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2022年5月 6日 (金)

國分功一郎「暇と退屈の倫理学」

没落する日本で僕ら老人は退屈させられている。
高齢労働に頼らないと社会が回らないから働かされて暇ではない。
だが退屈だ。
忙しさの先に何も見えないからである。
そこで学会講演のアーカイブを見たり、医学雑誌を読んでノートを作ってみる。
だがそれも若い医師にとっては常識に属することである。膨大なノートを作ってみたところで常識程度のことを知っている老医師になれるだけでしかない。
出来ることはそういう存在である自分を外から眺めて面白がる事だけである。
それが僕らに許された唯一の気晴らし。
老人になって初めて得られる自由とは、結局自分に可笑しさを感じることだ。103541_l

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