複雑な現実の中ではどのような言明も暫定的で不確かさを残しているというものではないだろうか。自ら作成したものをこれが科学だ、だから学べ、つまり疑問を持つなというのは知的に誠実で、知的に劣化していない態度と言えるのだろうか。
「集団の叡智で『練り上げた』」というのが多勢が無勢を押しつぶすような威圧感も感じさせる。
以下の言い方はこれまで何度も見てきたもので今回初めてというわけではないが、時の推移とともに、「公認された科学」というものに多くの人は疑問を感じるようになっていると思う。基本的に、謙虚で、自己の誤りの可能性に虞れを抱いている発語に人々は信頼を寄せる。
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