ロールズと民医連(3)
以前書いた文章を出稿前に修正。エッセイには向かない題材を取り上げたことを反省。
ロールズと民医連(3)
「最も困難な人々の立場で考える」は前々から全日本民医連の方針でよく見かけた。2000年の総会スローガンに「もっとも困っている人々の『最後のよりどころ』としての民医連の存在意義を輝かせよう」という文言が現れる。2008年の全日本民医連綱領改定草案には「日本社会の中で最も困難な状態におかれている人々の命と人権を守る」というフレーズがあった。
その頃にロールズ「正義論」を学び始めた私にとってこのフレーズとロールズの「格差原理」が酷似しているのは気になることだった。そこで2000年当時の全日本民医連会長に直接質問してみると「そのとおり」と返答が来た。確かにロールズ「正義論」は海を超えた民医連運動に、浅くはあったが受容され反映されていたのである。
ただし2010年確定の新綱領ではその文章は消えている。理由をあたると「誤解されやすい表現は残さず削除」という修文方針のためだった。2008年リーマンショック以降の世界的な格差と貧困の広がりを目の前にすると「最も困難な人々の立場に立つ」という部分は残したほうが良かったようにも思う。ロールズを自分たちに結びつけていく意味でも。
この辺の経緯を辿っていると、運動体の方針を考えるときは単純な国内情勢論と組織内部の要因のみに留まらない視野の広さが必要だという別のことを思いつく。
例えば「その人らしく生きることを支援する」というケアの理念はインドの経済学者アマルティア・センのいう「可能性(ケイパビリティ)の平等」と結びつけて考えたい。障害があろうとなかろうと人生の可能性は平等でなくてはならず、ケアされて生きることはすべての人の人権であることがそこから見えてくる。他にも「病気を生活と労働の視点で捉える」という民医連オリジナルの疾病観も、マイケル・マーモットによる「健康と病気の社会的決定要因(SDH)」と結びつくことによって初めて科学的根拠を得ながら大きく拡がる。
この項の結論めくが、「公正という正義」論を基軸にしたロールズの政治哲学に真摯に向かい合うこと含め、閉鎖的にならない文脈の中に自らを置いて運動を考えることは今後さらに求められることだろう。
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