父の一周忌
6月30日夕方、いつものように2階の一般病棟、3階の地域包括ケア病棟、4階の療養病棟の順に自分が主治医になっている合計20人の患者さんのベッドを回った。一般病棟がちょうど10人で、療養病棟は4人だけだった。
回診を終えた後、ふと気が向いて4人部屋の405号室に立ち寄ってみた。
そう、1年前もこうして、そこのベッドに寝ていた父の顔を見て帰ったのだった。
主治医として父の呼吸停止を知らせる電話を受け取ったのは翌7月1日の早朝だった。すぐに駆けつけると当直医のS君が心臓マッサージをしてくれていた。
どうしますかと訊かれて、気管挿管して人工呼吸をすると答えたのはできれば1日位は息子として生きている父の傍にいたかったからだが、当然のように回復した心拍は30分間と続かなかった。その間だけは医師としてではなく付き添ったが、死亡時刻を確認して診断書を書くのも自分の役目だった。
それから息子に手伝ってもらいながら、ほぼ僕一人だけ参加の葬儀の準備をした。東京にいる妹をはじめとして来ることは叶わない親族に電話して、医療生協の総務部にはただの休みとして扱って弔事連絡や花を送るなどはしないように頼んだ。お経を頼まず宗教的なことを一切しなかったので葬儀屋さんを戸惑わせることにもなった。後日、叔父に院号と戒名を知りたいと電話で訊かれ、もとよりそんなものはないと答えると絶句されてしまった。父は一代限りの村の鎮守の神主で、80歳の時「神社本庁」に招かれて表彰されて喜んだことを叔父は忘れていたのだろう。この表彰には僕は無関心で、神社関係を嫌わない妹夫婦が付き添った。
思い出すと全て淡々とし過ぎた成り行きだったようだが、まだ一周忌の行事をする目処も立たないためか、昨夜はありえないような悪夢を見た。
とは言え、この時期に直接死亡を見届けられたのは普通の人には考えられない幸福なことだった。総務部も優秀で、葬儀を終えて出勤した日に誰からも声をかけられなかったのは助かった。
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