« 2022年11月 | トップページ | 2023年1月 »

2022年12月31日 (土)

吉松広延先生

地方政治新聞連載の材料を書き溜めておこうと思って今日も一編書いてみた:

1972年の初夏、山口市の道場門前通りと、山口駅から旧国道9号への道の交差点から少し北にあった小さい古本屋で吉松広延先生に一年ぶりに出会った。そのころはどこにでも喫茶店があったのでそちらに移動した。
と、書き始めて僕の中では吉松先生と美濃部都知事の顔と声が混同されてしまって、その違いがわからないでいる。相貌失認が自分にあるのかとも思う。ともあれ60歳近い上品な痩身の男性であったと思ってもらえれば良い。
教授と名のつく人と個人的に話すのは初めてだったのでひどく緊張した。前年、教養部の生物学の教授室を訪問したのは何かの署名のお願いだった。
「僕も昔は社会民主党にだいぶ共感していたのです」と意外な言葉を聞いた。帰り道、友人が「あいつだめだね、やっぱり社民なんだ」と言ったが、年齢から言って共産党がそこから生まれる前のドイツやロシアの政党名ではなかったかと思ったので同意しなかった。
吉松先生から学んだことは多い。島根県の港から直送されたサメの氷頭から三半規管を削り出す実習は自分の不器用さのため苦手だったが、オパーリン「生命の起源」は1年生の課題図書だった。細胞の起源であるコアセルベートという用語をまだ覚えている。

「宇部での専門課程はいかがですか」と訊かれた。「教養の2年間ドイツ語に没頭したので切り替えが難しい」と答えると「そっちに行ったら良かったんじゃないですか。誰か中国文学の吉川幸次郎さんに憧れて京都に行きましたね」と言われた。僕には別世界の話のように思えて、専門4年生の自殺事件に話題を変えたが、先生の反応はなかった。その後会話が続かなかった。
 したがってこのときのことはあまり良い思い出にはなっていないのだが、いま吉松先生の僅かな思い出を書いておこうと思ったのは、日本を何度も襲うカルトについて考えたからである。
 1940-60年全ソ連の生物学を支配したカルトにルイセンコ学説というものがある。ダーウイン進化論を攻撃し獲得形質の遺伝を謳うトンデモ学説がスターリン、フルシチョフという共産党トップを取り込み反対派を追放して猛威を振るう。その影響は日本の戦後の民主主義科学者協会という左派にも及んだ。井尻正二など有名な人もルイセンコ派だったらしい。そういう中で、若い吉松広延の理性的な言説が際立っていたことを後で知った。
 自民党の統一教会まみれの姿や学術会議の窮地に限らず、今の日本は様々な「左」右のカルトの渦に見舞われていると言ってよい。限度なしに多様性を重視し生物学も政治学も同等に社会的構造物にすぎないという相対主義自体がカルトに見える。
そういうとき僕がふと思い出したのは、最初に出会った本物の科学者といえる吉松先生の穏やかな姿だったのである。

| | コメント (0)

「忘れられない人々」

地方政治新聞からの締切の連絡がないので、さすがにあれほど面白くないことを書き連ねると編集側としては半年で打ち切りたくなるのも仕方がないと思っていた。到底随筆とは言えないただの読書メモ。
そこへ突然、1年分の締め切りだけを記したFaXが届く。
安心もするが、困惑もある。
旅行も出張も縁がない中では読書記録を続けるしかないが、やはり記事としては面白くなりそうもない。診療の現場を題材を採ることを期待されているのは分かるが、それはとても難しい。
そこでふと思い出したのが加藤周一さんの「高原好日」という小さな本。友人との交流をテーマにした信濃毎日新聞の連載をまとめたもの。甘ったるいものではなく、たとえば矢内原伊作の連れていた女性に対する「貧相」という辛辣な描写もある。

そんな感じでの「忘れられない人々」ということでは僕も少し書けそうである。
そこで第一回は2015年に亡くなった、朝日訴訟の継承者 朝日健二さんについて書いてみることにした。すでに何度か書いた事柄だが視点を変えることはできるだろう。

*ふと気づいて、本棚を探してみると、矢内原伊作が登場するのは「高原好日」ではなく「小さな花」だった。どちらも小さな単行本なので記憶が混線したらしい。前者は加藤周一を意識しない気楽さで読めるが、面白いのは後者なのでどちらか買おうと思う人は後者から。

| | コメント (0)

2022年12月29日 (木)

2022年12月28日 山口民医連理事会挨拶                         

年末で慌ただしい中、そして新型コロナが職場にもかってなく蔓延し不安が広がっているなかでの夜間の会議参加ご苦労様です。

この間、岸田内閣は驚くべきことを2つ、国会に諮ることもなく決定しています。
一つは原発の再稼働、廃炉予定原発の建て替え、原発の運転期間の60年超えの方針です。
もう一つは、現状GDP(国内総生産)の1%とされている防衛費を2%に向けて段階的に増やし、2023年度から2027年度までの防衛費の総額は43兆円、2027年度以降は1年で11兆円にするという方針です。
どちらも、正気とは思えない幻覚のような話で実行すれば国家、国土の破綻に直結するものです。

これに対し12月18日のTV番組 サンデーモーニングで姜尚中氏が「数兆円かけて国土を災害に対して強靱化する。すべての住宅も耐震化する。それでゼネコンの景気も良くなるし、地方の経済も活性化する。そのことを子どもの援助にもしっかりと結びつけていく。今なすべきことはそのことなのに防衛力強化なんて本末転倒だ」と語っていました。
私達によく似た発想をする人がここにもいるなぁと思いました。
私達はこれまで食糧、エネルギー、ケアを地域で自給する循環経済の大切さを主張してきましたが、これに防災を加え、4つのコアのある強靭な生命力のある地域形成を目指すことの重要性が誰の目にも見えてきているということだと思います。
ある意味これを気づかせてくれるうえで岸田首相の反面教師としての貢献は大きいと思います。
この課題を掲げることが、しっかりした後継者獲得も可能にするのだと思います。
引き続きこれらが来年の目標となります。来年も力を合わせて頑張りましょう。

そういうなか、今日は私達が善意のつもりでいることのなかに、いまこのときも気づかない大きな誤りを犯している可能性があるのではないかという大事なお話を、全日本民医連理事会で精神科医療を担当している今村先生からお聞きします。
見当がつかない方もいるかも知れないので、一つだけ前座的なことを話すと、1948年に定められた旧優生保護法はつい最近まで日本の社会に深刻な汚点を残したのです(資料参照)が、その当時の国民の意識は、その前年に施行された日本国憲法の25条のすべての国民に健康で文化的な生活を保障するという目標を戦後の貧しい中で少しでも実現するためには障害者排除をやむをえないとしていたのではないかということです。


「地獄への道は善意で敷き詰められている」というフレーズを地で行くようなことであり、別の道はなかったのかという痛切な反省が今なされています。
これは2022年の最後を結ぶにふさわしい大きなテーマですから、心してお聞きいただくことを期待するものです。では熱心な参加をよろしくお願いします。

資料
知的障害者の不妊処置問題で「あすなろ福祉会」を監査 北海道、勧告や命令も視野2022/12/26 産経新聞
北海道江差町の社会福祉法人「あすなろ福祉会」(樋口英俊理事長)が運営するグループホーム(GH)で、結婚や同棲を希望する知的障害者が不妊処置を受けていた問題で、道は26日、同福祉会に対し障害者総合支援法に基づく監査を始めた。勧告や命令も視野に実態解明を進める。
26日午後、道の職員らが同福祉会の建物に入った。問題が発覚した18日以降、樋口理事長や梅村雅晴常務理事らから任意での聞き取りを実施してきたが、監査では職員や入居者からも話を聞く。報告や書類提出などを命令でき、従わない場合は障害福祉サービス事業者の指定取り消しも可能となる。

| | コメント (0)

2022年12月22日 (木)

夏は街角避暑地、冬はウォーム・バンク

酷暑の夏に無数の「街角避暑地」の設置を提唱したように、酷寒の冬には早川先生から教えてもらった「ウォーム・バンク」を、医療生協のたまり場の数くらい配置したい。食料支援、暖房、Wi-Fiくらいを揃えた空間。https://www.tokyo-np.co.jp/article/220544#

ロンドン市内の教会のウォームバンクで11月末、利用者に持ち帰りの食料を渡すボランティアの女性

| | コメント (0)

2022年12月19日 (月)

今がピーク

自分史の中で、おそらく今が読解力のピークだろう。若い頃は物を知らなくて感覚的にしか文章を読めなかったが、今は書いている人の知識量や判断力や気分がわかる。小林秀雄に騙されたりはしない。
この状態は5年くらいしか続かないだろうから、いまこそ読書に勤しむべきだが、超高齢社会の中にあってなお労働負荷は増え続ける一方なのであった。

| | コメント (1)

自己責任を声高に言う、防衛環境が激変したと幻覚を見る、死刑制度を残すのは当然とする、この3者には通底するものがある

子どもに届いていた平野啓一郎「死刑について」を病院に出る前にざっと読んだ。
そのうち自分で買おうと思っていたので、どんなことが書かれているかだけ見ようとして。
「人を殺してはいけない」のは、個人の安全保障を第一に置く社会契約の大前提。もちろん憲法にも13条を代表としてその精神は貫かれている。
これは二つのことを意味する。
一つは国家と社会は被害者家族をケアする責任があるということ。もう一つは国家による殺人、たとえば死刑はなくし、その代わりに加害の原因となる社会的要因を減らすことも国家と社会の責任ということである。
こう考えていくと、国家の始める戦争で殺されたり殺したりする事態を憲法は最初から想定していないことを改めて思う。
自己責任を声高に言う、防衛環境が激変したと幻覚を見る、死刑制度を残すのは当然とする、この3者には通底するものがある。
死刑について

| | コメント (0)

長い目で見れば、我々はみな死んでしまう

12.16の朝日新聞、ポール・クルーグマン。人工知能と知識労働に関する悲観的な文章である。。
繰り返される「長い目で見れば」のフレーズに注目した。
「しかし、長い目で見れば、我々はみな死んでしまうし」
たとえば加藤周一さんが亡くなれば彼の知的活動も、それを支えた図書館のような知識もたちまちにして消える。 
しかし人工知能にはそういうことは起こらず、認識は深まり続ける。
われわれはそういうものの生産物の一時的受益者、あるいは被害者でしかなくなるのだろうか。
高校の一年先輩の黒住 真さんがいうように70歳過ぎたものにしか分からない感慨かも知れないが。
、「長い目で見れば、 知識産業における生産 性の向上は、 これまでの従来産業の場合と 同様に社会をより豊かにし、 我々の生活全 般を向上させるだろう。 しかし、 長い目で 見れば、 我々はみな死んでしまうし、 それ 以前に、 教育を受けたにもかかわらす 失業したり、 予想よりはるかに低い収 か得られなかったりする人も出 られなかったりする人も出てくるかも しれないのである。」というテキストの画像のようです
早川 純午、やまぐち かよこ、他6人

| | コメント (0)

アウトリーチ型の食料支援

12月18日日曜の朝は9時からアウトリーチ型の食料支援。
吹雪の中、宇部市全域への展開となったが、協立歯科から歯科医師、歯科衛生士の大量参加があったので職員20人、医学生1人になり、1時間と少しで終えることが出来た。
職員にとってはコロナ禍の生活逼迫の一端に触れる貴重な機会になったはず。
下の写真は、後で気づいたが、雪雲の向こうに青空が見えているのが良かった。
道路の画像のようです

| | コメント (0)

有事再診

パートの医師がよく「有事再診」と外来のカルテに書いているのを奇妙に思っていたが、今日読み終えた以下の本では、その言葉を使うことが推奨されていた。
忙しい外来で診察の終わりに患者さんにどう声をかけたかを記録する便利な符牒のようなものである。
これが全国に広がっているものだとは知らなかった。
「何か異常あればいつでも来てください」という意味。
診察の終わりに受診票を渡しながら「ハイ、有事再診ネ」と職員同士掛け声のように使うと気分が荒涼としてくるかも。
とはいえ、カルテの書き方については、自分の病院はガラパゴス化しており、外の大病院ほど防御的整備や教育が進んでいる気がする。「こんなに疲れている私が無理やり診察に駆り出されました」という旨を記録の冒頭に頻繁に書く人もいるし。
トラブルを未然に防ぐカルテの書き方 

| | コメント (0)

2022年12月 3日 (土)

生活と文化で人々と結びつくという運動の伝統

たかだか民医連空白の県内の一都市(ただし県庁所在地)へのソーシャルワークと住民互助「拠点」(診療所でさえない)の拡張
だが、今僕が手掛けていることは、生活と文化で人々と結びつくという運動の伝統を再建していることであるように思える。

| | コメント (0)

« 2022年11月 | トップページ | 2023年1月 »