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2022年1月29日 (土)

2022.1.28の「天声人語」は最悪の出来では?

1.28272893518_4732961696786547_8554290864754 は内視鏡検査が終わると、偶然のように朝方から来ていて少し時間の経った腹痛の患者さんの診察を頼まれた。
CTを撮影してみると、内ヘルニアによる絞扼性小腸腸閉塞か、非閉塞性腸管虚血NOMAか判断がつかない。僕の診断力の限界。
しかしどちらであれ救命のためにともかく大慌てで大学病院に頼むことにした。
それで午前中は終わった。
こうしたどたばたで時間がすぎるのは僕だけでなく、周囲全体が表面的な忙しさに流されて大声で叫んでいる感じが今日は強い。
別に僕が聴覚過敏というだけではないようだ。
こういう日には、立ち止まって、あるいは別の視点でケースを検討しようという外来カンファレンスに人が現れない。多忙が理由なのだろう。
大声で叫び立てているような仕事にはしんじつ人を救う仕事もあるが、そうではなくて、ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)に分類されるものもあるように思う。もちろん、ブルシットなのはその仕事自体であって、その仕事を押し付けられている人ではない。
仕事を見直し、必要なことに必要なだけの時間をさけるように仕事を組み直すことが今後大切になってくる。
下は、それに若干関連のある今日の「天声人語」の一部。なおこの文章は、指摘すべきことの的を外した愚文の典型である。デヴィッド・グレーバーは別に科学技術を悪者にしているわけではないだろう。実体経済と遊離した金融資本主義と、ひたすら他人の支配を渇望する新自由主義こそがブルシット・ジョブ繁殖の原因だったはず。しかし、今日のところはそれについては省略。

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2022年1月28日 (金)

2022.1・29 医療生協健文会理事会あいさつ 


128                                                                                                               遅くなりましたが、改めて新年のご挨拶を申し上げます。今年もよろしくお願い致します。

 

昨年12月17日大阪市で起こった労働者のメンタル・ケアに取り組むクリニックへの放火で40歳台の医師や職員、患者が25人もが死亡した事件については前回の理事会で取り上げましたが、今年になっても、つい昨日の1月28日に埼玉県ふじみ野市でやはり40歳代の医師が患者家族から猟銃で殺害されるという事件がおこりました。他に医療職員2人も負傷しているようです。

死亡した医師は大阪のケースと同様に、非常に積極的に地域医療に関わり、往診専門のクリニックを立ち上げてふじみ野市の在宅医療をほぼ一人で担っていたような人であったらしく、こういう事件の頻発をどう考えればいいかと思い悩みます。

 

さて、新型コロナ オミクロン株が驚異的な流行を見せており、山口県でも病床利用率が50%を超える医療危機に一気に突入しました。宇部市の救急医療の柱と言える宇部興産中央病院内での感染発生により同院の救急受け入れがストップしているのも現場にとっては脅威になっています。

さらに自宅療養者をどう支えるかが急速に大きな問題になろうとしています。これについて地域全体が状況の急展開に追いついていない状態であり対策が急務となっています。

ごく最近の宇部協立病院のかかりつけの患者さんの事例です。

介護保険サービスの利用状況から見て明らかにコロナ感染して高熱を発している状態で救急車を依頼しましたが、コロナの疑いが強ければ搬送先はないという理由で救急車が帰ってしまい、ではどうすればいいのかという相談が外来主治医の私にありました。

宇部協立病院への入院も不可能なのでやむを得ずS医師に緊急往診してもらい抗原検査で確定診断しました。しかし診断が確定しても当日はやはり感染症病棟に入院もできず、こちらも準備がなかったので新型コロナ用の経口薬「ラゲブリオ」も渡せず、解熱剤を渡す以外は何もできず、翌日に保健所が入院先を決めてくれるのを期待して待つほかはありませんでした。

また防府市に住む職員の報告では、高齢の家族が発症、入院後肺炎に至ったが、ご本人が退院を強く希望して、家族も受け入れを決断した、ただしそのときは在宅酸素療法が必要だとなった、しかし、こういうちょっと複雑なケースでなくても、コロナ患者の自宅に往診してくれる医師がそもそもその地域ではゼロだったため、困り果てたということがありました。

 

入院医療が逼迫する中で、自宅療養者の直接的な医療・介護支援は、病院、診療所、介護事業所問わず、全体共通の大きな課題となっています。

今後しばらくこれを一つの大災害事態と考え、それにふさわしい体制と決意で乗り切っていきたいと考えます。改めて全職員と組合員の皆様の奮闘とご協力を切に訴えるものです。

 

次に、冒頭、医師や医療従事者に向かう暴力のことをお話しましたが、やはり背景は日本社会の貧困と孤独の極端な進行にあるように思います。大阪のケースは生活保護申請の不調があったと伝えられていますし、埼玉のケースも最近多発している巻き込み型の自殺未遂だったようです。埼玉の事件も頻発している巻き込み型自殺未遂だった可能性があります。

11月に「地域福祉室」をスタートさせて2ヶ月が経過しましたが、そこで見えてきたのはこの地域のすさまじい貧困と孤独です。貧困と孤独はそれという形で目には見えるものではありませんが、地域のあらゆるところに潜んでおり、アンテナを挙げればこれでもかこれでもかという形で可視化されてくる、そういう情勢だという気がしています。
ちょうど今、フジグラン宇部店前で、山口県知事候補千葉まりさんへの応援演説として、地域福祉室の経験を室長が語っている最中のはずです。

いま、全日本民医連で今後2年間の方針の討議が始まりましたが、私としては「ソーシャル・ワークと、共同組織つまり医療生協組合員の互助活動による『住民の生活への徹底的支援』を土台にする形で私達の医療・介護活動を全面的に組み立て直す」ということを主張しようと思っています。10数年前に『「SDH」つまり「健康の社会的決定要因」への気づきを医療介護活動の基礎にしよう』と訴え始めて、当分はあまり理解されなかった、しかし今ではそれが常識になったという経験もありますから、また同じような思いをしても、なんとしても理解してもらおうという気でいます。なお仲間を募って全日本民医連で作らせてもらったSDHブックレットは実に4万2千部普及したそうです。自分で言うのもなんですが、快挙ですね。

 

さて、最後に、だからどうしてくれというのではありませんが、この逼迫した医療情勢のなかで職員全体、特に高齢医師の疲弊は尋常でないものがあります。私達の法人においては、他の病院の同じくらいの高齢医師よりはるかに厳しい労働が課せられていると思います。もちろん職員全体もそうです。これはコロナより緩やかに見えますが、より長期に渡って私達が直面している危機なのですね。

医療生協組合員の共感と激励なしにこの非常事態を乗り切るということはないと思われますので、だから直接的にどうしてくれというのではありませんが、ぜひその認識を皆様の心のなかにとどめていただくことをお願いしたいと思います。

それを申し上げて私の今月の挨拶といたします。(議長指名)

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2022年1月20日 (木)

雑誌「前衛」2月号・・・グリーン・ニュー・ディールの枠を超えることがない

雑誌「前衛」2月号で「気候危機打開へ国民的共同の年に」と題した浅岡美恵さん(気候ネットワーク代表)と笠井亮衆院議員の対談を読んだ。
 
浅岡さんが石炭火力発電廃止に向けての熱弁を振るっている点には大いに共感した。いってみれば原発ムラと同様な石炭火力ムラがあるのだ。
そしていままた温暖化をフェイクと言い立てる潮流が現れていることへの警鐘も同感である。ヨーロッパで原発をクリーンエネルギーに分類する逆流があることも注意して見ておく必要がある。
 
いっぽう、笠井さんのこの問題の捉え方は、どうも東京からこの問題を見ている人の限界のようなものを感じる。
 
大都市集中をやめて地方でのエネルギー・食糧・ケアの自給を急拡大することにこそ実践的な展望があるのに、むしろ東京に拠点を置く資本主義のビジネスチャンスとしての気候危機を強調するようなところがある。つまりグリーン・ニュー・ディールの枠を超えることがない。市民と野党の総選挙共通政策の中で4番目に掲げられ画期的だった「地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行」も最後のところで「政治の役割が大きい」という主張の添え物となっているようだ。本気で取り上げられていない。
 
またお二人ともイギリスのように政府が科学者を信頼して対策を委ねることを是とするようなところもある。272247188_4697774886971895_3512916024026
本当に政策を変える鍵になるはずの「気候国民会議」「気候市民会議」には触れられることがない。
 
地域循環経済と「気候市民会議」の確立を二本柱にしないで、市民連合を軸にした今後の政治局面の打開もないことは。同じ雑誌「前衛」の1月号の方で新潟の佐々木さんが強調していた通りである。
 
気候危機問題の捉え方がこのままなのであれば参議院選挙での躍進はない。

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日々、地域の貧困が暴かれていくような外来カンファレンス

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続けていけば、ある日突然に街の風景が変わって見えている自分に気づくだろう。
 
こんな感じだろうか。
「きみの目が それをみつめるとき」
 
                       小野十三郎
           きみの目が
           それをみつめるとき
           うすずく(=舂ずく)陽は急に光をます
 
           火を噴いて
           地に灼きつくのだ
 
           きみの目がそれをみつめたとき
           高い梢から最後の葉が
           枝をはなれるさますら
           天地のあいだで
           何かが爆発したあとに似ていた。
 
           ああ、その息づまるような静けさ。
 
           わたしは、いま、若者の世界とは
           そういうものだと思う。
 
           うつりゆく自然のたたずまいも
           きみの目の前では。
 
           「太陽のうた」理論社(昭和42年)から
 
*舂く【うすづく】
夕日が山の端に入ろうとする。
この本に初めて出会ったのは、古い協立歯科(宇部)の貧相な待合室でのこと。
数はごく少ない待合室用書籍だったが選択眼がよく、いい児童向けの本が並んでいた。
そこで長い長い待ち時間を利用してこれを読みすすめると、あるとき認識が一瞬で変わり、世界の輪郭がくっきりと輝いて見える少年の日々の存在を確信させられたのだった。
考えてみると自分にとっては最も深い「詩体験」だった。
しばらくそれを模倣するような詩を書いていた。

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2022年1月14日 (金)

火災と貧困の二都物語

112 Grenfell_tower_fire_wider_view 2017年イギリス最悪のビル火災の現場となったグレンフェル・タワーは王室特別区ケンジントン・アンド・チェルシー区というロンドン一富裕な地域の中にあって、築43年の低所得者向け高層住宅だった。
富裕区に似合わないということで2016年外壁補修が行われたが、その素材が易燃性の安物だったことが被害を大きくする原因となった。
一方、2022年1月9日のニューヨークで大規模火災が起こったビルも移民が多いブロンクス区にあり、アパートの住人の多くは、西アフリカのガンビアから移住して来たイスラム教徒だとされる。
 
しかし、写真のような火の中にいた人の恐怖はどんなものだったろう。

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カフカ的ドラマ ネタバレにならないように

271884936_4667315346684516_2264093759848 カフカの「城」や「掟の門」が官僚制度や宗教制度の批判でなく、自身のなかの乗り越えられない壁を描くものであったとしたら、今見ているあるドラマはますますカフカ的になってきた。
見知らぬ男に持ちかけられた危険なプロジェクトが実は自分だけのために構想されたと明かされたり、ついには自分に指示を与える見知らぬ男が実は自分の幻影であったり。
その手法自体はディカプリオ主演の「シャッターアイランド」やブルース・ウィリス主演の「シックス・センス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%B9
などで見られるようにありふれているが。

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「医療保険は現物給付」

自分の古いブログを読み返すと、2011年時点で、現物給付と現金給付の違いの本質的理解に達していたことがわかる。

 

http://nodahiroo.air-nifty.com/sizukanahi/2011/11/2011-9f06.html

 

「医療保険は現物給付」というとき、別に医療現場で薬や注射液や松葉杖を現物で渡すことを意味しているわけではない。

 

「現物給付」とは、ケアつまり人間同士の関係によって個別のニーズを満たすことを意味しているのである。個別ニーズは同じ目標であっても同一金額の費用で応えられるものでなく、アマルティア・センのいうケイパビリティの実現の意味に他ならない。

 

そういう意味で2000年の介護保険が本来現物給付を最も謳わなければならない土俵で、それを否定したことの罪悪は極めて大きい。共産党もここで対応を誤った。

 

*2011年の僕の記載

 

「サービス提供者と受給者の相互了解・合意により個別ニーズを尊重する現物給付方式の社会サービス保障は人々の生存を保障するためのモノやケアが、同時に、人間の有する潜在能力(capabilities)の発達・発揮を保障するものでなければならないという、生存権保障の新たな現代的理念にも合致する。」
センは、収入が同じでもそれによって可能となることは障害の有無で全く違うので、同額の現金を保障するのでは不十分であって、可能性を等しくすることを保障せよと別の場でも言っている。

 

いや、年を取るということは若い人に負けるということだけでなく、昔の自分にも負けるということでもある。
また、思い出すと、このブログの記述のしつこさは異常に見える。

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今後のわが陣営の課題

言ってみれば奥田知志のような支援者、中村哲のような実践者、斉藤幸平のような探究者を生むことが、今後のわが陣営の課題である。こうしてモデルを示しているのだから「どうしていいかが分からない」ということはないと思う。できればモデルを女性に置き換えることが必要だが。
 
2021.11.16医療生協健文会で発足した地域福祉室も
①制度の枠を超えた伴走型支援に徹する
②医療生協組合員の互助・社会活動とともに医療の土台となる
③ケアの自給の立場から地域循環経済を目指し、気候危機解決の主流を作る
への小さな第一歩だった。

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2022年1月11日 (火)

老木から葉や枝が一つづつ失われていきそこに降る雨もなくなるように、

1.7 なぜかほぼ全員が精神科通院中という身体科的初診外来、事務処理は夕方の時間外に及ぶ(なぜかでもなく、そういうポジショニングの初診外来になっているのだろう。おそらく誰も正面から対峙しない人たちのための外来)夜間に病棟お一人死亡。
1.8 私史上最も過酷な二次救急、それだけでなくその後始末が翌朝に及ぶ。夜間に病棟お二人死亡。
1.9 ある集会で山口県知事選への私的には画期的提案(理解した人は少数。それでも「市民会議によって『気候市民会議』を全自治体に設置」を言い忘れて後悔)
1.10 私的誕生日。アンソニー・ホプキンス「ファーザー」を特典映像含めて、今度はブルーレイで再視聴。改めて自分の老いの未来を直視する。老木から葉や枝が一つづつ失われていきそこに降る雨もなくなるように、記憶や人間関係が自分から失われる恐ろしさはなんと言ったらいいのだろう。
1.11 ほとんど暗黒の連休明け。コカ・コーラゼロを飲みながらの予約外来。

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2022年1月 9日 (日)

土曜日の二次救急


1.8土曜日夕方

医師1 看護師2 検査技師1 放射線技師1、薬剤師なしで 新規入院だけでも1時間に1人、入院に至らない人が同数くらい、回転寿司のように処理していくという二次救急(実質 土曜9時-18時)の労働はあまりにも非人間的で、終わった後まだ立ち上がる気になれないでいる。

その中でも、僕のようなベテラン医師は指示と判断と読影が主な仕事で、ある意味デスクワークに近く、手を動かし患者や家族と折衝するのは他の人ばかり。みんな、昼飯食べる時間があったのだろうか。

 

それでも病棟に上がって中心静脈カテーテルが1人、外来の最後に膝の血腫の穿刺があったな。50ml抜くだけで喜ばれたので、それ自体は良かった。

 

それと、同規模で医師数はむしろ向こうのほうが多く手術も透析もできる病院から、こちらが二次救急当番だからと重症化した患者さんの転院を持ち掛けられた。ある大規模病院の名を挙げると「そこは断られたんですよ」。でも「僕が付きっきりになれるなら十分治療できると思うけど、設備的には劣って今夜からはパート医師の日当直が続く病院に転院させられて患者さんとトラブるのではないかな」と呟くと「そうですよねー」と相手もため息をついて沙汰止みになった。まぁどこも人手不足で困りながら病院を回しているのだ。

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2022年1月 7日 (金)

蓬旅館

宮本常一が、僕の伯母が嫁いだ山の旅館「よもぎ旅館」に泊まった話は彼の書き物に出てくる。(宮本常一著作集25)Yomogi0000
そこで「小さな女が話しかけてくる」とあるのが伯母の姑で、僕が子どもの頃は存命だった。本当に小さなおばあさんで、ただ笑っているだけの人だったが、僕が行くと喜んでくれたのでよく覚えている。
この旅館で、魚の行商人の「ひこさん」とじゃんけんしては丸めた新聞紙で叩きあうのが夜の唯一の遊びだった。まだTVもなかった頃で。

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今日は宮本常一になる 2

Syouwasyoki



明治から昭和17年まで村の唯一の開業医として相対的に地位上昇を果たした曽祖父と、その息子でとくに職を持たず、バス会社だの郷土写真雑誌だのと起業と趣味に生きた祖父は、二人で家の周囲にいろんな果物を植えていた。なので、区画整理後に樹木を失ってむき出しとなりなんとも殺風景なものになった父の家と、子どもの頃過ごした、牛や鶏や蛇もいた迷路のような祖父の家は同じものでありながら全く違うものである。川をまたいだ風呂小屋のなかで川を見ていると鼠が川底を素早く横断しているのを何度も見た。

 

で、梨は結構大きい実がなったが、気候が長野に似ているといって植えた林檎は小粒で食べられるものが少なかった。網の上に這わせた葡萄はさらに貧相でただ酸っぱいだけだった。

 

村のどこの家にもある茱萸(ぐみ)の木もあったが、そのほとりの小川に芹が生えていて、雨の夕方などに祖母が摘んで汁の実にするのは思い出すと絵になる気がする。

ごくありふれたもので「提灯いちご」と呼んでいた小さな緑の球体の正しい名前が「スグリ」であると知ったのは40歳ごろである。

 

果物のなかでちょっとした思い出になっているのは榲桲(まるめろ)。香りは良いが生食はできず、祖母が砂糖で煮つめても敬遠したくなるしろものだった。

ただ、中学生になって芥川龍之介を読むようになると「将軍」という乃木希典をテーマにした短編があって、そのなかで、降り出した雨に 「また榲桲(まるめろ)が落ちなければ好いが、……」と老少将がつぶやくところにさしかかると、寂しい下宿生活をしていた僕は更に寂しくなるのだった。子どもだから泣いたりして。

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今日は宮本常一になる

僕が少年だったころの広島の県北はおそろしく貧しい地域で、生活の彩りは夏の盆と秋の祭りの神楽だけだった。その祭りでも生魚に近いものはシイラの切り身の酢漬けだけだった。シイラは実の入っていない籾殻(もみがら)という意味もあり不吉なので「マンサク」と言いかえられていた。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A4%E3%83%A9
「ブエンの魚」という表現に時々遭遇したが「無塩」=塩漬けしていないという意味だと知ったのは、中学に入って木曽義仲の物語を読んだときだった。木曽の山奥から出てきて無学な彼はブエン=美味と勘違いして京都人に嘲笑されたのである。つまり800年前とさして変わらぬ食生活だったわけだ。

一方、同じ広島県でも母の実家の大崎下島 大長(おおちょう)に春休み、夏休み、冬休みと行くと、そこも貧しい蜜柑農家ではあったが、旧正月、花見、旧の七夕、海水浴とにぎやかな行事が続く。土地が狭いので、あちこちのいくらか大きい農家の庭先で踊られる盆踊りもそれぞれ県北の10倍くらいの人の輪ができるのである。
朝は魚売りの押し車が来て様々な新鮮な魚種が路地裏で入手でき祖母がすぐに料理していたHirosima 。これは当時の大長が蜜柑景気に湧いて高額所得農家が全国一多かったことも影響しているが、瀬戸内の島嶼部の文化はやはり厚みがあったのだろう。しかし、人口密度の高い島は恐ろしいもので、小学校を卒業して中学入学まで母の実家で遊んでいると、集落の人みんなが「修道中学と広島学院中学に合格して愚かにも修道を選んだ」という僕の事情を知っている始末だった。進学熱も高かったのである。県北にいた僕が広島の私立中学に進んだのは母を通じて大長の風土の影響という気がする。

 

それでも、長く県北にいる母の作る料理は大学から帰省するころになると,なんだかまずいものに思えるようになった。
今の僕とあまり変わらない年齢で亡くなった母には申し訳ない感想を持ったものだと済まなく思っている。

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2022年1月 1日 (土)

映画「ファーザー」

Fn驚くべき映画を見た。アンソニー・ホプキンス主演の「ファーザー」2020年。知らなかったがアカデミー賞の主演男優賞作品だった。https://ja.wikipedia.org/wiki/ファーザー_(映画)

父をサ高住に入れた時、時間通りの着替えと服薬が何より重視される生活の中で、父は何度も「何がどうなっているのかさっぱりわからなくなった」と繰り返していたが、その主観的世界がようやく分かった気がした。

今日で父が亡くなってちょうど7ヶ月目だが、自分が何をしてしまったのか何か暗澹とした気持ちになる。

音楽と映像からはタルコフスキーの影響を強く感じた。音楽は特にビゼー「真珠採り」の歌「耳に残るは君の歌声」
https://www.youtube.com/watch?v=HbptalTF8MQ
が印象的。

なお巨大な老人ホームの中庭にあったこの彫刻はイゴール・ミトライ作「月の光」で、日本では野外彫刻として洞爺湖畔にある。

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