« 介護戦争はこれからだ | トップページ | ボンヘッファーと石川 淳 »

2021年11月26日 (金)

2021.11.27 医療生協理事会挨拶             

急に冬が来たような寒さですが、皆様ご苦労様でございます。
前回理事会以降の大きな出来事といえば10月31日の総選挙と、同じく10月31日に始まって12日まで開かれた国連気候変動枠組条約第26回締約国会議COP26でした。
総選挙はご存知のような結果でしたが、山口民医連は11月24日に市民連合・山口 代表の熊野 譲さんにリモートでその総括をお聞きしました。熊野さんは前回の県知事選の候補者だった方ですが、今回は安倍元首相の立候補する4区で、全国唯一「れいわ新選組」所属の候補が野党統一候補となった選挙の中心にいました。色々興味深い話を聞いたのですが、何もしなくても当選したはずの安倍元首相夫婦が可能な限り地元に朝から午後8時まで張り付いて必死に活動したというのが印象に残りました。権力を持っている側は常にその権益を奪われまいと必死なのですね。それに対して野党側は協力といってもこれまでのしがらみが強く、立憲に属する統一候補の選挙事務所に共産党は立ち入れないとかの不十分さが残り、活動量で圧倒的に差をつけられたということでした。
加えて山本太郎の1時間も続く演説の教育的効果の絶大さも熊野さんに深い驚きを与えたようでした。そんなことはとっくに熟知していていいはずの人が「そうか、消費税は社会保障には使われていないんだ、初めて知った」と漏らしたのだそうです。
 
私自身は今回の選挙で4野党と市民連合の共通政策6項目が合意され、その4に「地球環境を守るエネルギー転換と地域分散型経済システムへの移行」という項目が入ったことが極めて重要だったと思います。
協同組合が縦横に活躍する地域循環経済、それも食糧とエネルギーと医療介護を軸にした地域経済が確立することこそ、気候危機と闘いながら人間が生存を確保する要となると思います。それを政策の正面に掲げて不断に活動する各選挙区ごとの市民連合を作り上げることが切実な課題です。残念なのは共産党が必ずしもこの課題を前面に押し出さなかったことですが今後に期待したいと思います。
このことは、いま計画されている介護保険改悪をめぐる深刻な情勢についても当てはまります。介護保険は早晩自己負担3割、サービス提供は要介護3からというところまで押し込まれようとしています。介護保険料徴収を30歳から開始することも考えられています。
すでに介護保険サービスを使っている人でも、限度額の7割以上かつサービスの費用のうち訪問介護が6割以上となっている人場合にはケアプランの点検を行ってサービス利用を抑制しようとしています。
これは65歳以上の高齢者人口が2040年にピークになるだけでなく、日本全体の人口減少の中で75歳以上の後期高齢者人口は2030年から2060年まで2200万人以上という膨らみきった状態が続くことへの対策です。
地域には介護を必要とする高齢者とその家族があふれるのに、それに使う公費は絶対に増やさない、使わせないということですので、地域は「介護戦争」になること必至です。
これに対して私達ができることは介護を地域の主要な産業、それも利益を東京に持ち出されない地場の産業として育てることです。もちろん介護は産業ではなく社会保障であるべきですが、雇用を生み地域経済を拡大するという意味であえて産業と言っています。私達医療生協も介護事業はしっかり拡大して2030年を迎える覚悟を固める必要がありますが、それを政治的に支える各選挙区ごとの市民連合の必要性はどの方向から考えても私達の生命に直結するものと思えます。
 
もう一つ国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)のことです。
1990年ブラジルのリオデジャネイロで気候サミットが開かれて、世界的な気候危機対策が始まり、ほぼ毎年国際条約締約国会議COPが開かれてきたのですが重要なCOPは2回ありました。1997年のCOP3が決めたのが京都議定書というこれも国際条約です。もう一つは2015年のCOP21で決めたパリ協定という国際条約です。
今年のCOP26 はご存知のように、パリ協定の「2度以下の上昇に抑える」から一歩進んで「1.5度以下の上昇に抑える」を目標に掲げるという前進があった一方で、インドが音頭を取って石炭火力発電所の「段階的な廃止」でなく「段階的な削減」を目指すという決議にしてしまうという大きな後退があり、世界中の人をがっかりさせました。
しかし、そのインドは石炭火力発電所による大気汚染が極限状態で、11月に入って緊急に世界単火力発電所の運転を何回も停止しました。
 
振り返って民医連や医療生協の歴史を思い出すと、戦前の無産者診療所の伝統を継承して戦後結成された民医連が飛躍的に国民の支持を獲得して大きくなって、医療生協という形で組織の整備を進めたのは1960-70年台の反公害闘争によるところが大でした。
そのとき企業側は煙突から出る排煙から有害物質を回収する装置の工夫で対処して、大気汚染も相当に改善したのですが、CO2についてはそういう技術的対策はほぼ絶望的です。
インドに反大気汚染運動が起こり民医連や医療生協なものが生まれて、先進国の石炭火力発電所廃止の市民運動と連携するということなども決して幻想ではないと思います。
以上、介護問題をとってみても、気候危機問題をとってみても、ともかく地域での陣地構築が何より急がれる、その中心はどう考えても医療生協、民医連だという年度半ばでの私の思いを述べて挨拶を終わります。
 

|

« 介護戦争はこれからだ | トップページ | ボンヘッファーと石川 淳 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 介護戦争はこれからだ | トップページ | ボンヘッファーと石川 淳 »