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2月24日ロシア軍が一斉にウクライナに侵攻したというニュースを聞いた時、いくつかの歴史的事件が頭をよぎった。1968年のソ連のチェコ侵攻、1938年のナチス+ソ連のポーランド侵攻、1931年の日本による満州侵略。とりあえず加藤周一「言葉と戦車」を引っ張り出した。しかし、チェコ事件ではソ連戦車も発砲せずチェコ側も無抵抗に徹していたので死者はごく僅かだったのに対し、今回の侵略はたちまちに大戦争となり死者が日に日に夥しい数に上っていった。「言葉と戦車」は参考にならなかった。そのうち、ロシア側はこの侵略を国連憲章51条の個別的自衛権・集団的自衛権の行使だと言い出し、安保理事会の非難決議に拒否権を行使した。3月23日日本の国会演説でウクライナ・ゼレンスキー大統領が国連の機能不全を指摘したとき、それは全く正しいと思えた。
日本国憲法が国民の安全と生存の保持を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依拠し9条の戦争放棄、戦力放棄として具体化しているのもひとえに国連への信頼が前提である。今のままの国連では憲法も空証文に過ぎない。いちはやく雑誌「前衛」5月号で森原公敏氏が「国際結集の旗印は「国連憲章」を守れだ』と言っているのに共感するが、単に「守る」というより、森原氏も強調しているように旧植民地諸国を最大の推進力とした国連の変革が必要だ。同時に、雑誌「現代思想」3月号で憲法学者青井未帆氏が示唆している「国家安全保障でなく人権+平和の『人間の安全保障』」を世界政治の優先原理にするという構想が急に現実的なものと思えてきた。これこそが日本国憲法の示す真の方向であり、今後の気候危機に対峙する基本姿勢ではないのか。
さて、その後ロシア軍によるウクライナ市民大量虐殺が明るみに出て、事態は1930年代の日本軍に酷似してきた。百年経て変わらない人間の残虐さを考えていると、野田正彰「戦争と罪責」1998年岩波書店にぶつかった。後に民医連に加わる湯浅謙医師が中国で生体解剖を繰り返して手術の腕を上げたという話から始まる本である。
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