なぜ生活支援やソーシャルワークが医療の構造の土台?
なぜ生活支援やソーシャルワークが医療の構造の土台だと自分が主張したかを考え始めると、あまり明瞭な根拠がないように思えてきて不安になった。もう一度考え直してみたい。
「構造とは土台と上部構造の二項対立のこと」とするのはマルクスが言ったことを真似た比喩にすぎないが、見方によっては社会構成体の全部の層をそのような二項対立の入れ子構造として理解することもできるというのがまず最初。
そこで医療の構造として、社会保障や生活支援を土台、医療機関を上部構造としたのだが、歴史的には共同体と医療は分離し難いものだったはずである。病気の時の支援行為のない共同体は存在しなかったのではないか。
医療が医療機関に独占された時、つまり「病院の世紀」になった時に初めて両者が分離し、片方が土台に見えるようになったのである。
病人が医療機関にアクセスできなければ医療が始まらないとすれば、病人を病院に届けるもの、さらに医療機関の利用を継続させるもの、つまり社会保障や互助による生活支援が土台に見えるというだけである。
ここでは柄谷行人のいうABCDの交換様式を社会構成体の土台にする考え方を採用するとより説明しやすくなる。
医療は共同体による互助や、国家による社会保険や社会保障、資本によるサービス販売を割合はそれぞれ大小があるとしても土台にして成り立っている。この土台部分を調整するのがソーシャルワークと言える。
それを踏まえて「病院の世紀」の中であえて病院の外にある土台を重視し、そこにおいて民医連医療の特質を際立たせるべきだと言ったのだが、その主張は医療の社会化論、つまり医療の社会的共有論として100年前くらいから存在しており、別に目新しいものではない。
医療の構造を今更ながら考え、何かしらの主張に仕立てる必然性はあるのだろうか、あるとすればなぜなのだろうか。ただ改めて思い出したとするのではなくて。
おそらくずっと求められている、あるいは追求している共同体の再建、創設に、「病院の世紀」の構造とは違う医療の新しい構造を打ち立てることが重要だからだろう。
つまり、もともと医療は共同体の中に埋め込まれ得て渾然一体のものだったのが蘇ってくるということである。
「病院の世紀」特有の医療構造と、「病院の世紀」を脱した時代の医療構造 からなる新しい二項対立を考える過渡期がいまだと思う。
簡単に言うと、「病院の世紀」のように医療機関が生活の外にあるのではなく、医療機関もなくなって生活の中に医療が埋め込まれた(embedded)状態を、想像できる状態。
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