長い目で見れば、我々はみな死んでしまう
12.16の朝日新聞、ポール・クルーグマン。人工知能と知識労働に関する悲観的な文章である。。
繰り返される「長い目で見れば」のフレーズに注目した。
「しかし、長い目で見れば、我々はみな死んでしまうし」
たとえば加藤周一さんが亡くなれば彼の知的活動も、それを支えた図書館のような知識もたちまちにして消える。
しかし人工知能にはそういうことは起こらず、認識は深まり続ける。
われわれはそういうものの生産物の一時的受益者、あるいは被害者でしかなくなるのだろうか。
高校の一年先輩の黒住 真さんがいうように70歳過ぎたものにしか分からない感慨かも知れないが。

早川 純午、やまぐち かよこ、他6人
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