無低診の起源は大逆事件
「無料低額診療」はあまり知られていない。生活保護基準は超えるがなお低収入で医療から遠ざけられている人を対象に自己負担分を免除・減額できる制度である。
患者さんの自己負担分を請求しないでおきたいと思うことは臨床の場では多々ある。患者さんがお金に困っているのが伝わる時や、張り切って高額の検査を実施したものの異常所見がなかった時などなど。
しかし保険診療では許されない。「過不足なく徴収」という規則がある。だが「無料低額診療」を県に届け出ればそれが可能になる。いや、後者の場合は単純に医師が自分のヤブぶりを反省しないといけないのだが。
社会福祉法人ではない一般の医療機関ができる福祉事業(第2種事業)で、山口県でも12の病院・診療所が実施している。うち6箇所が民医連である。
ただし、費用は医療機関の持ち出しとなるので、免除の基準も規模も積極性も医療機関によって違う。12ヶ所が実施と言っても全県医療機関の0.6%にすぎず、住民全体をカバーするにはまだまだ遠い。
もとをたどれば大逆事件1911年である。明治天皇の下賜金で翌年に済生会が設立され、この一民間団体が地方行政に無料医療券の配布を委嘱するという奇妙な制度が始まった。戦後に社会保障が次第に整備されるなかでも無料低額診療として残った。とはいえ、なんども「役割を終えた」と言われ、そのくせ制度の隙間となるホームレスや外国人の診療では体よく利用される忘れられた制度だった。
潮目が変わったのは2008年に全日本民医連が格差と貧困の凄まじい拡大に対峙する窮余の一策としてこの制度に注目した時である。こぞって無低診に取り組もう。この方針を提示された当初、僕は患者側が決定に不満を言う権利もないことを危惧したが、実はもっと深い二つのことの始まりだったと、昨年「地域福祉室」を作ってから初めて気づいた。一つは「ソーシャルワークを基礎にした医療」に医療が変身する入り口、もう一つは「医療生協が『新たな基礎自治体』になる」という未来である。難しい話になったので続きは次回に。
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