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2022年10月23日 (日)

ロールズと民医連(2)

順不同になってしまったが。

ロールズと民医連(2)                      
前回、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズ(1921-2002)が山口県に無縁ではないと書いた。これは最近分かったホット・ニュースで、2010年以降、ハーバード大学に保存されていたロールズ・アーカイブが公開されて彼の人生の子細が次第に明らかになってきたことによる。
ロールズは1943年に大学を繰り上げ卒業して陸軍に入隊、太平洋戦線に配属されている。そこで自らも戦傷を負い、なにより無二の親友をすぐ傍で失う。このことがその後の仕事に大きく影響を与えた。その点はロールズと同時代の人である加藤周一(1919-2008)とよく似ている。加藤にとって親友中西哲吉が大学繰り上げ卒業後招集され、まもなく南の海で戦死したことは晩年の九条の会立ち上げの動機となった。
1945年ロールズの部隊は九州に上陸して山口県南部に進駐した。その基地が私の住む宇部にあったかどうかまでは分からないが、ロールズの日本体験の大半が山口県にあったのは間違いがない。それから帰国するのだが、その途中の1945年11月に原爆投下後の広島を通過している。この点も1945年9月の日米合同医学調査団に加わって広島を見た加藤に似ている。
その経験は加藤にとって医師をやめる遠因となったようだが、ロールズにとっては、1995年にスミソニアン博物館が戦後50年記念で爆撃機エノラ・ゲイと並べて広島・長崎の被爆遺品を並べて展示しようとしたことに対する保守派の「原爆展示反対キャンペーン」への異例の反論として現れた。
要約して「ヒロシマへの原爆も日本の各都市への焼夷弾攻撃もすさまじい道徳的巨悪であって、そうした悪を避けることが政治家の義務である。実際にこの悪は犠牲なしに回避可能でもあった」とロールズは当時のアメリカで言い切った。
こう考えると、ロールズの「正義論」は戦争体験の上に築かれた時代性を濃く帯びているように思える。
ここでロールズの「正義論」について述べる紙幅はないが、最も有名なのは「社会的・経済的不平等は、それが社会の中でもっとも不利な立場におかれる成員にとって最大の利益になるという条件で許容される(一部改変)」という「格差原理」である。
実は、この原理が遠く全日本民医連の改定新綱領(2010年)に関係していることが、この駄文の主題である。

 

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