023年1月21日 (土)

全ての病院が福祉避難所を引き受けなければならない






1月19日
全ての病院が福祉避難所を引き受けて、その連絡会でつながることくらいしないと、地域の真ん中で医療が災害に立ち向かうという態勢はできないのではないか、ということを宇部市の担当者との懇談で伝えておいた。




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中井久夫「災害がほんとうに襲ったとき」

コロナ事態は気候危機による全人類的危機の第何波かだったと、後世に総括されるだろう。
つまり、これ以上の災害がこれから何度も繰り返しやって来るので、常に今以上の備えが必要となって来るということ。
今日 土曜日午後いっぱい、民医連の中四国協議会の企画に参加したが、コロナ禍の中で中井久夫「災害がほんとうに襲ったとき」みすず書房を読もうとするのは、今回のコロナ事態が総体としてみれば、1995阪神大震災、2011東日本大震災に匹敵する大災害だったという認識の現れなのだと改って思った。そのつもりで正面から教訓を汲み取らないといけない。

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「組織の内部問題は内部で解決する」という規範はどの範囲で有効か

改めて「組織の内部問題は内部で解決する」という規範はどの範囲で有効かということを考えた。
まず組織幹部の犯罪については範囲外だろう。パワハラもセクハラもそれと同等だ。告発者を罰するようなことがあってはならない。
判断が難しいと思うのは、圧倒的な力関係で少数意見が無視され続ける場合である。そういうとき規範は絶えず違反される

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患者中心の医療の今

明け方、5人担当している重症急性心不全の患者さんのうち比較的若い人を失った。0度近い気温の中を自転車で帰宅してあまり間もなかったので、当直医に診断書交付など任せた。
20年以上の閉じこもりの二人世帯、80-50問題のさなかにあるだろうお母さんとは一度も会わず仕舞いだった。老いたお母さんがどんな様子であったかは数時間後、深夜勤務明けの看護師に聞くことになった。

厳寒のこの時期、救急車の中で重症心不全が占める割合も増え、病棟診療の負荷も大きくなっている気がするが、自分の加齢などもあって最近こういう不全感の残る終わり方が多い。

医療態勢の崩壊は言われて久しいが、医療の中身、つまり問診・触診・対話・モーニングケアも深刻に失われているのではないか。

患者の実像なしに電カルの上でゲームのように検査と治療が進行していく、ナースと解離して医師がロボット化する事態が進んでいるとも言える。総合診療を掲げながら、患者中心の医療は30年分くらい一気に後退しているのではないか。

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2023年1月 4日 (水)

朝日健二さんのこと

宇部から萩に行く道の途中に長登銅山(美祢市)がある。奈良時代の東大寺大仏に使われた銅の産地として有名である。小林健二、後に朝日 茂さんの養子となって人権裁判・朝日訴訟を継承した朝日健二さんはそこで生まれた。
二〇一五年九月一八日の夜、東京都清瀬市の朝日さんの自宅で、ベッドの上にいる彼と三〇年ぶりの再会を果たした。地元の民医連診療所が患者の朝日さん自身の提案で在宅緩和医療を開始し、その担当となった友人の医師が取り計らってくれたのである。ビデオカメラが設置されていた。
 その診療所は常勤の医師もなく停滞していたが、朝日さんの突然の申し込みに困惑しながら受け入れることで、最期まで寄り添う在宅医療を自らの特徴とするよう大きく変わろうとしていた。
そういう「患者の力」について僕が語ると、「そんな特別のものではなくて、あの時も今も私が困っていたからお願いしただけで、全部先生方のおかげです」と恥ずかしそうに答えた。
 あの時というのは一九八六年のある日、宇部の病院に勤務しながら小野田診療所の所長も兼ねていた僕のところに颯爽とした朝日さんが急に現れて、旧山陽町渡場に住む母の訪問診療を申し込んだ時のことである。病院救急医療に没頭して診療所の在宅医療に関心を持てないでいた僕が渋ると、彼は「それは理解できます。しかし、今年から自力で通院できない患者への定期往診が訪問診療という名前で制度化されたのはご存知ですか」と東京保険医協会事務局次長らしい明晰さで説明した。つまり訪問診療を受けるのは患者の権利の問題であることが瞬時にわかって、僕は意向を撤回した。
 そのつもりで診療所周辺を見渡すと訪問診療の対象者がたくさんいた。それまでは支援を求めていた人が目の前にいても見えなかったのである。次第に増えた二十人以上の在宅患者さんを抱え、併せて訪問看護も始めるようになると、苦しかった経営も一気に改善した。朝日さんこそ東京と山口、二つの診療所の恩人だった。
 痰が絡んで息の苦しそうな中から、その日のまとめとして「地域包括ケアが憲法二五条に沿って大きく発展してほしい」という言葉を聴き取って僕の短い訪問は終わった。
 朝日健二さんが亡くなったのはちょうどその一ヶ月後、二〇一五年十月一七日だった。

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秋川雅弘さんのこと

最近も、鉱山研究が専門だったという元工学部教授の胸部CTに典型的な石綿肺の像を認めた。およそじん肺には無縁と思われている大学教員の中にもこういう事態が広がっているのか。
いま少し手が止まってる石綿関連疾患発掘も根気よく続けなければいけないと改めて思う。もう重くなりすぎた荷にも感じられるのだが。

全日自労の地方支部の役員という肩書きで秋川雅弘さんが私の前に現れたのは1990年頃である。トンネル工事の出稼ぎ農民のじん肺と振動障害の診療をしてくれないかという話だった。全国に延びた新幹線、高速道路の長大トンネル工事が急増していたころである。いま検索してみると秋川さんは「あすの農村」という共産党の雑誌の1987年5月号に『産業"空洞化"のなかで進む農村労働者の組織化』という記事を寄せている。
四国山地ほどではないが、谷の深い西中国山地で一軒一軒訪ね歩き、暗い屋根の下で人知れずじん肺に苦しむ人を探す苦労を想像して、ためらいながら承諾した。

全く知らなかったじん肺の診断を学ぶため、県庁を通せば研修の門戸を全国に開いていた国立の専門病院「珪肺労災病院」に出かけた。栃木県にあるこの病院は主として足尾銅山の鉱夫を対象として1949年スタートし1951年全国の研修センターとなった。突然のように廃止されたのは2006年である。このとき、冬のシーズンオフを利用して病院が準備してくれた鬼怒川温泉の大型旅館は僕の長い出張史の中でも最悪の部類だったが、いまは廃業しているだろう。

島根・広島・山口各地から秋川さんが紹介してくる重症者の労災認定・診療を積み重ねるうちに、トンネルじん肺以外のケースを自力で発見するようにもなった。山陽小野田の中小炭鉱労働者の珪肺患者はある集落の外れ近くに集まって診断もされずひっそり暮らしていた。珪肺の発生はないと言われていた宇部興産炭鉱労働者の中にも患者はいた。その第一号が労働者詩人で宇部市議の花田克己さんだった。下関の三菱重工造船所の下請け労働者の石綿関連疾患も集まった。

長く経過を追っていると自分なりの発見もある。初診時に検査するKL-6というマーカーが画像とは別に予後に深く関わっていた。また、じん肺患者は肺癌以外の全身の癌の発症も2倍位多い。それを小さな集会で発表したが反響は全くなかったので、ごく当然の話として済まされることだったのだろう。

いま珪肺は新発生が少なくなってきて高齢の患者さんも年を追うごとに亡くなっていく。数年前、久しぶりに秋川さんに会うと 彼も年老いて車椅子に乗って現れた。30年前この人が僕の前に現れなければ、それに続く過労死労災認定、働くもののいのちと健康の地方センターの設立、全日本民医連での「健康の社会的決定要因」概念普及、ロールズやセンのリベラル平等主義と民医連理念の接合などの僕の仕事はなかったのである。

リニューアル前の宇部協立病院の暗い待合室で執拗に面会を求めて来た小柄だが鋭い眼光、説得的な愛媛弁の口調が特徴的な人と立ったまま話を続けた夕方をたまに思い出す。

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焦りは二度ある

病棟での担当患者数が急に増えたうえに、そのうちの誰かが危なくなる、あるいは病棟の傍らやっている外来が混雑するときは焦りを生じる。
視野が狭くなり事故を起こしやすくなるのはこういうときである。
それでも無我夢中に問題解決に当たり、結果として重症患者が死亡したり、軽快したりすると急に気分が変わる。
やむなく中断していた読書や学習を再開しなければならないという気分で再び焦る。
1行だけ読んで別の本に移る、そういう本が20冊くらいあって気持ちが落ち着かなくなる。
実はこの時が一番苦しい。
そのうち焦って勉強しても活用できる知識は少なく、逆に勉強しないでいても責める人もいないと分かって、ちょっと「まったり」する。このときが一番幸福である。
するとまもなく担当患者が急増する。この繰り返し。

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