2022年1月29日 (土)
2022年1月28日 (金)
2022.1・29 医療生協健文会理事会あいさつ
2022年1月20日 (木)
雑誌「前衛」2月号・・・グリーン・ニュー・ディールの枠を超えることがない
日々、地域の貧困が暴かれていくような外来カンファレンス
2022年1月14日 (金)
カフカ的ドラマ ネタバレにならないように
カフカの「城」や「掟の門」が官僚制度や宗教制度の批判でなく、自身のなかの乗り越えられない壁を描くものであったとしたら、今見ているあるドラマはますますカフカ的になってきた。
見知らぬ男に持ちかけられた危険なプロジェクトが実は自分だけのために構想されたと明かされたり、ついには自分に指示を与える見知らぬ男が実は自分の幻影であったり。
その手法自体はディカプリオ主演の「シャッターアイランド」やブルース・ウィリス主演の「シックス・センス」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9
などで見られるようにありふれているが。
「医療保険は現物給付」
自分の古いブログを読み返すと、2011年時点で、現物給付と現金給付の違いの本質的理解に達していたことがわかる。
http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2011/11/2011-9f06.html
「医療保険は現物給付」というとき、別に医療現場で薬や注射液や松葉杖を現物で渡すことを意味しているわけではない。
「現物給付」とは、ケアつまり人間同士の関係によって個別のニーズを満たすことを意味しているのである。個別ニーズは同じ目標であっても同一金額の費用で応えられるものでなく、アマルティア・センのいうケイパビリティの実現の意味に他ならない。
そういう意味で2000年の介護保険が本来現物給付を最も謳わなければならない土俵で、それを否定したことの罪悪は極めて大きい。共産党もここで対応を誤った。
*2011年の僕の記載
「サービス提供者と受給者の相互了解・合意により個別ニーズを尊重する現物給付方式の社会サービス保障は人々の生存を保障するためのモノやケアが、同時に、人間の有する潜在能力(capabilities)の発達・発揮を保障するものでなければならないという、生存権保障の新たな現代的理念にも合致する。」
センは、収入が同じでもそれによって可能となることは障害の有無で全く違うので、同額の現金を保障するのでは不十分であって、可能性を等しくすることを保障せよと別の場でも言っている。
いや、年を取るということは若い人に負けるということだけでなく、昔の自分にも負けるということでもある。
また、思い出すと、このブログの記述のしつこさは異常に見える。
今後のわが陣営の課題
2022年1月11日 (火)
老木から葉や枝が一つづつ失われていきそこに降る雨もなくなるように、
2022年1月 9日 (日)
土曜日の二次救急
2022年1月 7日 (金)
今日は宮本常一になる 2
今日は宮本常一になる
僕が少年だったころの広島の県北はおそろしく貧しい地域で、生活の彩りは夏の盆と秋の祭りの神楽だけだった。その祭りでも生魚に近いものはシイラの切り身の酢漬けだけだった。シイラは実の入っていない籾殻(もみがら)という意味もあり不吉なので「マンサク」と言いかえられていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A4%E3%83%A9
「ブエンの魚」という表現に時々遭遇したが「無塩」=塩漬けしていないという意味だと知ったのは、中学に入って木曽義仲の物語を読んだときだった。木曽の山奥から出てきて無学な彼はブエン=美味と勘違いして京都人に嘲笑されたのである。つまり800年前とさして変わらぬ食生活だったわけだ。
一方、同じ広島県でも母の実家の大崎下島 大長(おおちょう)に春休み、夏休み、冬休みと行くと、そこも貧しい蜜柑農家ではあったが、旧正月、花見、旧の七夕、海水浴とにぎやかな行事が続く。土地が狭いので、あちこちのいくらか大きい農家の庭先で踊られる盆踊りもそれぞれ県北の10倍くらいの人の輪ができるのである。
朝は魚売りの押し車が来て様々な新鮮な魚種が路地裏で入手でき祖母がすぐに料理していた 。これは当時の大長が蜜柑景気に湧いて高額所得農家が全国一多かったことも影響しているが、瀬戸内の島嶼部の文化はやはり厚みがあったのだろう。しかし、人口密度の高い島は恐ろしいもので、小学校を卒業して中学入学まで母の実家で遊んでいると、集落の人みんなが「修道中学と広島学院中学に合格して愚かにも修道を選んだ」という僕の事情を知っている始末だった。進学熱も高かったのである。県北にいた僕が広島の私立中学に進んだのは母を通じて大長の風土の影響という気がする。
それでも、長く県北にいる母の作る料理は大学から帰省するころになると,なんだかまずいものに思えるようになった。
今の僕とあまり変わらない年齢で亡くなった母には申し訳ない感想を持ったものだと済まなく思っている。
2022年1月 1日 (土)
映画「ファーザー」
Fn驚くべき映画を見た。アンソニー・ホプキンス主演の「ファーザー」2020年。知らなかったがアカデミー賞の主演男優賞作品だった。https://ja.wikipedia.org/wiki/ファーザー_(映画)
父をサ高住に入れた時、時間通りの着替えと服薬が何より重視される生活の中で、父は何度も「何がどうなっているのかさっぱりわからなくなった」と繰り返していたが、その主観的世界がようやく分かった気がした。
今日で父が亡くなってちょうど7ヶ月目だが、自分が何をしてしまったのか何か暗澹とした気持ちになる。
音楽と映像からはタルコフスキーの影響を強く感じた。音楽は特にビゼー「真珠採り」の歌「耳に残るは君の歌声」
https://www.youtube.com/watch?v=HbptalTF8MQ
が印象的。
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