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2022年12月19日 (月)

自己責任を声高に言う、防衛環境が激変したと幻覚を見る、死刑制度を残すのは当然とする、この3者には通底するものがある

子どもに届いていた平野啓一郎「死刑について」を病院に出る前にざっと読んだ。
そのうち自分で買おうと思っていたので、どんなことが書かれているかだけ見ようとして。
「人を殺してはいけない」のは、個人の安全保障を第一に置く社会契約の大前提。もちろん憲法にも13条を代表としてその精神は貫かれている。
これは二つのことを意味する。
一つは国家と社会は被害者家族をケアする責任があるということ。もう一つは国家による殺人、たとえば死刑はなくし、その代わりに加害の原因となる社会的要因を減らすことも国家と社会の責任ということである。
こう考えていくと、国家の始める戦争で殺されたり殺したりする事態を憲法は最初から想定していないことを改めて思う。
自己責任を声高に言う、防衛環境が激変したと幻覚を見る、死刑制度を残すのは当然とする、この3者には通底するものがある。
死刑について

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