伴走型支援と公正世界仮説
今日は短い文章を2つ書いた。
その中でも短い方。
健康のひろば 原稿 2021年5月
昨年11月に地域福祉室がスタートして早くも半年が経過した。日常診療のなかに「社会的処方」を差し挟むレベルを超えて、貧困と孤立に対する「伴走型支援」自体を業務とする部署を設置したことで私達が発見する法人周囲地域の印象はそれ以前とは全く異なる。
それまでは秋吉台のドリーネのように貧困が散在して口を開けているように思えていたが、今では貧困が空気のようにあらゆるところに存在することを肌で感じる。やはり、それなりの組織的な構えなしには目の前のことも脳の中に像を結ばないのだ。
しかし、その同じ脳のなかに別の厄介な仕組みがあることにも気付かされる。自己防衛的に被害者を攻撃する心理である。「自己責任論」とも名付けられるが、心理的に根深く、職員や組合員の伴走的支援の大きなブレーキになるものである。
別の勉強をしていて偶然知ったことだが、これは心理学では「公正世界仮説」と呼ばれる。貧窮に陥った人、暴力の被害者などに対して、自らの無力感や支援に必要な膨大なエネルギーの提供から逃げようとして「ひどい目に遭うのは遭う方も悪いのだ」と思い始めるメカニズムであり、善良な人がなぜ残酷になれるかを説明する有力な理論である。
公正世界仮説に通じるものとして「凡庸な悪」という言葉がある。600万人のユダヤ人虐殺の実行責任者アイヒマンを捕まえてみると、上司の命令に従順な平凡な小役人だったところからなづけられた。私達は決して「凡庸な悪」に陥ってはならない。つまり「伴走型支援」という私達の新たな試みは、この心理を克服する人類史的な挑戦でもある。
| 固定リンク
コメント