長い間わからなかったこと(重田園江「社会契約論」ちくま新書を読みながら)
「公正としての正義」という言葉をこれまでごく曖昧に考えていた。
人間や社会にいろいろ大事なことがある中で「公正」を最も大事なこととして正義の代表とする、というような感じかな。
実はそうではなかった。種明かしをすれば本当に簡単なこと。
だが、ことは人間と正義のあいだの本質的関係である。
ルソーが人間が社会を作るときの原則にする「一般意志」を「正義」に置き換えて、正義をどう説明するかという問題である。
そのロールズによる解釈こそが「公正としての正義」だった。
自分の現状にヴェールを被せられた状態では、人は必ず最悪の不利を自分に押し付けられないために貧者にも富者にも公正なルールを選ぶ。自分が大金持ちだと考えるのはヴェールを取り去ったときのリスクが高いからである。その時の人間は別に道徳性に優れているわけでも賢いわけでもない、平凡な人である。
つまり一般的な人間は「誰もが不利にならない公正な状態」を正義として選択するようにできている。
だから正義は公正であることであり、そのような正義を「公正としての正義」と呼ぶのである。
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