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2022年4月23日 (土)

「図書」4月号を開くと平野啓一郎さんの文章


岩波書店の無料の宣伝誌278760789_4969185579830823_7069067079459 278792574_4969185529830828_8887483858044 「図書」4月号を開くと平野啓一郎さんの文章 がある。書かれたのはずっと前だろうが、なぜかウクライナ侵略戦争の今を見抜いたような主題である。

 

近代以降の政治空間の底にはいつまでも掛け値なしの戦闘、つまり殺し合いという荒涼とした岩場があるということは今回の事態で明らかになったが、そうである限り、私達の人生は不可抗力に縛られるばかりで、自由はついに存在しないのである。

 

阿部一族の乱も、乃木希典夫婦の自死も、近くにあった大戦争のちいさな余波に過ぎなかった。
さらに現代ではその戦闘の核にあるのは文字通り「核」である。

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2022年4月21日 (木)

2022.4.23 医療生協健文会理事会 あいさつ

2022.4.23 医療生協健文会理事会 挨拶           

 

総代会が間近になり、新しい方針、新理事会選出や、さらにその後の役員体制についても考えなくてはならない気ぜわしい時期になりました。今日も熱心なご討議をお願いします。

 

2006年に理事長に就任して16年間毎月欠かさずこのような挨拶を続けてきましたが、今回で終わりにいたします。長い間、我慢して耳を傾けていただいたことにお礼を申し上げます。

 

2006年の最初の理事長挨拶では、レーニンを引用しました。ソ連は労働者と農民という相異なる二つの階級のごくごく脆い同盟の上に成り立っているものであり、その同盟が崩れるとソ連は簡単に崩壊するだろうというレーニンの予言でした。

医療生協は市民の一部である医療生協組合員と、医療の専門家である職員という立場の異なる二つの人々の相互のリスペクトの上に立つ「同盟」だという当時の私の認識の表現でしたが、その同盟関係が前進したかどうかいつか検証してみないといけないと思ってはいます。

 

ソ連について言えば、レーニン死後のスターリンによる労農同盟の破壊、農民からの過酷な略奪によって社会主義には無縁の強権的抑圧社会に変質していったのですが、1980年代ゴルバチョフの時代に社会主義に立ち戻る一瞬のチャンスがあったかに思います。もちろんそれは失敗して、現状維持どころかソ連まるごと消滅したのですが、もしもソ連が少しでも「人間の顔をした社会主義」の方向に再生できて、資本主義とは違う原理の労働者国家らしさを発揮していれば、その後の新自由主義の跋扈によるこれほど残酷な格差、さらに今回のウクライナ侵略もなかったかもしれないと思います。歴史のチャンスの窓は本当に狭い、それは気候危機にもよく当てはまると言うのが実感ですが、これについては、挨拶の最後にまた触れます。

 

ここで、ちょっとウクライナ問題から離れて、私が考えてきた医療観について、最後の機会ですから、ごく簡単にご紹介しておこうと思います。

来年度の方針にも幾分か関係して来るからです。

それが資料1です。模式的に言えば、マックウィニーさんという偉大な家庭医療の創始者がカナダで確立した「患者中心の医療」と、マーモットさんという世界医師会長も務めた偉大な疫学者の発見した「健康の社会的決定要因」SDHの組み合わせからそれは成り立っています。

自分たちの医療を「患者中心の医療」と言うには4つの要因を満たさないといけません。一方、SDHというのは、乱暴に言えば、健康や病気を決める原因の7割は貧困と孤独なのだという発見です。

ここで私が独自に加えたものは、「患者中心の医療」4要因のなかで、持続的に深めていくべきとされる「良好な医師―患者関係」をより深めて、「ソーシャルワークと医療生協組合員の互助の2つの要素からなる継続的な支援」つまり「伴走型の支援」として構想したということです。

つまり、すべての医療介護活動をこの「伴走型支援」の基礎の上に築くというのが、現在の私の医療観です。

 

それは「支援・相談活動」というものは、「地域福祉室」と「組合員活動委員会+支援部」の組み合わせで、一個の独立した事業に準じるものとして成立しうるという確信に繋がりました。

貧困や孤独に遭遇した人に、この組み合わせによって制度・制度外の境界を超えた支援をまんべんなく提供することで、山口県全域に医療生協活動を広げていけるのではないでしょうか。

その手始めに山口市事務所を作るという発想も「地域福祉室と組合員活動委員会+支援部の分室」がすなわち市事務所であるというものでした。

 

視点を変えると、この県内全域目指した展開は今どうしてもやらなければならないという別の側面があります。

ここで、資料2をご覧いただきたいと思います。4月20日の何ということはない朝日新聞の記事ですが、医師獲得がこの時代にいかに難しいかということが読み取れる記事になっています。

実は、私としては、このまま所属医師の高齢化だけが進行すれば、もはや医師や歯科医師がいない医療生協事業という「プランB」を準備しておかなければ行けないと真面目に思っています。しばらく前からそういう事態なのですが、そうだとしても「プランA」つまり若手医師を増やして県民に信頼される病院・診療所を広げていくは本当にできないのかということを力の限りやってみるのは当然のことです。

焦ることなく、患者中心の医療を地道に深めながら、土台になるソーシャルワークと住民間の互助を強化し、地域循環経済の一員としての自覚を深めていけば、私達の運動に加わる若手医師はたとえ遅々たる歩みに過ぎなくても必ず大きく育つと思います。

その働きかけは宇部だけに限っていては到底だめです。山口でも下関でも萩でも徳山でも岩国でもやっていかなければなりません。そのときまず拠点になるのが山口市事務所なのです。

 

最後にウクライナ問題に戻ります。

資料3にお示ししたのは今週の山口民報から連載してもらうことになった私のエッセイの第一回目です。

「健康のひろば」に書くことももう無くなるので山口民報さんにお願いしました。たった800字のものですから改めて解説はしませんが、じつはすでにひとつ間違いを犯したと思っています。

ロシアの侵略が始まったとき、1968年のソ連のチェコ侵略のさいに書かれた加藤周一さんの「言葉と戦車」という文章を思い出しながら、結局今回は役に立たなかったと書いてしまったことです。

しかし加藤さんはこう書いているのです。

「言葉は、どれほど鋭くても、またどれほど多くの人々の声となっても、一台の戦車さえ破壊することができない。戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することさえもできる。しかし、プラハ街頭における戦車の存在そのものをみずから正当化することだけはできないだろう。」

1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。」.

と加藤さんは書いています。まさに戦車と言葉が向き合って拮抗していた当時のチェコスラバキアの状態をよく表しているものと思えます。

しかし、いま、目をウクライナ一国内に留めず、世界的規模で考えれば、いまこそ、国連がロシアーウクライナ間の講和に向けて動かなければならない時ではないでしょうか。少なくともプーチンを失脚させろ、ウクライナ軍そこでミサイルを放て、と後ろから言っている場合でなく、ウクライナが不正急迫の侵略に対し勇敢に戦い善戦して凌いでいるいまこそ世界が講和に動く、その中心に国連の圧倒的多数を占める第三世界、旧植民地諸国が立つべきだと言うことができます。

その状況はやはり「言葉」と「戦車」が厳しく対峙しているしか言いようがない。50年以上前の加藤周一さんの言葉は今も輝いて生きているのだと改めて思います

同時に、旧植民地諸国が平和達成の中心的役割を果たすためには、日本を含む先進国からそれらの国への平和的支援を惜しまずやるべきだということにもなります。

そのようなウクライナ情勢の捉え方をご紹介して、私の最後の挨拶を終わります。重ねてお礼申し上げます。

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2022年4月18日 (月)

国連のロシア非難決議もまさに戦車に対峙する言葉だった


昨日のしんぶん「赤旗」。「侵略を止めるのは真実の報道」と。
1968年のソ連によるチェコ侵略のさい、加藤周一は「言葉と戦車」の対峙を見抜いた。つまり「言葉VS戦車」である。
「言葉は、どれほど鋭くても、またどれほど多くの人々の声となっても、一台の戦車さえ破壊することができない。戦車は、すべての声を沈黙させることができるし、プラハの全体を破壊することさえもできる。しかし、プラハ街頭における戦車の存在そのものをみずから正当化することだけはできないだろう。」

「1968年の夏、小雨に濡れたプラハの街頭に相対していたのは、圧倒的で無力な戦車と、無力で圧倒的な言葉であった。」

その図式は今回のウクライナ侵略には当てはまらないと思っていた。ゼレンスキー大統領が各国議会で見事な言葉を駆使しているのは戦車を求めるためである。「言葉and戦車」あるいは「言葉から戦車」といっても良い。

しかし、この記事を読むと「言葉VS戦車」の構図が、加藤の時代はチェコスロバキア一国内だったことを超えて、いまは世界規模で成り立っているのだと思いなおした。その言葉がロシア国内に伝わるとき侵略の手を縛ることができる。 278775821_4957104427705605_4964960506711 51pgdjxpohl_sy291_bo1204203200_ql40_ml2_

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2022年4月13日 (水)

調子に乗って生体解剖を医学教育に使おうなどと

大抵の人は「市民を無差別に殺せ」と命令する立場にはならない。
「殺さなければお前を殺す」と脅かされる立場に突然なることはありうる。ウクライナに派遣されたロシア兵の運命もそう数奇なものではない。
そのとき、「殺されてもいいから、その命令には従わない」という人間を一人でも多く作るために平和教育はあるのだろうか。
中国で虐殺をほしいままにしながら日本に帰国した兵士の告白はもう聞けないから、せめてその手記を読めばそういう人間になれるのか。

それも間違いではないだろうが、脅かされれば殺してしまう、

大抵の人は「市民を無差別に殺せ」と命令する立場にはならない。
「殺さなければお前を殺す」と脅かされる立場に突然なることはありうる。ウクライナに派遣されたロシア兵の運命もそう数奇なものではない。
そのとき、「殺されてもいいから、その命令には従わない」という人間を一人でも多く作るために平和教育はあるのだろうか。
中国で虐殺をほしいままにしながら日本に帰国した兵士の告白はもう聞けないから、せめてその手記を読めばそういう人間になれるのか。

それも間違いではないだろうが、脅かされれば殺してしまう、調子に乗って生体解剖を医学教育に使おうなどと思いつくようなつまらない人間だから、必死にそういう事態が地球上に生まれないようにするのが平和運動ではないだろうか。

 

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2022年4月12日 (火)

最近のまとめ 800字で

278501337_4941976525885062_5308322089394 224日ロシア軍が一斉にウクライナに侵攻したというニュースを聞いた時、いくつかの歴史的事件が頭をよぎった。1968年のソ連のチェコ侵攻、1938年のナチス+ソ連のポーランド侵攻、1931年の日本による満州侵略。とりあえず加藤周一「言葉と戦車」を引っ張り出した。しかし、チェコ事件ではソ連戦車も発砲せずチェコ側も無抵抗に徹していたので死者はごく僅かだったのに対し、今回の侵略はたちまちに大戦争となり死者が日に日に夥しい数に上っていった。「言葉と戦車」は参考にならなかった。そのうち、ロシア側はこの侵略を国連憲章51条の個別的自衛権・集団的自衛権の行使だと言い出し、安保理事会の非難決議に拒否権を行使した。323日日本の国会演説でウクライナ・ゼレンスキー大統領が国連の機能不全を指摘したとき、それは全く正しいと思えた。

日本国憲法が国民の安全と生存の保持を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に依拠し9条の戦争放棄、戦力放棄として具体化しているのもひとえに国連への信頼が前提である。今のままの国連では憲法も空証文に過ぎない。いちはやく雑誌「前衛」5月号で森原公敏氏が「国際結集の旗印は「国連憲章」を守れだ』と言っているのに共感するが、単に「守る」というより、森原氏も強調しているように旧植民地諸国を最大の推進力とした国連の変革が必要だ。同時に、雑誌「現代思想」3月号で憲法学者青井未帆氏が示唆している「国家安全保障でなく人権+平和の『人間の安全保障』」を世界政治の優先原理にするという構想が急に現実的なものと思えてきた。これこそが日本国憲法の示す真の方向であり、今後の気候危機に対峙する基本姿勢ではないのか。

さて、その後ロシア軍によるウクライナ市民大量虐殺が明るみに出て、事態は1930年代の日本軍に酷似してきた。百年経て変わらない人間の残虐さを考えていると、野田正彰「戦争と罪責」1998年岩波書店にぶつかった。後に民医連に加わる湯浅謙医師が中国で生体解剖を繰り返して手術の腕を上げたという話から始まる本である。

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2022年4月11日 (月)

「領土不拡大の原則」

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雑誌「前衛」5月号で、森原公敏さんの文章のなかで興味を惹かれたのは、1941年の大西洋憲章で初めて唱えられた、戦争後の「領土不拡大の原則」がなぜ生まれたかを彼が探ろうとしていることである。
「武力による現状変更を許さない」とはつまり「領土不拡大の原則」のことにほかならない。
この原則は一体どこから生まれてきたのだろう?それを知るには古い「前衛」を探さないといけない。

その後の経過としてよく知られているのは、1943年11月カイロ宣言、1945年7月ポツダム宣言、さらに国連憲章でこれが確認されながら、その間の1945年2月のヤルタ秘密協定ではソ連の領土拡大が決められていたということである。そのため日本は77年間にもわたって全千島をソ連・露によって不当占拠されている。

いまはそこはおいておくとして、戦後「領土不拡大の原則」を真剣に現実化しようと努力してきたのはまさに領土拡大の標的だった植民地の解放運動だったことが、今後の希望である。
その最新の決意が2022.2.21のケニア国連大使の発言にほかならない。
なお戦争による領土拡大を否定する原則をうち立てたのは他ならぬレーニンだった。「平和に関する布告」1917.11

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障害支援区分市町村審査会

日曜午後は障害者総合支援法における障害支援区分市町村審査会委員の研修会を聴講。

障害支援区分のコンピューター判定の仕組みなどを再学習。
コンピューターは訪問調査から障害の一定パターン(統計的に障害の多様性を最も効率的に反映するものになっているのだろう)を読み取って、そのパターンの過去の事例における障害支援区分二次決定の出現頻度を示し、最頻度の区分を提示している。それが一次判定。
医師意見書のどの部分がコンピュター判定に取り込まれているかは十分に知らなかった。
一次判定の中に含まれる記載間の矛盾を見抜いて、選ばれるパターンと一次判定自体を変更するのがベストのよう。ただし、それを市町村の委員レベルでやろうと思うと、システム2の推論なので膨大な時間がかかりそうだ。

そこで、別途二次判定で一次判定を変更するにはコンピュター判定に含まれない部分、つまり特記事項を読み取ることが必要になる。こちらはシステム1の推論、つまり直観的に全体的な障害像を思い浮かべていくことになるので速く、普通はこれになる。
そのとき介護保険の要介護認定では「より介護の手間が大きい」と表現するが、障害支援区分判定では「より手厚い支援が必要」という。「手間がかかる」と「手厚くする」というこの小さな差異に意外に意味があるのかもしれない。


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