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2022年7月 4日 (月)

柄谷行人氏講演会 柄谷行人さんに聞く 〜疫病、戦争、世界共和国〜

7.3日曜日は 國分功一郎司会、齋藤幸平コメンテーターの「柄谷行人氏講演会 柄谷行人さんに聞く 〜疫病、戦争、世界共和国〜」をウエビナーで視聴した。最初は柄谷氏が認知症になっていたのかと思ったが。実はそうではなかった。無駄なことを一切話したくなかったのだ。ただ昔話を語りたくなる年齢にはなっている。

以下はそれを聞いての僕の勝手なメモ

〈気候危機への姿勢と結果〉
1:無為無策による失敗
2:イーロン・マスクら資本家だけの生き残り策による失敗
3:国家統制で、国民の協力を失ったうえでの失敗
4:脱成長コミュニズム目指す苦闘後の失敗
5:手酷い失敗のあと、4の反響の中、再建の努力が始まる

柄谷行人は「とんでもなく酷いことになると思っている。みんないろいろ言っても気候変動のもたらす災厄の中で転向するんだ、きっと。しかし、運動することを無意味だとは言わない」と言っていた。
実現の見込みはなくても理性を貫いて行動することを「統整的」と呼ぶのだろう。木下順二も戯曲「沖縄」の中で似たようなことを言っていた。

つまり失敗の仕方の中に未来がある。東洋的だ、なんとも。

(物神化と力〉
商業資本主義1ー産業資本ー商業資本主義2=金融資本主義。貨幣を神と崇める、つまり物神化はこの最後の段階で現れる。
貨幣が神と崇められるつまり貨幣が力を持つのは、国家が力を持つのに似ている。その時.国家の力を交換(掠奪的支配と保護の交換)に求めたホッブズをマルクスは参照した。貨幣の力はやはり交換様式から来る。自然と人間を含めた全てを商品として交換できる力が貨幣に与えられた。
交換様式はどの交換様式でも物神化という形式で力につながる。
国家の力、貨幣の力、贈与の力、全部そう。
それは亡霊みたいなものだから「社会化(ばけ)学」と冗談ながら呼びたい。宗教との間にはっきりと区別がありるものではない。

未来の展望
国家にも資本にも繋がらない贈与に基づく共同体運動を続けていると、それが敗北した後に、その木霊として、あるいは回帰として未来は向こうから来る。

〈気候危機とコミュニズム、憲法9条と江戸時代、憲法と天皇〉○結局、柄谷行人の考えは、第2次大戦の無残な敗北のあと、日本国民が何もしない内に憲法9条が向こうからやってきて自らを実現したように、気候危機においても、やはり人類が無残な状況に追い込まれたあと、逆らいがたいものとしてコミュニズムが向こうからやって来て自らを実現するというものである。だが、その条件として気候危機にたいして、いくら無力ではあったとしても理性的な努力を続けていたことは挙げられる。

憲法9条も江戸時代という平和への努力が反響してあるいは回帰する形式で、逆らい難く成立したものである。

それから、護憲運動をしようとしまいと、もう一度戦争して負けてしまえば、結果として否が応でも9条をもう一度国民かかならず選び直すとも言っている。冗談かも知れないが。

○憲法において1条の天皇と9条の平和主義は対を成しており、日本歴史に貫かれる天皇と政治権力の伝統的なあり方に従ったものとなっている、つまり現憲法の原型は江戸時代にあるともし柄谷が言ったとしたら、一つの冗談あるいは右翼改憲派対策だったろう。「天皇を政治権力の伴う元首にすることは万世一系の天皇を戴く日本のあるべき姿ではない」と右翼を諭すため。

事実としてはマッカーサーの構想によって両者は相補的だったようではあるが。







 

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