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2021年12月 3日 (金)

ボンヘッファーと石川 淳

ボンヘッファーについてのウィキペディアで知っただけだが 以下の彼の言葉は今朝の僕に突き刺さる。
1939年の彼の書簡に書かれていること。
„なぜなら、神(=イエス)は貧しく、惨めで、無名で、敗北した人間になったのであり、神自身は貧困と十字架においてのみ見出し得るので、それゆえ、我々は人間とこの世から逃れることは出来ず、兄弟たちを愛し続けるのである“
作家 石川淳が 江戸時代以来の庶民の世界観として「やつし」と「見立て」を第一にあげたのにもこれは通じている。
そこの困窮し苦しむ受診者に身をやつして仏は君を訪れているのかもしれないのである。僕らは誰が身をやつした仏かはわからないのですべての困窮した人を仏と「見立て」なければならない。
以下は興味深い田中優子、松岡正剛らの鼎談である。
https://edotokyo.hosei.ac.jp/application/files/1015/3292/6859/20180421edomondo.pdf?fbclid=IwAR0EoXWrqWBTSNhhNLkXuPs1tLu1pwwKhjfnMHRx1JXyhFEN_7bqNO7JTO4

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