夏の夜の怪談
古い約束を壊そうとするものは殺される。
殺すのは死んだ2000万の人たち。
姿は見えないが
木星が輝く黒い空の向こうに彼らはひしめきあって
引きずりながら歩くドサッドサッという音が
聞こうと思えばいつも聞こえる。
古い約束を壊そうとするものは殺される。
殺すのは死んだ2000万の人たち。
姿は見えないが
木星が輝く黒い空の向こうに彼らはひしめきあって
引きずりながら歩くドサッドサッという音が
聞こうと思えばいつも聞こえる。
講談社のブルーバックスで電磁気学をちょっと勉強してみようと思うと、「過去に電磁波を送る電荷がある」という話から始まる。
つまり未来からの信号を受け取るということである。一年前くらい読んだSFを思い出す。
TVの画面が勝手につくとどう逆らっても「入」のボタンを押させられてしまうリモコンを手渡されるというようなことである。
やがて未来からのメッセージが映し出される。そのあと僕の手が勝手に動いてリモコンをonにしている。「これは1年先の未来から送っている。気温が急上昇して1ヶ月の熱中症死者が1万人になった」
いや、これは今のことかも。
マーガレット・アトウッドが小説で何をしようとしているかだんだん分かってきた。
カナダないし北アメリカの女性の苦難の歴史と近未来を描き出すこと。
歴史に終わらず近未来に及ぶというのが彼女のすごいところだ。
2022年7月10日の参議院選挙は新潟で野党統一候補が敗れたのが衝撃的だった。新潟では前年10月31日の衆議院選挙で6選挙区中4つで統一候補が勝利し、それを受けた雑誌「前衛」22年1月号佐々木 寛(市民連合@新潟 )インタビューでは市民連合がボトムアップで政策作成を担い野党を牽引する「新潟モデル」が鮮やかに語られていたからである。
地方自治においても新潟は先駆的なところだった。例えば07年に政令指定都市になった新潟市においては行政区単位の「区自治協議会」が作られた。大合併の上越市では合併前の区域ごとに公募公選方式の28地域自治区が設置された(「日本の科学者」22年5月号 岡田知弘)。私はこれらを知って、地方自治体の最小単位が「基礎自治体」だという従来の定義を超えて、地域自治区や医療生協、消費生協、企業グループなどの相互作用が「基礎自治体」群として自治体のあり方を大きく変える動的な構造を心に描いた。開かれた形態で民主的な運営がなされ非営利指向であれば基礎自治体と呼んでいいのではないか。
しかし、雑誌「民医連医療」22年7月号の岡田知弘さんの連載によると新潟市の自治協議会は相当大きく後退している。類似の浜松市も同様である。
何事も直線的には進まないというが私の今の気持ちだが、明るい話題もある。6月19日に杉並区長に当選した岸本聡子さんの著書「水道、再び公営化! 欧州・水の闘いから日本が学ぶこと」(集英社新書20年)を読むと、グローバル権力を恐れず「ミュニシパリズム」(市民の直接参加と国際連帯に重点を置く地方自治体運動)を掲げて前進するヨーロッパの実態がよく伝わる。また「前衛」8月号の印鑰(いんやく)智哉さんの「食糧危機のその真相と解決策」を読むと病院や学校も参加する市民参加の「地域食料政策協議会」が提案されている。すでに「気候市民会議」がエネルギーを見据えて世界各所でスタートしている。今後、水・食料、ケア・教育・災害などをともに考える各種市民会議が加わって広範な「基礎自治体」群を形成し、地域循環経済を回す未来が見えてくる。
しかし、考えれば21衆議院選挙も22参議院選挙も終盤は陰惨な暴力に塗れた。それもまた一つの出発点である。
7.3日曜日は 國分功一郎司会、齋藤幸平コメンテーターの「柄谷行人氏講演会 柄谷行人さんに聞く 〜疫病、戦争、世界共和国〜」をウエビナーで視聴した。最初は柄谷氏が認知症になっていたのかと思ったが。実はそうではなかった。無駄なことを一切話したくなかったのだ。ただ昔話を語りたくなる年齢にはなっている。
以下はそれを聞いての僕の勝手なメモ
〈気候危機への姿勢と結果〉
1:無為無策による失敗
2:イーロン・マスクら資本家だけの生き残り策による失敗
3:国家統制で、国民の協力を失ったうえでの失敗
4:脱成長コミュニズム目指す苦闘後の失敗
5:手酷い失敗のあと、4の反響の中、再建の努力が始まる
柄谷行人は「とんでもなく酷いことになると思っている。みんないろいろ言っても気候変動のもたらす災厄の中で転向するんだ、きっと。しかし、運動することを無意味だとは言わない」と言っていた。
実現の見込みはなくても理性を貫いて行動することを「統整的」と呼ぶのだろう。木下順二も戯曲「沖縄」の中で似たようなことを言っていた。
つまり失敗の仕方の中に未来がある。東洋的だ、なんとも。
憲法9条も江戸時代という平和への努力が反響してあるいは回帰する形式で、逆らい難く成立したものである。
それから、護憲運動をしようとしまいと、もう一度戦争して負けてしまえば、結果として否が応でも9条をもう一度国民かかならず選び直すとも言っている。冗談かも知れないが。
○憲法において1条の天皇と9条の平和主義は対を成しており、日本歴史に貫かれる天皇と政治権力の伝統的なあり方に従ったものとなっている、つまり現憲法の原型は江戸時代にあるともし柄谷が言ったとしたら、一つの冗談あるいは右翼改憲派対策だったろう。「天皇を政治権力の伴う元首にすることは万世一系の天皇を戴く日本のあるべき姿ではない」と右翼を諭すため。
事実としてはマッカーサーの構想によって両者は相補的だったようではあるが。
木下順二がいくつかの戯曲の中で使った「どうしても取り返せないものをどうしても取り返す」というセリフ。侵略戦争に対する深い悔恨と一般的には解釈されそうだが、そこにとどまるものだろうか。
柄谷行人が次のように言っている統整的理念に相当するのではないだろうか。柄谷によれば憲法9条もコミュニズムもそういった統整的理念なのだ。
そういうものは僕らが膨大な努力を費やして敗北したあと、逆らい難い形で「贈与と互酬」の高次な回帰として実現する。
『カントが理念を、二つに分けたことが大事だと思います。彼は、構成的理念と統整的理念を、あるいは理性の構成的使用と理性の統整的使用を区別した。構成的理念とは、それによって現実に創りあげるような理念だと考えて下さい。たとえば、未来社会を設計してそれを実現する。通常、理念と呼ばれているのは、構成的理念ですね。それに対して、統整的理念というのは、けっして実現できないけれども、絶えずそれを目標として、徐々にそれに近づこうとするようなものです。カントが、「目的の国」とか「世界共和国」と呼んだものは、そのような統整的理念です。』
今日、他の医師が付けた病名「周期性四肢麻痺」を眺めながら考えた。
べつに発症に周期があるわけでもないし、本当の麻痺でもない。
つまり古い時代の残念な病名なのだ。
残念な病名は実はたくさんあるのだろう。
悪性貧血、重症筋無力症とか。
「自民」や「公明」や「維新」も実態とかけ離れる残念な党名である。しかし、「病」を後ろにくっつけると、立派に日本社会の疫病として通じるところが生きている病名として偉い。
6月30日夕方、いつものように2階の一般病棟、3階の地域包括ケア病棟、4階の療養病棟の順に自分が主治医になっている合計20人の患者さんのベッドを回った。一般病棟がちょうど10人で、療養病棟は4人だけだった。
回診を終えた後、ふと気が向いて4人部屋の405号室に立ち寄ってみた。
そう、1年前もこうして、そこのベッドに寝ていた父の顔を見て帰ったのだった。
主治医として父の呼吸停止を知らせる電話を受け取ったのは翌7月1日の早朝だった。すぐに駆けつけると当直医のS君が心臓マッサージをしてくれていた。
どうしますかと訊かれて、気管挿管して人工呼吸をすると答えたのはできれば1日位は息子として生きている父の傍にいたかったからだが、当然のように回復した心拍は30分間と続かなかった。その間だけは医師としてではなく付き添ったが、死亡時刻を確認して診断書を書くのも自分の役目だった。
それから息子に手伝ってもらいながら、ほぼ僕一人だけ参加の葬儀の準備をした。東京にいる妹をはじめとして来ることは叶わない親族に電話して、医療生協の総務部にはただの休みとして扱って弔事連絡や花を送るなどはしないように頼んだ。お経を頼まず宗教的なことを一切しなかったので葬儀屋さんを戸惑わせることにもなった。後日、叔父に院号と戒名を知りたいと電話で訊かれ、もとよりそんなものはないと答えると絶句されてしまった。父は一代限りの村の鎮守の神主で、80歳の時「神社本庁」に招かれて表彰されて喜んだことを叔父は忘れていたのだろう。この表彰には僕は無関心で、神社関係を嫌わない妹夫婦が付き添った。
思い出すと全て淡々とし過ぎた成り行きだったようだが、まだ一周忌の行事をする目処も立たないためか、昨夜はありえないような悪夢を見た。
とは言え、この時期に直接死亡を見届けられたのは普通の人には考えられない幸福なことだった。総務部も優秀で、葬儀を終えて出勤した日に誰からも声をかけられなかったのは助かった。
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