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2021年10月 8日 (金)

正義とケアの倫理

昔から考えていること。
例えば、女性差別とレイシズムに染まり、それが「その人らしさ」になっている男性がケアを受けるとき、
「外国人の女性職員はいやだ、日本人の男に代えてくれ」と要求したとする。
「その人らしさ」を尊重するケアの倫理ではそれに従うのであろうが、
女性差別とレイシズムを許さない平等主義的正義ではこの要求は否定されるし、その要求に固執する利用者は退去してもらうだろう。

こういうのをケアの倫理と普遍的な倫理の乖離というのだろうか。

とはいえ、ある断面で考えず、人間性の変化に必要な時間というものを設定して、
ただちに女性差別とレイシズムを克服できないにしろ、その男性がいまのいまケアの要求を満たしてもらわなければ生きていけない存在であり、女性差別やレイシズムに陥った背景もあるということをちゃんと見て、時間をかけて粘り強く説得を絶やさないということはできるのであるから
ケアの実践の中でこの乖離は解消できると考える方が正しいのだろう。

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