亀山郁夫の語るプーチン
Facebookに「亀山郁夫さんには、規範というものをいっさい失ったプーチンのドストエフスキー的犯罪者性について論じることを勧めたい」
ということを書いたら、すぐに色平哲郎さんから、亀山さんのロング・インタビューを紹介された。
同じことを思ったジャーナリストがいたのだ。
毎日新聞2022/3/12 -13の記事だが、抜粋すると
亀山郁夫:「あまり知られていないことなのですが、1960年代半ばから70年代前半までのブレジネフ書記長期のソ連は、私なりに言わせると『黄金時』」でした。冷戦の壁に囲まれて、平和を謳歌することができたのです。アレクサンドル・ジノヴィエフというロシアの哲学者が『現実としての共産主義』という言い方をしていますが、実にうまい定義です。
民衆は貧しいながらも、医療費や教育費の心配をせずに暮らせていました。対外的にはベトナム戦争で米国と対等に渡り合う、大国として存在感があった。この時の記憶を引きずっている人たちが、たしかに現代のロシアにも一定数いて、プーチン大統領を支持しています。しかし支持しているのは、現在のプーチン大統領をのみ込んでいる『狂気』ではありません。」
亀山郁夫:「神がいなければすべては許される」というアナーキーな精神性は、いま言ったロシア人の精神の闇に深く通じる言葉です。アナーキーで自由な精神性は、いったん落ちはじめたら、とどまるところを知りません。
プーチンの、観念的なものへの過度の思い入れが、一番厄介です。ドストエフスキーはこの気質を『ベッソフシチナ(悪魔つき)』と呼んでいました。」
「プーチンが取り憑かれている観念的な美学とは『新ユーラシア主義』です。
新ユーラシア主義とは、社会主義の理念に結ばれた旧ソ連の版図を、ロシア正教の原理で一元化し、西欧でもアジアでもない、独自の精神共同体とみなす考えです
ことによると、彼自身が、まさに新しい王国のメサイア(救世主)たることを願っていたのかもしれません。これは、米国のバイデン大統領が言っているような、旧ソ連の単純な復活とは意味合いが違います。
この構想にとって何としても欠かせないのが、ウクライナなのです。芸術家も多数輩出している。
私たち西側の人間の目に映るウクライナと、東側の人間の目に映るウクライナとでは、まるで別の顔をしているのです。ウクライナは、何といっても芸術大国なのです。
思うに、ここまで情報がオープンと化した時代に、プーチンがNATOの脅威など恐れることはなかったはずです。むしろ、協力関係という選択肢もありえたはずですから。にもかかわらず彼が、NATOの東方拡大を口実に侵攻したのは、精神的共同体の夢が壊されるのが、よほど怖かったからではないでしょうか。
「グローバリズムに完全に乗り遅れ、資源大国から一歩も先に歩みだせない焦りが、精神的共同体の夢の強化に拍車をかけたと言ってもよいかもしれません。」
結局「グローバリズムに完全に乗り遅れ、資源大国から一歩も先に歩みだせない焦りが、精神的共同体の夢の強化に拍車をかけたと言ってもよいかもしれません」亀山郁夫。
気候危機との関連を考察した斉藤幸平さんとはまた別の観点だが、納得できるところが多い。
岩波の宣伝誌「図書」2月号を偶然見たところから、色平先生のおかげで深められた。
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