2022年10月26日 (水)
2022年10月23日 (日)
ロールズと民医連(2)
順不同になってしまったが。
ロールズと民医連(3)
地元の政治新聞に気ままに連載させてもらっている話の最後の部分。
加藤周一とロールズ
2022年10月22日 (土)
奴隷
その可能性の中に、人種・民族主義的差別主義者であることとか、奴隷制を支持することとかは断固排除されている
最も困難な困難な状態におかれている人々の命と人権を守る
2008年の全日本民医連綱領改定案では「日本社会の中で最も困難な困難な状態におかれている人々の命と人権を守るという言葉」が前文の最後にあったのだが、2010年の正式な改定綱領ではその言葉は消えている。議論のただ中にいたはずだがこの経過についての記憶が今定かではない。
・・・とFBに書いたところ、丁寧なコメントがあり、下記のようであったとわかった。
雑誌「前衛」11月号の目玉と言える鼎談「この国は原発事故からどのように教訓を学んだか(上)
2022年10月14日 (金)
FEC自給圏ーケアの自給とは?
内橋克人さんがFEC自給圏を提唱したことは有名で、未来の地域のあり方として僕らも賛同して受け入れているのだが、地域での食料自給、エネルギー自給が分かりやすいのに比べ「ケアの自給」は少しわかりにくい。
それより「ケアの時給」のほうが身につまされる喫緊の課題だ。
それはそれとして、「ケアの自覚と自律」ではどうだろうか。
医療・介護・保育・教育などが別々に存在するのではなく、「ケアという一つのセクター」の一員としての自覚を持ち、自律的に協力し合うということを「ケアの自給」だと考えてはどうだろうか。
その時、一体感は、このセクター全体が一つに結ばれたソーシャル・ワークを基礎にしているということから生まれるだろう。
今日はそんな事を考えながら医療生協の地域福祉戦略部として宇部市の教育長に面談を求めた。
教育畑との懇談は2週間前の県立大学学長に続いて2回目である。
2022年10月11日 (火)
正義の第三原理?人は必要に応じてケアを受け、能力に応じてケアを与える
全日本民医連が入っているビルに、川本隆史さんが近所の東大(本郷)からママチャリで気軽にやってきて短い講義をしてくれたことがある。
その時勧められたエヴァ・フェダー・キティの厚い本「「愛の労働 あるいは依存とケアの正義論」はちゃんと読んだつもりだったが、あっさりいうとこのことだったかと今日改めて思った。
エヴァ・フェダー・キティによる正義の第三原理。依存する人、それをケアする人を正義の原理に包摂するにはロールズが唱えたニ原理では不足で、このような形での拡張が必要だ。
「ロールズ・セン・民医連」その1
地方の政治新聞に好きなことを書いていいという条件で連載させてもらうこととなったが、最初の数回は固くなりすぎて「硬質の評論」めく誰も読まないものを書いてしまった。
今回は思い切り自分史に傾くことにした。しかし、そうしてみるとこんなものを載せてもらっていいものだろうか、という疑念も湧くのである。
「ロールズ・セン・民医連」その1
ロールズと言っても知らない人のほうが多いだろうが、昨年が生誕100年、今年が没後20年の比較的最近の米国人である。私個人の意見では20世紀最大の、そして21世紀になお価値が高まる政治哲学者ということになる。1971年の著作「正義論」は反響があまりに大きく、関連して多量の論文が書かれたので、政治哲学自体が「ロールズ産業」と呼ばれたくらいらしい。
僕は山口県で地域医療の中に沈潜してそんなことは全く知らなかったのだが、マイケル・マーモット発の「健康格差」が日本でも熱い問題になり始めた2008年頃にロールズという名前に出会った。
「政治哲学は知っているが社会疫学は知らない人文・社会科学系の人々と、社会疫学は知っているが政治哲学は知らない医学・健康科学系の人々の仲人をするつもり」で訳したと監訳者の児玉聡さん(京大)が書いている イチロー・カワチ他著『健康格差と正義 公衆衛生に挑むロールズ哲学』(勁草書房)のなかでのことである。これは相当に難しかった。
当時「正義論」の翻訳本は入手困難で、初心者用の本を探していると講談社「現代思想の冒険者たち」シリーズの『ロールズ:正義の原理』を見つけた。その著者で東大教授の川本隆史さんは1951年広島県生まれということだった。全くの同世代だという感想を自分のブログに書くとすぐに著者からメールが来た。
同世代というよりも、もしかしたら同級生になったかもしれない人だった。広島の過熱した中学受験のなかで同じ学習塾の模擬試験を2週間に1回受けていた仲間だった。
僕はといえば、広島県の山村からバスで片道3時間かけて広島市に出、夜は皆実町の伯母の家に泊めてもらい、翌日模擬試験を受けてまたバスで帰ることの繰り返しだった。夕闇迫る広島近郊で一人バスに乗っている不安がフラッシュバックしてくる。同じ感覚を作家で映画監督の西川美和さんが小説・映画『ディア・ドクター』で見事に描写していたが、彼女もそういう広島県人である。
川本さんは広島市内、那須正幹さんと同じ町内の人で、彼は広島学院中学に、僕は修道中学に入ったので同級生にはならなかったのだが、偶然ながらロールズを学ぶには最良の教師を見つけて勉強は急速に捗ることとなった。
横道にそれて大事なことは次回に持ち越しだが、ロールズと山口県は無縁ではない。
2022年10月 8日 (土)
今日の日直
94歳吐血の緊急内視鏡で朝が始まったが、夕方は開業医さん紹介の94歳重症心不全救急を引き受け一応の処置を終えて入院としたのが今日の仕事の終わり。
と言っても呼吸が安定しないのでNIPPV(非侵襲的な陽圧換気)をすることにする。
院内に空いた器械がないのでレンタル業者に頼み、それが届くまで待つ。
思いついて、隣の県の民医連のホームページを開く。46年前に僕が初期研修させてもらった県連である。
500床以上の病院が2つある。200-300床クラスはもっとたくさん。
ホームページなので当たり前だが、疲れた医師は登場しない。
みんな元気で自信満々に高度な医療をやっていそうだ。
仮の話としてだが、僕がお願いしてもとても雇ってもらえないだろう。
彼らの医療が精密な大工場だとすると、僕らのやっていることは昔の村の鍛冶屋だ。
鍛冶屋だというのは、周りの高齢の開業医さんを村の雑貨屋さんだと見立ててのことである。雑貨屋に比べるとまだ何かしら手を動かして危険なものを扱っているイメージ。
なにぃ、鍛冶屋が雑貨屋より偉いということはないだろう(高柳 新先生風に)、という議論やつかみ合いは一軒くらい食堂が村にあった大昔の郷愁。
2022年10月 7日 (金)
スターリンは民族楽器バンドゥーラ演奏を弾圧した
仕事を投げ出したい人もいる
行き詰まりは、日当直やそれを補佐する待機が組めなくなることから始まる。日当直はその手当を増やせば紹介業者経由の人をいっとき確保できるので、手当600円の常勤の待機に穴が開くことのほうが先行して現れる。目の前のつまらない課題で大きな声を出し合っていれば、そのことが直視できない。計画を組む担当の医局秘書だけが仕事を投げ出したい気持ちになりながら危機を早期に察知するのである。
滋賀や栃木のように、センター病院を持たない診療所群に戻ればまた安定はするのだが。
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