ホッブズ、ルソー、ロールズ
ホッブズのいう人間は実存的な賭けに出る人間である。
お互い武器を持ち殺しあえるのに、自分が武器を捨てれば相手も捨てるだろうと武器を捨てるような、思い切った決断に飛び込んでいく人間。
投企 projetとかアンガージュマン engagement、コミットメントという言葉が自然に思い出されるし、日本国憲法9条にも似ている。
そこから社会契約が始まる。ホッブズほど人間を無条件に信じたものはいないというのはそのことである。
これに対し、ルソーやロールズのいう人間は、利己的な凡人である。
利己的な人間がどうして、社会の原理である正義に辿り着き、そこから社会を作っていくかを彼らは考えた。
発見してみれば「公正としての正義」という実に簡単なことだった。
しかし、それは近代社会という狭い範囲の中の正義であり、社会契約でしかない。
自然と人間の物質代謝の中での社会契約や正義は、また次元の違うものとして存在する。
ただ、それもまたロールズの考えた「ヴェールを被せられた状態」=原初状態という仕掛けで考える事ができるはずだ。
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