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2021年12月27日 (月)

「かのように」

なるほど購買生協は人々が生活に必要なものを入手するためにあるので、商品を売る店舗を共同経営して利益を上げるためにあるのではないな。そこでは「生活のために買う」が極められる。
 
同様に医療生協は人々が自らを治療するためにあるのであって、医療サービスを売る病院を共同経営して利益を上げるためにあるのではない。そもそも医療は共同体の基本的共同行為で専門家は必要に応じて自ら生み出したものである。そこでは「健康に生きる」が極められる。
 
とはいえ、両者とも相当に努力を要することで、それを専従者に託してしまえばたちまち逆のものになってしまう。それを強制しようとする世界に置かれているからである。
リアルに言えば先駆的な専従者・専門家によって、そうである「かのように」虚構されている、あるいは仮定されていることが多い。
 
つまり、両者ともこの資本主義的世界に浮かんだ小さな仮の島で、それでも資本主義世界を反転させる陣地なのである。油断すればすぐに沈められてしまう。

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そのネッワークは「中心を持たない広がり」

上意下達方式、あるいはピラミッド型の権威勾配構造は、医療生協の事業所において事業推進上やむなく形成されるものだけでなく、組合員間においても理事ー支部長ー支部運営会議ー班長ー班会という「垂直な組織化」が認められる。会員増やし、出資増やしの二目標が追求される企業のようでもある。
悪くすると職員である組織部長が上に立ち、組織図ではともかく意識の上では「組織部長ー組合員理事ー支部長ー班長」となっていることもある。
 
職員の部分は後述するとして、少なくとも組合員間における権威勾配は無くす必要がある。
そのために「組合員組織」と呼ばず「組合員ネットワーク」と呼ぶべきであり、そのネッワークは「中心を持たない広がり」とすべきである。
 
そして常に組合員一人ひとりの意見や希望に理事会が直接向かい合う意思決定構造を創造する必要がある。
 
実は事業所の職員間についても、業務遂行上の最低限の権威勾配除いて同様の意思決定構造が存在する必要がある。

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2021年12月26日 (日)

自転車のパンク

一昨日10回目くらいのパンク修理を頼んでおいて、さっき修理のできた自転車を取りに行った。
浅田輪業のお爺さんに「どんなパンクでしたか」と聞いてみると
「タイヤ自体が悪い、またすぐにパンクする」という。
いやタイヤはこの半年以内に取り替えたはずと思いながら
「だったらタイヤを取り替えてもらいますか」と頼むと
「いや、自転車全体がもうだめだ、タイヤだけ変えてもどうもならん」とのこと。
「ああそうか、それなら僕と同じですね」と答えると
「いや、自転車は買い換えられるだろう」

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2021年12月23日 (木)

住民自治推進体

結局、僕が言いたかったのは「市民連合」が野党の接着剤になるだけでなく、自ら政策をもって地域循環経済とFEC自給圏実現を促進し様々な困窮者支援活動も行う総合的な運動体、言ってみれば「住民自治推進体」に変身していくということだったなぁ。
その主要メンバーの就職先などという経済的基盤としてまず医療介護分野は最適である。
僕自身が医療で口を糊しながらそんな活動をずっと夢想してきたわけなので。
民医連の空白地域を埋めて全県に展開していくというかって僕たちが熱中した企画を今まさに野心的に再開すべき理由もそこにある。
というわけで、今日の午後は、山口民医連にとっては空白地域である県庁所在地山口市を訪問することにしている。
つまり、そこに新しい市民連合は可能か?という話なのだが、いまのところ脳トレや腰痛体操の勧めに来ると思われているのは間違いない。

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2021年12月22日 (水)

山口民医連理事会挨拶


2021.12.22 山口民医連理事会挨拶

 

12月17日、大阪 北区のビル4階にある「働く人の西梅田こころとからだのクリニック」で院長も含めて24人が死亡したという放火殺人事件がおこりました。

この時点では犯人の動機なども不明ですが自ら火の中に飛び込んで重篤な状態で治療中という話を聞くと、10月31日に東京の京王線で「死刑になりたい」と思った青年が18人を負傷させた事件を思い出します。

 

社会を覆う失意・絶望が不満の意思表示ではなく突発的な周囲の人間への危害行為になる傾向は年々と言わず日に日に強まっている気がします。

 

そういう意味で京王線事件と同じ日に行われた衆議院選挙が、そういう失意や絶望やいわれのない被害を少しでも解決しょうとするものであったかを振り返って見る必要があると思います。実は総選挙の投票箱が閉まる午後8時ちょうどに青年は目の前の人を刺し、一時心肺停止にさせたのです。

 

振り返れば今回の選挙は、「野党共闘の質」、それを更に突き詰めると、野党をつないでいる「市民連合」のあり方を問うものであったと思います。

市民連合の始まりは2014.7.1の憲法違反の集団的自衛権容認を安倍内閣が閣議決定したとき、市民運動が一体となって反対運動を展開し、「国会においては野党は共闘せよ」という要請をしたことに始まります

それから2016.7.10の参院選挙で32の一人区全てで野党統一候補を立てることに成功し、前回(2013)の2勝29敗から11勝21敗へと大前進を遂げます。その後の2019年の参議院選挙でも類似の10勝22敗でした

そして今年の2021.10.31には 参院選挙でなく衆院選で、野党統一候補が試される場面となりました。

結果は全部で289の選挙区の中で213に統一候補が生まれ、そのうち59候補が勝ち、勝率は28%でした。

 

選挙後はこれを失敗と見なす連合の芳野という会長が立憲民主党に共産党から離れろと揺さぶりをかけ、マスコミも共闘は失敗だったと言いたてているのですが、真反対にこの方式の実力が確認されたというのが妥当な見方だと思います。

 

しかし問題は、いつまでも3割程度の勝率をどうすれば5割までに引き上げらかということです。そうしないと本気で社会を変えるとは言えないのです。

そのためには市民連合のあり方が抜本的に改められることが必要なのではないかと考えます。

実は、そのヒントは新潟県にあると思います。新潟県は6つの選挙区があり第2区を除いて5つの選挙区は統一候補ができ、そのうち4つは勝ったのです。その時の共通政策は市民連合がまさに市民の中に飛び込んでまず自分たちで作り各政党に合意を迫りました。

唯一、統一候補が作れなかった第2区においても市民連合は両党の候補者を招いて政策討論会を開くまでして最後の最後まで統一のために努力しました。それで統一できれば勝機は大いにあったのですが、中央の決定でそれができないままこの選挙区では敗北しました。

 

今後の市民連合は新潟のようではなくてはならないと思います。

 

政治学者の渡辺 治さんが強調するようにすべての選挙区で市民連合を作り、山口においては、僕たちから見れば影も形も見えないずっと遠い位置にいるような市民連合を僕たちの方にぐっと引き寄せる必要があります。

 

そういう市民連合は、実は、パンデミックや格差や気候危機という問題で自ら解決に動く実働組織になります。

京王線事件の犯人のように、政治とはかすりもしない絶望に人が絡め取られて、大量殺傷事件が相次ぐということを根本的に解決するのもこの市民連合の力だろうと思います。

その中で、民医連や医療生協が中心的役割を果たしていくというのは最初から見えることではないでしょうか。

 

来年をぜひともそのようなものにしたいとまとめて、挨拶を終わります。

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2021年12月20日 (月)

必要なのは「民主主義のイノベーション」

雑誌「世界」1月号から
 
飯田哲也さんは、小型原子炉、硫黄や鉄を環境中にばらまいて気温を下げるジオ・エンジニアリング、二酸化炭素回収装置などを空想として斥ける一方で、
太陽エネルギーを中にした再生可能エネルギー、移動手段、AIやIoTを用いた省力についてはイノベーションが十分可能だとする。これで10年間で「脱成長」をやり遂げるというような無理な提案をしなくても済むだろうと。
 
しかし、北大の三上直之さんによると、別のイノベーションが必要だということだ。
それは268181700_4584207314995320_6224488177877 だ。
気候危機に関しては絶望的にもなる日本の選挙状況もそこで解決されるのかもしれない。
 
具体的にはフランスやイギリスで始められた、国家単位、地方自治体単位の「気候市民会議」である。
 
日本でも2020年札幌で、2021年川崎で試行がなされた。これについてはもっともっと注目が必要である。

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鳥の血糖は人間の数倍、それで長生き

269605758_4578635038885881_5892207307201 鳥にも糖尿病がある。以下は小鳥専門の獣医さんのブログ

http://xn--cnqy0hiyav1vq72aphe2n3e64k.com/blog/archives/761
から。
「一般的な飼い鳥の血糖値は、おおよそ200-450mg/Lですが、糖尿病の鳥では600mg/Lを超えることが多いです。」
「インスリン注射による治療が困難な小型鳥種では、血糖下降薬の内服によって治療することがほとんどです。」
なぜこういうことを検索しようと思ったのかは、今日の日経新聞の記事による。鳥はエネルギー溜め込みホルモンであるインスリンの効果を抑えて高い運動能力と長寿を獲得している。食べ物が溢れていれば、そのうち人間もインスリン分泌が減って肥満が少なくなり、高血糖に適応して高い運動能力を獲得するかも。インスリン分泌力が総じて低く肥満の少ない日本人は鳥的進化の先端にいる?

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2021年12月16日 (木)

2021 年度保団連地域医療活動交流集会(2021.11.21 )参加報告

締切が迫ったので書いてみたが、これは参加報告ではないな。なんとなく何をしても許される年齢になったことに甘えている自分がそこにいるような気がする。いつか、厳密な論理を展開する文章を書きたい。
 
2021 年度保団連地域医療活動交流集会(2021.11.21 )参加報告
                   
イギリスの医学雑誌Lancetは2020年9月26日に「COVID-19はパンデミックではない」という一見奇妙な論説を掲載している。実はパンデミックを超えた「シンデミック」だという主張なのである。シンデミックとは複数の原因が重なり合い相乗効果(シナジー)を起こし健康への悪影響を大きくすることとされている(1990年メリル・シンガー)。
これについてはイギリスの医学雑誌BMJが今年のBMJ大賞に「健康格差」の著者マイケル・マーモット(世界医師会長も務めた衛生学者)を選んだ理由として「社会の根底にある残酷な不平等をCOVID-19 がどのようにえぐりだしたか、そして増幅したかを彼ほど明瞭に示した人はいない」と述べたことで意味がよく分かる。つまりコロナと格差が同期して大きな波を作り出していることを医療関係者は常に見据えて両者と格闘することが求められているのである。
そういう中で今年の保団連地域医療活動交流集会の主要なテーマは認知症であった。確かに2030-60年の30年間に75歳以上の人口は2300万人前後を維持し、それなのに日本の全人口は1億2千万人から9000万人に急減する(毎年北九州市が一個ずつ消えるに等しい)のであるから、その期間の社会の最大課題の一つとして認知症があるのは当然である。しかし、その問題よりも今この時点での認知症患者など社会的に脆弱な人々を襲うシンデミックの現状に報告も関心も集中していたようである。認知症の人が多い療養型病床や高齢者施設でコロナが集団発生したときの「姥捨て山」状態の悲惨さは目を覆うばかりだったことも思い出された。
私が注目したのは石川協会の報告「新型コロナと介護現場 ~保険医協会が果たした役割」である。保険医協会の役割を「医療・介護・福祉を繋ぐこと」だとし、広範な訪問、アンケート調査を行なったことには快哉を叫びたかった。
石川協会のように、保険医協会の今の時代の使命を明確にすることが停滞している運動を前進させる鍵なのである。あえて私の提案をここで述べれば、県内数カ所に会員が共有して活用できるソーシャルワークセンターを設置することである。シンデミックと闘う協会の姿ほど、県民を励まし医療機関への信頼を高めるものはないだろう。
以上、参加報告とはほど遠いただの感想を述べた。
しかしシンデミックは本当にコロナと格差だけなのだろうか。これから何度でも人類社会を襲うだろうパンデミック、拡大するばかりの格差、COP26でも明るい光の見えなかった気候危機、この3者が本当のシンデミックであり、いわば「悪の三位一体 evil trinity」なのではないか。

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「アンという名の少女(eの付くアン)」

12月14日深夜


今日はひどい一日だった。疲れ果てて帰ってきて何も読む気にならない、それでいて眠れそうにもない。

そこで、この前から気になっていたnetflixの「アンという名の少女(eの付くアン)」を少しだけ見ることにした。先入観では孤児院から来た子供が虐められることから始まる辛い話と思って避けたかったのだが、実はそんなことはなかった。
十分に、明日からまた仕事をするかという気持ちにさせてくれる、心の糧となるようなものだった。つまり、「ニヤリ」が込み上げてくるって感じ。

常にいろんな診療現場を渡り歩いて一過性の患者との付き合いしかなく、最悪の場合は患者を自分の手技の練習台か届け出上必要な経験疾患としか見なせないでいる研修医や若い医師時代と比べて、ついに一人前になって定住した医師は、偶然に引き受けたに過ぎない患者とも一生付き合い、その最後を見届けられる極めて楽しい状況にある存在だとあらためて思いなおせるほど。
その代わり、四六時中電話の嵐の中にいるのだけどね。

 

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2021年12月14日 (火)

雑誌「世界」1月号 飯田哲也「複合危機とエネルギーの未来」

雑誌「世界」1月号 飯田哲也「複合危機とエネルギーの未来」を読んだ。

飯田氏は山口県の徳山高校出身(宮本顕治も旧制中学卒業生)で、2012年に脱原発を掲げて山口県知事選に出馬したときは僕らも懸命に応援した。
というか、僕は彼の出馬が決まる相当前から「今度の選挙は飯田で行こう」と周囲に言い続けていて、古参の共産党元県議などからは医療生協理事長の立場をわきまえない発言と批判されたりしたものだった。だから実際に出馬したときは本当に驚いた。
ただ県知事選が終わったあと、彼が一時期大阪維新のブレーンになったときはなんとも微妙な気がしたものだが。

それはさておき、飯田氏はビル・ゲイツの売り込む小型原発(SMR)や炭素回収、ジオエンジニアリングを幻想と切って捨てる。自民党総裁選で高市早苗が「小型核融合炉」を何度も繰り返したのには仰天し、それを正面から詐欺的言説だと言う人がいないのにがっかりしたが、ここにようやく正気の人がいると思った。

その一方、太陽光・風力・蓄電池・電気自動車などの「太陽エネルギー文明」への転換は早期に可能という立場である。AIの発達などはそれを促進する要素となる。それは高市早苗たちの「加速主義」と混同してはならない画期的なイノベーションだとする。その上で、LED、断熱住宅、自転車利用などの低エネルギー社会への変化を促進すれば、格別やせ我慢をせずとも幸福な生活が実現するはずだという。

もう一度飯田哲也さんの話を聞いてみようかと思わせる論考だった。

ただ、河野太郎と小泉進次郎は再生可能エネルギーへの道筋をつけようとしたので、自民党総裁選で、鉄の五角形と呼ばれる旧支配勢力(政・官・財・学・情)に息の根を止められたというのはちょっと眉唾かも。

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市民連合は単なる緩やかな政治組織ではない 将来の意思決定機関だ

この間の最大の気付きは、市民連合が単に緩やかな市民政治組織であるだけではなく、気候危機を克服するために地域循環経済を進める主力になるべきだということである。
 
気候市民会議の設置も行政側のアイデアではなく、市民連合による行政への強制であるべきだー言葉を強く言えばね。
 
地域の生活の革新を現場で担う市民連合のために、職業的な政治活動家や、職業的な研究者や、職業的な行政人は後方に存在する。市民連合に奉仕する存在としてー言葉を強く言えばね。
 
*社会の各層の利害を代表する政党、という考え方はもはや過渡的で、最後には逆立ちしたものになってくる。上から指導したり号令したりする代表というものではなくて、市民連合の洗練されて職業化された立法行政担当部署になる。「私を議会に『押し上げて』ください」という訴えを陳腐なものにするように。
市民連合は一時的な緩い政治組織ではない。将来の意思決定機関だ。

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地域循環経済を進める市民連合の主力

再生可能エネルギーの地域的自給への転換が、独占的電力会社や石油会社、ひいてはアメリカからの支配と収奪から地域を解放する最有力な展望であるのは間違いない。
「エネルギー領域の生活協同組合」が雨後の筍のように作られなくてはならない。
 
エネルギーにおいて自立した地域の連合を日本に限らず韓国、台湾、つまり東アジアに広げて行く展望も理解できる。
 
しかし、生活はエネルギーだけでできているのではない。同様にエッセンシャルなものとして「食糧」と医療介護を含む「ケア」がある。これらもただちに自給の用意を始めないといけない。
 
とくにケアの領域はすでに相当多くの事業所(多くは営利的ではあるが)が地域基盤的に存在しており、もともと潜在的自給度が高い。それを非営利組織が多くを占めるように変え、拡大していくのは地域が変わる最初の契機として重視する必要がある。
 
それよりも、地域循環経済を進める市民連合の主力を最初に担うのがケア分野の労働者や医療生協・民医連であることも大きな注目点だ。

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2021年12月13日 (月)

雑誌「前衛」1月号 新潟の佐々木 寛さん インタビュー :今回の総選挙の教訓は新潟にあり

僕自身はこれまで選挙の総括など気にしたことはなかったのだが、今回の選挙は少しいつもと違う雰囲気、つまり選挙結果自体よりそれをどう総括するかが問題になる状況になったのを感じて雑誌「前衛」1月号をいつになく興味を持って読んでいる。
 
新潟の佐々木 寛さんは共闘の質が問題だと言っている。枝野幸男の連合への忖度に代表されるようなことが質を低下させる。候補者調整や政策協定というところにとどまらず、末端まで共闘に自信を持ったところが勝っている。
 
僕が市民連合・山口の代表 熊野 譲さんから聞いた話では、ある県では立憲の事務所が共産党側に足を踏み入れさせなかったこともあるということだったから、まさにそうだと思う。
 
これは、本気で世界を変える気があるのかどうかということにつながっている。
僕はその連関を感じなかったが、佐々木 寛さん(「前衛」)も白井 聡さん(これは「毎日新聞政治プレミア」11.16で「前衛」ではない)も、まさに投票日の投票箱がしまった時刻と同時に、東京の京王線で「死刑になりたかった」という24歳の青年が車内で見ず知らずの人18人を傷つけた事件が生じたことを重視している。
選挙や政治などは到底届かない絶望が社会の底を浸していることをどう捉えるかも「共闘の質」に含まれるのだと思う。それが「本気度」というなんでもない言葉で表現されている。
 
渡辺 治さんがいうように「各選挙区ごとの市民連合」がおそらくその答えだ。
 
例:新潟2区は国民民主と共産に候補が割れたとき、市民連合は両者の討論会を開いてなんとか一本化しようとしたが、最終的には中央が調整できずに負けた。ここで市民連合内で予備選挙を行い政党側はそれに従うという慣習ができていれば勝てたのかもしれない。

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「永遠と一日」の一日とは?

ふと気づく。
永遠とは僕が死んだ後に続く時間だ。

 

forever and a dayは「永遠」を意味する慣用句だが、なぜa day が後ろにくっつくのかがずっとわからない。
それは数十年前にメアリー・ホプキンのヒット曲「Those Were The Days(あの頃はよかった)、 My Friend 」の歌詞を知って以来そうである。
https://www.youtube.com/watch?v=dlYPGjXy_LA
なお、これはもともとユダヤ人音楽風のロシアの民謡らしい。夢が破れた孤独な人の歌。イギリスでプロデュースしたのはポール・マッカトニー。

 

それはさておき、テオ・アンゲロプロスの映画 「eternity and a day永遠と一日」も最初は慣用句を誤訳した邦題だと思ったのだが、どうも違うようだ。

 

簡単に思いつく「短いが特別な一日の中に永遠がある」という解釈も少し陳腐だと思う。

 

最初の気付きのように、「永遠とは自分が死んだ後に続く時間だ」とすると a day は私が死ぬ一日である。
そう考えると、この映画の結末における問いと答え「明日の長さは?」「それは、永遠と一日」
https://www.youtube.com/watch?v=uFWmeD2EARk 
がわかる気がする。
つまり、この映画は「死ぬ日に思ったこと」を描いたものだった。永遠の始まり、としてもいいだろう。というか、多くの人が残した永遠の中に自分は生きているのでもある。

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2021年12月12日 (日)

気候危機と民医連


気候危機対応については、民医連はもっと画期的提案をしないと役割が果たせない。
1:市民連合にしっかり加わり、気候市民会議の設置など求めながら、FEC(食糧・エネルギー・医療介護)地域自給を核にした地域分散・地域循環経済を作る。
なにより独占的電力会社に原発ノー・石炭火力発電所ノーを突きつけるエネルギー生活協同組合発足のきっかけを民医連が提唱して作るという気概で。


2:無駄な病気発症と重症化で温室効果ガス排出を増やさないという気概で、共同組織ぐるみの予防活動と、プライマリ・ケア徹底の意義を再確認してひたすら実践すること。

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2021年12月 9日 (木)

「女性医師の会」特別企画を視聴する


最近あった消化器病学会中国支部例会で、「女性医師の会」特別企画 ビデオハンズオンレクチャーというのがあったようで、今日アーカイブ配信で以下の講演を聞いた。

「咽頭癌・食道癌の内視鏡診断と治療」

演者:藤原 純子(防府消化器病センター防府胃腸病院 消化器内科)

「大腸内視鏡挿入法のコツ」

演者:結城 美佳(出雲徳州会病院 内視鏡センター)

とくに大腸内視鏡検査では、操作部を握る左手を軽く大きく動かすと、ネジ回しの原理でスコープ先端ではその動きは強力かつ繊細に伝わり挿入しやすくなる、左手の動きこそがコツだという話にはうなずいた。スコープの回転も軸を握る右手では動きは小さくても強い力が必要だが操作部を握る左手だと大きく動かせば弱い力(パワーレス)でよい。
おそらく無意識にそうしてはいる、操作部を180度回転すると進みやすくなるなどとして自分でも気づいてはいたと思うのだが、そのように言語化したことがなかった。スコープを右手で握るポイントを手前に寄せるだけでスコープ先端が回転する、起点のひだを定めて対側に見える点に向かってスコープを進める(つまり「ン」の形を続けると自然に大腸が直線化してくる )など、細かく言語化して教えることができていたら、もっとたくさん大腸内視鏡ができる若い人を育てることができたのにと悔やむ。

 

もう一つアーカイブ配信されていた「専門医セミナー」では、圧倒的に侵襲の少ない内視鏡治療で済んだはずということが外科手術した後の標本検討で分かったという例、一見して胃の粘膜下腫瘍に見えたが胃とは離れていた異所性肝癌を内視鏡超音波下に胃壁を超えて針生検を行ない、思わぬ出血と癌の腹膜播種を招いたという反省事例が正面から検討されていた。こういうことの積み重ねが医療への信頼を強化することになると感心した。

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2021年12月 8日 (水)

エリック・ホブズボームの伝記の要約

今日、雑誌「世界」12月号で三宅芳夫による歴史家エリック・ホブズボームの伝記の要約を読んでいて、マルク・ブロックという名前を知った。
 
「アナール(年報)派の創始者であり、後にレジスタンスに参加・銃殺された歴史家」とある。
アナール派と言われても実はよく知らない。その流れの中にあるフェルナン・ブローデル『歴史入門 』中公文庫 を読み(同「地中海」には手と財布が届かずー丸善の棚の一番高いところにあったからである)、日本の網野善彦が影響を受けているというのをどこかで聞いただけだ。
 
ウィキペディアで見ると、53歳でレジスタンスに加わり57歳でドイツ軍に捕まり殺されている。
 
マルク・ブロックによると、極右の勢力が増していた戦前のフランスは国内に反ファシズムの合意形成もなく、戦う気概と覚悟もないまま、強大な陸軍が劣勢のドイツ軍に開戦6週間で惨めに降伏した。
 
一方、ドイツ軍は全将兵をメタンフェタミンという覚醒剤漬けにして、2昼夜ぶっ通しで進軍させた。
ここで、もしフランス陸軍が実力を発揮してドイツの進撃を押さえていれば、ドイツ国防軍はヒトラーに背くクーデター計画を実行に移し、その後のユダヤ人大虐殺は実現しなかったのは確実だとされる。そういう意味でフランスの結果責任は相当重い。
 
いま極右が大統領選で大躍進しているフランスはもう一度世界の前で恥を晒すのかもしれない。
 
なお、雑誌「世界」のこの記事の最後は、燃え尽きた灰の中からもう一度、世界に無数の前衛党が萌え出すことを期待して結ばれていて感動的である。

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医療生協のニュースに新年挨拶

わずか500字で医療生協のニュースに新年挨拶を依頼される。これは難しい。下のように無味乾燥なものに。
「新年明けましておめでとうございます。
2019年末に世界第1例目が報告された新型コロナは2021年も大流行し、日本の大都市部を深刻な医療崩壊に陥れました。今もまた新変異株の脅威の中で新年を迎えています。新自由主義に導かれた資本主義経済のグローバル化がこのようなパンデミックを生んだのは間違いありません。被害は、国際的にも国内的にも、貧困と格差の谷間を這って広がりました。変異株の大半がワクチンの届かなかったグローバル・サウスにおいて発生し、国内においては、非正規・女性・若年の労働者、零細自営業者に被害が集中しました。
さらに気候危機が人類の安全と生存にとって一刻の猶予もない段階に至っています。足元では医療自体が温室効果ガス排出の5%に責任がある巨大な汚染産業です。病気の発生と重症化を予防することが極めて切実になっています。どんなパンデミックにも動じないアクセスを実現しながらも環境汚染は軽減する2つの課題において、貧困・格差による健康破壊と全力で闘う民医連・医療生協運動が主役と信じます。皆様のご奮闘を心からお願いするものです。
末筆ではありますが、今年がみなさまにとって良い年になるようお祈り申し上げます。」
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悪の三位一体、「evil trinity」

相互の同調で巨大化しながら健康を破壊していく2つ以上の疾患のことを「シンデミック」とマーモットさんたちは名付けたようだ。
A syndemic describes “two or more diseases” that synergise to make each other worse and include societal as well as biological drivers of poor health.
つまりコロナと貧困・格差の相乗作用のことを言うのだが、気候危機もこれに加えるべきである。
悪の三位一体、いってみれば「evil trinity」 だ、といつものように言葉遊びを暴走させながら考えていたら、実はそういう曲があるのだった。Destinyというグループの、それも Climate Change というアルバム。30秒間試聴できるが少し気に入った。
https://www.amazon.co.jp/The-evil-trinity/dp/B06ZY4WX5H?fbclid=IwAR3akH4R4FkEWwvOfvaIGpLGUET2TFQKYRXrcZsKqZbz7YqNNkoa_fMh6Z4

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2021年12月 3日 (金)

ボンヘッファーと石川 淳

ボンヘッファーについてのウィキペディアで知っただけだが 以下の彼の言葉は今朝の僕に突き刺さる。
1939年の彼の書簡に書かれていること。
„なぜなら、神(=イエス)は貧しく、惨めで、無名で、敗北した人間になったのであり、神自身は貧困と十字架においてのみ見出し得るので、それゆえ、我々は人間とこの世から逃れることは出来ず、兄弟たちを愛し続けるのである“
作家 石川淳が 江戸時代以来の庶民の世界観として「やつし」と「見立て」を第一にあげたのにもこれは通じている。
そこの困窮し苦しむ受診者に身をやつして仏は君を訪れているのかもしれないのである。僕らは誰が身をやつした仏かはわからないのですべての困窮した人を仏と「見立て」なければならない。
以下は興味深い田中優子、松岡正剛らの鼎談である。
https://edotokyo.hosei.ac.jp/application/files/1015/3292/6859/20180421edomondo.pdf?fbclid=IwAR0EoXWrqWBTSNhhNLkXuPs1tLu1pwwKhjfnMHRx1JXyhFEN_7bqNO7JTO4

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