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2022年10月26日 (水)

2022.10.26  山口民医連理事会挨拶  






時間外の会議ご苦労さまです・

情勢資料として、中央社会保障推進協議会(中央社保協)と山口県社会保障推進協議会の記事を添付しました。 
現在最も差し迫った課題は介護保険の制度改悪です。これはぜひ知っておいていただきたいと思います。
それに関連してマイナンバーカードについての国の姿勢が急に乱暴で強制的なものになったことも大問題です。マイナンバーカード強制の目的は何でしょう。「貧困な人ほど要介護状態に陥ることが多い」ということはすでにエビデンスが出ていますが、社会保障費用を相対的に多く使ってしまう貧しい側の国民の収入や資産、保険料支払いなどを正確に把握して、貧困な国民の側での自己負担増・サービス供給の削減を図るものです。社会保障における自己責任論の拡大はやってはならないことですが、それを遂行するためのツールだと言えます。

前回の理事会では日本共産党高知県委員会の松本けんじさんに登場していただいて青年論を集中的に議論しました。青年対策は引き続き私達の「生命線」です。
私は最近、健文会地域福祉戦略部の「オープン・ダイアローグ(冗談!)」活動として、いろんな人に会いに行っているのですが、山口県立大学の学長の田中真紀子さんからは、「奨学金が母親の生活費に回っていくため複数のアルバイトを掛け持ちしなければならず学業が続けられない学生がいる」という話を聞きました。松本けんじさんも言っていましたが、「食糧支援だけではもったいない」のです。学生の生活全体に関わる支援に踏み込んでいく覚悟が必要です。
しかしそれとは別に、医学生対策・研修医対策については「医療の面白さ」」を共有する工夫がもっと必要だと思います。「診断推論」での鮮やかな謎解きも面白さの醍醐味だとは思いますが、「患者の伴走的支援」の中で、支援するもの・支援されるものがお互いの作用で変わっていき、思いもかけない人間としての輝きを見せる一瞬こそ本当の面白さだと思います。下の表は昨日、健文会は今年度中には作ろうと思っている「山口市事務所」の準備会で私が示した「山口市事務所」の活動リストです。
1:ソーシャルワーク(これは普遍的に欠乏しており、健文会が全県に提供しなければならないものです)
2:医療生協組合員・市民の互助活動
  例 ①暮らしの保健室 ②無料塾 ③こども・おとな食堂 ④カフェ ⑤お助けた隊
3:医療生協のお楽しみ行事
  例:グラウンド・ゴルフ、健康体操、健康句会
4:1~3をフィールドにした青年学生対策  実はこれが山口事務所の隠れた目的
  例:まち歩き撮影会、雑誌「世界」読書会
これがうまくいくと、青年学生対策の重心は山口市にあるという風になるかもしれません。

最後に 雑誌「前衛」11月号 戒能民江さんインタビュー『困難を抱える女性支援法をいかに生かしていくか  新法の意義と課題』を資料につけておきます。
戒能民江さんは女性差別撤廃については日本の第一人者とでも言うべき方です。
ジェンダー差別解消運動の原点は現在のこの時点でも売買春という女性の奴隷化をどう廃絶していくかです。最も困難な人の視点で出発するという意味でそうなのです。
昨今「セックス・ワーカー」と呼ぶことで被害女性の尊厳を高めようという意見を言う人もいますが、「労働者・雇われて仕事している人」だと定義してしまえば、雇う会社・買う男性側の正当性を認めてしまう落とし穴がそこにはあります。
どうすれば女性の性奴隷的状態をなくせるか。それが巧妙に隠されているので正面からからこの問題を認めることは難しく、無縁の人生を送っていると思いこむ人も多く、特に男性は認識がとても低い。だが、女性解放の上ではこれこそが避けて通れない最初の課題なのだという戒能さんの訴えを是非受け止めていただきたいと思います。




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2022年10月23日 (日)

ロールズと民医連(2)

順不同になってしまったが。

ロールズと民医連(2)                      
前回、アメリカの政治哲学者ジョン・ロールズ(1921-2002)が山口県に無縁ではないと書いた。これは最近分かったホット・ニュースで、2010年以降、ハーバード大学に保存されていたロールズ・アーカイブが公開されて彼の人生の子細が次第に明らかになってきたことによる。
ロールズは1943年に大学を繰り上げ卒業して陸軍に入隊、太平洋戦線に配属されている。そこで自らも戦傷を負い、なにより無二の親友をすぐ傍で失う。このことがその後の仕事に大きく影響を与えた。その点はロールズと同時代の人である加藤周一(1919-2008)とよく似ている。加藤にとって親友中西哲吉が大学繰り上げ卒業後招集され、まもなく南の海で戦死したことは晩年の九条の会立ち上げの動機となった。
1945年ロールズの部隊は九州に上陸して山口県南部に進駐した。その基地が私の住む宇部にあったかどうかまでは分からないが、ロールズの日本体験の大半が山口県にあったのは間違いがない。それから帰国するのだが、その途中の1945年11月に原爆投下後の広島を通過している。この点も1945年9月の日米合同医学調査団に加わって広島を見た加藤に似ている。
その経験は加藤にとって医師をやめる遠因となったようだが、ロールズにとっては、1995年にスミソニアン博物館が戦後50年記念で爆撃機エノラ・ゲイと並べて広島・長崎の被爆遺品を並べて展示しようとしたことに対する保守派の「原爆展示反対キャンペーン」への異例の反論として現れた。
要約して「ヒロシマへの原爆も日本の各都市への焼夷弾攻撃もすさまじい道徳的巨悪であって、そうした悪を避けることが政治家の義務である。実際にこの悪は犠牲なしに回避可能でもあった」とロールズは当時のアメリカで言い切った。
こう考えると、ロールズの「正義論」は戦争体験の上に築かれた時代性を濃く帯びているように思える。
ここでロールズの「正義論」について述べる紙幅はないが、最も有名なのは「社会的・経済的不平等は、それが社会の中でもっとも不利な立場におかれる成員にとって最大の利益になるという条件で許容される(一部改変)」という「格差原理」である。
実は、この原理が遠く全日本民医連の改定新綱領(2010年)に関係していることが、この駄文の主題である。

 

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ロールズと民医連(3) 

地元の政治新聞に気ままに連載させてもらっている話の最後の部分。






ロールズと民医連(3)                       

「最も困難な人々の視点から考える」という意味合いの言葉は相当前から全日本民医連の方針文書で見ていた気がする。少なくとも2000年の第34回総会のスローガンに「もっとも困っている人々の『最後のよりどころ』としての民医連の存在意義を輝かせよう」という趣旨が現れる。
このときは気づかなかったが、2008年頃からロールズ「正義論」を学び始めてみると、このスローガンとロールズ「格差原理」が類似しているのが気になった。
2000年総会時の全日本民医連会長だった高柳新氏に直接質問してみると、発想は確かにそこにあったということであった。ロールズ「正義論」は日本の医療運動に遠く反映されていたのである。
そして同じく2008年、全日本民医連は1961年に決定した綱領を改定するための草案を発表したが「日本社会の中で最も困難な状態におかれている人々の命と人権を守る」という一文がその中にあった。
ところが2010年の正式な改定綱領ではその文章は消えている。自分には記憶のないこの変化の理由について教えてくれる人がいて、基本は「誤解されやすい表現は残さず削除」ということであった。削除に反対する人は相当いた模様で、2008年以降の圧倒的な格差と貧困の広がりの中で「最も困難な人々の立場に立った視点」という発想を削除して良かったのかという気が今となってはする。僕も当時全日本民医連の新任理事だったので重い責任がある。
民医連の歴史は単純な国内情勢論と組織内部の要因のみで論じることなく、世界的な社会・思想状況との関連で論じるべきだと思う。
影響を受けたのはロールズだけはない。よくみんなが口にする「その人らしく生きることを支援する」という理念はインドの経済学者・哲学者アマルティア・センのいう「平等で幅広い可能性(ケイパビリティ)からの選択の自由」に響きあうものだろう。
ただしその可能性の中に、人種・民族主義的差別主義者であることなどは最初から断固排除されている。それはセン以前にロールズの政治哲学によって早くから解明されたことである(正義の第一原理)。つまり、「介護者が外国人だから」という理由で介護者を拒否する被介護者の「その人らしさ」は最初から受容されない。
しかしそのような差別主義者であることをもって介護自体が提供されないこともありえない。ケアされて生きることは基本的な人権である。しかしこうした「ケアの倫理」はロールズの中にはない。それはこれから僕たちがロールズを拡張するものとしてある。




 

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加藤周一とロールズ






加藤周一(1919-2008)とジョン・ロールズ(1921-2002)はまったくの同世代であるというだけでなく、親友の戦死と原爆投下直後の広島を見たことが現体験になっていることがよく似ている。
加藤がロールズについて書いた文章はどこかで読んだが探さなくては分からない。
ロールズが加藤についてなにか書いているかどうかは2010年に初めて公開されたハーバード大学のロールズ・アーカイブから研究者が発見するかどうかにかかっている。生化学上の果糖fructoseについて政治哲学者ロールズがなにか書いているくらいの可能性ではないだろうか。
あ、加藤と果糖のダジャレに過ぎません。




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2022年10月22日 (土)

奴隷

奴隷が存在するほうが生産性が高く結果的には全国民の豊かさにつながるという主張は一つの功利主義的政策としては成り立つものの、人権や憲法からはありえないものである。したがってそう主張する政党はどこを探しても見つからない。
しかし、外国人技能実習生制度や様々な形の女性の奴隷的搾取をみれば、質の悪い功利主義がこの社会を支配していることは簡単に見て取れる。

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その可能性の中に、人種・民族主義的差別主義者であることとか、奴隷制を支持することとかは断固排除されている






木下ちがやさんが言っていることに倣えば、民医連の歴史も単純な国内情勢論と組織内部の要因のみで論じることなく、世界的な社会・思想状況との関連で論じるべきなのだろう。

そう思えば「その人らしく生きることを支援する」という私達の方針も、アマルティア・センのいう平等で幅広い可能性(ケイパビリティ)からの選択の自由という主張に響きあうものだろう。

その可能性の中に、人種・民族主義的差別主義者であることとか、奴隷制を支持することとかは最初から断固排除されているのは当然である。それはセン以前にロールズによって早くから確立されていることである。

つまり、「介護者が外国人だから」という理由で介護者を拒否する被介護者の「その人らしさ」は最初から受容されない。
しかしそのような差別主義者であることをもって介護自体が提供されないこともありえない。ケアされて生きることは基本的な人権だからである。ケアされて生きること、あるいはケアして生きることにロールズが十分に考えを巡らせておらず、補足する必要があることはエヴァ・フェダー・キティが言っているとおりだ。その中身を作り上げるのは僕たちの課題だろう。















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最も困難な困難な状態におかれている人々の命と人権を守る

2008年の全日本民医連綱領改定案では「日本社会の中で最も困難な困難な状態におかれている人々の命と人権を守るという言葉」が前文の最後にあったのだが、2010年の正式な改定綱領ではその言葉は消えている。議論のただ中にいたはずだがこの経過についての記憶が今定かではない。

・・・とFBに書いたところ、丁寧なコメントがあり、下記のようであったとわかった。


「案は2009年5月以降に変更されています。

『新綱領(草案)では、「働くひとびとの」今日的位置づけ・立場として、32回総会での定義を受け継ぎ、「わたしたちは、日本国憲法の理念を高くかかげ、すべての国民がひとしく人間として尊重される社会の実現をめざします。そのために、日本社会の中でもっとも困難な状態におかれている人びとの命と人権をまもる立場から、医療・社会保障の民主的変革をめざします」という表現としました。すなわち、すべての国民が、差別されることなく基本的人権が保障されること、そのために、この日本社会で一番虐げられ困難な状態に置かれている人びとの立場、視点から社会変革をおこなうことを述べています。
 この言葉は、絶対的貧困の増加と格差社会の進行や社会保障の切捨ての中で今日的にも、そのまま残すべきという意見も多く出されました。また、あらためて今日的定義をするのだから、誤解されやすい表現は残さず削除した方が良いのではないかという意見が出されるなどし、繰り返し討論しました。そして、理事会討議の最終到達として、上記のように社会変革の立場を簡潔明瞭に述べることとしました。』」
この言葉はロールズ「正義論」の遠い反映であったことは明らかだが、政治哲学の論議の方向には深まらなかったということだろう。
しかし、この新綱領策定後、最も困難な状態に置かれる人の数も、困難な状況も更に深刻となったので、はたしてこのように案を変更したのが正解だったかかどうかは迷うところである。

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雑誌「前衛」11月号の目玉と言える鼎談「この国は原発事故からどのように教訓を学んだか(上)

雑誌「前衛」11月号の目玉と言える鼎談「この国は原発事故からどのように教訓を学んだか(上)」を読み始める。
2011原発事故における国とりわけ経産相の規制権限の不作為を問う6月17日の最高裁判決が主題。
自分がこの判決をいかにスルーしていたかよく分かっただけでも最初の収穫。例えば、判決は3:1に分かれて強力な反対意見を提出した三浦 守という裁判官がいたことなど、この鼎談で始めた知った。つまり以下のような新聞記事は見過ごしてたことになる。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE17CJ60X10C22A6000000/?fbclid=IwAR0Htr6ynB3-iT-3fS8rcGf665rvBXeX1wGrV7OyPeBEbE-BGYIFwXX_XQU

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2022年10月14日 (金)

FEC自給圏ーケアの自給とは?

内橋克人さんがFEC自給圏を提唱したことは有名で、未来の地域のあり方として僕らも賛同して受け入れているのだが、地域での食料自給、エネルギー自給が分かりやすいのに比べ「ケアの自給」は少しわかりにくい。

それより「ケアの時給」のほうが身につまされる喫緊の課題だ。

それはそれとして、「ケアの自覚と自律」ではどうだろうか。

医療・介護・保育・教育などが別々に存在するのではなく、「ケアという一つのセクター」の一員としての自覚を持ち、自律的に協力し合うということを「ケアの自給」だと考えてはどうだろうか。
その時、一体感は、このセクター全体が一つに結ばれたソーシャル・ワークを基礎にしているということから生まれるだろう。

今日はそんな事を考えながら医療生協の地域福祉戦略部として宇部市の教育長に面談を求めた。
教育畑との懇談は2週間前の県立大学学長に続いて2回目である。

 

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2022年10月11日 (火)

正義の第三原理?人は必要に応じてケアを受け、能力に応じてケアを与える

全日本民医連が入っているビルに、川本隆史さんが近所の東大(本郷)からママチャリで気軽にやってきて短い講義をしてくれたことがある。
その時勧められたエヴァ・フェダー・キティの厚い本「「愛の労働 あるいは依存とケアの正義論」はちゃんと読んだつもりだったが、あっさりいうとこのことだったかと今日改めて思った。


254ページ

エヴァ・フェダー・キティによる正義の第三原理。依存する人、それをケアする人を正義の原理に包摂するにはロールズが唱えたニ原理では不足で、このような形での拡張が必要だ。

人は必要に応じてケアを受け、能力に応じてケアを与える、そしてケアの関係にあることによって不利にされない必要な資源と機会が社会制度とそいぇ援助される。それによって自尊心が満たされる温かい人間関係の中でケアが持続的になる。
もっとあっさりいうと第一原理の基本財のリストに健康とケアを加えること。 測定は難しいが。

 

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「ロールズ・セン・民医連」その1

311441486_5438078439608199_2698968870243 地方の政治新聞に好きなことを書いていいという条件で連載させてもらうこととなったが、最初の数回は固くなりすぎて「硬質の評論」めく誰も読まないものを書いてしまった。
今回は思い切り自分史に傾くことにした。しかし、そうしてみるとこんなものを載せてもらっていいものだろうか、という疑念も湧くのである。

「ロールズ・セン・民医連」その1

ロールズと言っても知らない人のほうが多いだろうが、昨年が生誕100年、今年が没後20年の比較的最近の米国人である。私個人の意見では20世紀最大の、そして21世紀になお価値が高まる政治哲学者ということになる。1971年の著作「正義論」は反響があまりに大きく、関連して多量の論文が書かれたので、政治哲学自体が「ロールズ産業」と呼ばれたくらいらしい。
僕は山口県で地域医療の中に沈潜してそんなことは全く知らなかったのだが、マイケル・マーモット発の「健康格差」が日本でも熱い問題になり始めた2008年頃にロールズという名前に出会った。
「政治哲学は知っているが社会疫学は知らない人文・社会科学系の人々と、社会疫学は知っているが政治哲学は知らない医学・健康科学系の人々の仲人をするつもり」で訳したと監訳者の児玉聡さん(京大)が書いている イチロー・カワチ他著『健康格差と正義  公衆衛生に挑むロールズ哲学』(勁草書房)のなかでのことである。これは相当に難しかった。
当時「正義論」の翻訳本は入手困難で、初心者用の本を探していると講談社「現代思想の冒険者たち」シリーズの『ロールズ:正義の原理』を見つけた。その著者で東大教授の川本隆史さんは1951年広島県生まれということだった。全くの同世代だという感想を自分のブログに書くとすぐに著者からメールが来た。
同世代というよりも、もしかしたら同級生になったかもしれない人だった。広島の過熱した中学受験のなかで同じ学習塾の模擬試験を2週間に1回受けていた仲間だった。
僕はといえば、広島県の山村からバスで片道3時間かけて広島市に出、夜は皆実町の伯母の家に泊めてもらい、翌日模擬試験を受けてまたバスで帰ることの繰り返しだった。夕闇迫る広島近郊で一人バスに乗っている不安がフラッシュバックしてくる。同じ感覚を作家で映画監督の西川美和さんが小説・映画『ディア・ドクター』で見事に描写していたが、彼女もそういう広島県人である。
川本さんは広島市内、那須正幹さんと同じ町内の人で、彼は広島学院中学に、僕は修道中学に入ったので同級生にはならなかったのだが、偶然ながらロールズを学ぶには最良の教師を見つけて勉強は急速に捗ることとなった。
横道にそれて大事なことは次回に持ち越しだが、ロールズと山口県は無縁ではない。

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2022年10月 8日 (土)

今日の日直

94歳吐血の緊急内視鏡で朝が始まったが、夕方は開業医さん紹介の94歳重症心不全救急を引き受け一応の処置を終えて入院としたのが今日の仕事の終わり。


と言っても呼吸が安定しないのでNIPPV(非侵襲的な陽圧換気)をすることにする。

院内に空いた器械がないのでレンタル業者に頼み、それが届くまで待つ。


思いついて、隣の県の民医連のホームページを開く。46年前に僕が初期研修させてもらった県連である。

500床以上の病院が2つある。200-300床クラスはもっとたくさん。

ホームページなので当たり前だが、疲れた医師は登場しない。


みんな元気で自信満々に高度な医療をやっていそうだ。


仮の話としてだが、僕がお願いしてもとても雇ってもらえないだろう。


彼らの医療が精密な大工場だとすると、僕らのやっていることは昔の村の鍛冶屋だ。

鍛冶屋だというのは、周りの高齢の開業医さんを村の雑貨屋さんだと見立ててのことである。雑貨屋に比べるとまだ何かしら手を動かして危険なものを扱っているイメージ。

なにぃ、鍛冶屋が雑貨屋より偉いということはないだろう(高柳 新先生風に)、という議論やつかみ合いは一軒くらい食堂が村にあった大昔の郷愁。

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2022年10月 7日 (金)

スターリンは民族楽器バンドゥーラ演奏を弾圧した

雑誌「世界」10月号 末澤恵美「歴史の一部としてのロシア=ウクライナ戦争」

ロシア革命1917年直後の歴史を読んでいるとウクライナでは「中央ラーダ」政権が独立を宣言した後、ボリシェビキ政権に滅ぼされたと、「ラーダ」についてなんの説明もなく書いてあることが多い。
読み流していると、ラクダと結びついてラクダに乗った人々の政権のイメージが意識下で形成される。あるいはラダー=はしごに乗った人々。

しかし現在のウクライナの国会が「最高ラーダ」と呼ばれることがこの文章でわかる。つまり、ラーダはソビエトと同じく評議会を意味する普通名詞なのである。

余計な知識獲得はそれくらいにして、驚いたのはウクライナの民族楽器バンドゥーラの演奏がスターリンによって弾圧されたことである。また奏者は視力障害者であることが多かった。バンドゥーラの禁止と時を同じくしてスターリンによる食料強奪のためのウクライナ人大量餓死「ホロドモール」も起こっている。

民医連の集会でもよく演奏しているナターシャ・グジーさんは「バンドゥーラ奏者・歌手」と表記されているが、バンドゥーラを演奏することはそのように政治的・歴史的な背景があった。グジーさん自身がそう語るのは聞いたことがなかったが。








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仕事を投げ出したい人もいる

行き詰まりは、日当直やそれを補佐する待機が組めなくなることから始まる。日当直はその手当を増やせば紹介業者経由の人をいっとき確保できるので、手当600円の常勤の待機に穴が開くことのほうが先行して現れる。目の前のつまらない課題で大きな声を出し合っていれば、そのことが直視できない。計画を組む担当の医局秘書だけが仕事を投げ出したい気持ちになりながら危機を早期に察知するのである。
滋賀や栃木のように、センター病院を持たない診療所群に戻ればまた安定はするのだが。

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2022年10月 4日 (火)

教訓


「世間はけっして喧嘩をふっかける相手ではなく、新しい味方を探し出す広場だ」

なお世間は人権意識を身に着けて社会化された個人からなる市民社会とは違う。
世間には利己と虚栄とメンツが渦巻くのだが、率直に言葉と行動の一致を求めるので、そこでは本当の価値が問われる。

と僕の解釈ではこうなることをカフカがノートに書き付けていたらしい。

それ自体がカフカエスク。

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今日のダジャレ


夕方、終日の外来を終えてようやく人の数の少なくなった病棟に足を向ける。

南宇部のフクロウは迫りくる黄昏に飛び立つのである。

残念ながら南宇部という地名はないが、何かが終わろうとしているのは間違いない。

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