ロールズと民医連(3)
地元の政治新聞に気ままに連載させてもらっている話の最後の部分。
ロールズと民医連(3)
「最も困難な人々の視点から考える」という意味合いの言葉は相当前から全日本民医連の方針文書で見ていた気がする。少なくとも2000年の第34回総会のスローガンに「もっとも困っている人々の『最後のよりどころ』としての民医連の存在意義を輝かせよう」という趣旨が現れる。
このときは気づかなかったが、2008年頃からロールズ「正義論」を学び始めてみると、このスローガンとロールズ「格差原理」が類似しているのが気になった。
2000年総会時の全日本民医連会長だった高柳新氏に直接質問してみると、発想は確かにそこにあったということであった。ロールズ「正義論」は日本の医療運動に遠く反映されていたのである。
そして同じく2008年、全日本民医連は1961年に決定した綱領を改定するための草案を発表したが「日本社会の中で最も困難な状態におかれている人々の命と人権を守る」という一文がその中にあった。
ところが2010年の正式な改定綱領ではその文章は消えている。自分には記憶のないこの変化の理由について教えてくれる人がいて、基本は「誤解されやすい表現は残さず削除」ということであった。削除に反対する人は相当いた模様で、2008年以降の圧倒的な格差と貧困の広がりの中で「最も困難な人々の立場に立った視点」という発想を削除して良かったのかという気が今となってはする。僕も当時全日本民医連の新任理事だったので重い責任がある。
民医連の歴史は単純な国内情勢論と組織内部の要因のみで論じることなく、世界的な社会・思想状況との関連で論じるべきだと思う。
影響を受けたのはロールズだけはない。よくみんなが口にする「その人らしく生きることを支援する」という理念はインドの経済学者・哲学者アマルティア・センのいう「平等で幅広い可能性(ケイパビリティ)からの選択の自由」に響きあうものだろう。
ただしその可能性の中に、人種・民族主義的差別主義者であることなどは最初から断固排除されている。それはセン以前にロールズの政治哲学によって早くから解明されたことである(正義の第一原理)。つまり、「介護者が外国人だから」という理由で介護者を拒否する被介護者の「その人らしさ」は最初から受容されない。
しかしそのような差別主義者であることをもって介護自体が提供されないこともありえない。ケアされて生きることは基本的な人権である。しかしこうした「ケアの倫理」はロールズの中にはない。それはこれから僕たちがロールズを拡張するものとしてある。
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