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2021年10月30日 (土)

『「一億総少数派」の時代』

今日の朝日新聞の「耕論」では三牧聖子さんが言う98fcbef5ef124b4d9f005b126dd654be が興味深かった。

誰もが恨みを抱き少数派を任じて腹いせを合理化する時代。

モテない男として少数派だから、権力側にいて幸福そうに見える女性を殺すのは当然だ、というような。

僕が考えるに、これはつまり、人を液状化させ孤立させて支配する現代資本主義が必然的にもたらした状態である。気がつけば労働組合その他の中間組織が消えているのもそのせいだし、男女同権運動が奇妙な論理で骨抜きにされているのも同様だ。

その最大の被害者がミレニアル世代(1980-95生まれ)、Z世代(1996- )にほかならない。彼らは知らないうちに「バトル・ロワイヤル」や「イカゲーム」に放り込まれて、運が悪ければ刑務所行きか路上で暮らすことを運命づけられている。

三牧さんは、そういう時代だからこそ人権・正義・公正という規範を現実的に機能させることが大切だという。

これらこそが現代資本主義を糾弾する最強の言葉である。

民医連でも、この時代なぜ「倫理」という言葉がこんなに重いのだろう、という感想を根岸先生が呟いていたが、
それは偶然のことではなく、

まさにいまが「倫理」と「協同」がキーワードの社会になっているからである。

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『「一億総少数派」の時代』

今日の朝日新聞の「耕論」では三牧聖子さんが言う98fcbef5ef124b4d9f005b126dd654be が興味深かった。

誰もが恨みを抱き少数派を任じて腹いせを合理化する時代。

モテない男として少数派だから、権力側にいて幸福そうに見える女性を殺すのは当然だ、というような。

僕が考えるに、これはつまり、人を液状化させ孤立させて支配する現代資本主義が必然的にもたらした状態である。気がつけば労働組合その他の中間組織が消えているのもそのせいだし、男女同権運動が奇妙な論理で骨抜きにされているのも同様だ。

その最大の被害者がミレニアル世代(1980-95生まれ)、Z世代(1996- )にほかならない。彼らは知らないうちに「バトル・ロワイヤル」や「イカゲーム」に放り込まれて、運が悪ければ刑務所行きか路上で暮らすことを運命づけられている。

三牧さんは、そういう時代だからこそ人権・正義・公正という規範を現実的に機能させることが大切だという。

これらこそが現代資本主義を糾弾する最強の言葉である。

民医連でも、この時代なぜ「倫理」という言葉がこんなに重いのだろう、という感想を根岸先生が呟いていたが、
それは偶然のことではなく、

まさにいまが「倫理」と「協同」がキーワードの社会になっているいるからである。

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2021年10月27日 (水)

僕らの仕事を気候危機の時代にふさわしい、地域を協同組合に、ケアする地域に変える魔法


生産消費システムを根本的に変えてしまえたら素晴らしい。一人一人はこれまでと同じように暮らしていても、CO2産出量は下がっていくということなのだから。

朝、シャワーを浴びてもそのエネルギーが中国電力でなく、自分も一員の再生可能エネルギー協同組合から提供されるというだけ。窓の外に小型風車が回っているが。

 

話は変わるが山口民医連を45年間かけて作ってきたわけだが、どうも他の民医連に比べてなにか欠けるという気がしていた。

福岡や山梨の民医連に短期間ながら所属していたとき感じた濃厚な同志感がなく、どこにでもある病院の人間関係の希薄さがつきまとう。

それは地域住民に対しても同様だ。

これはなにか医療生協運営に関わるシステム上の欠陥を僕らがどこかに抱えているからだろうとずっと考えてきた。

それを正さないと職員が、ひいては患者、住民も幸福を損なう。

相当長く考えてきて、ようやくこの医療生協の構造をどう変革すれば、みんながいつもと同じこれまでどおりの仕事をしていても、その仕事が輝き始め誇りに思え始めるという、言ってみれば、システム上のキーになるポイントを見つけた。

つまり、みんなの仕事をソーシャルワークの上に乗せて包むだけで、そうなるのである。そうして初めて、自分の仕事の成果が、ただの交換価値から使用価値に磨きをかけられるということになる。

言い換えるとソーシャルワークで仕上げるという最後の一工程が僕らには欠けていたのだ。

そしてそれが、僕らの仕事を気候危機の時代にふさわしい、地域を協同組合に、ケアする地域に変える仕事にする 魔法

Maxresdefault_20211027150401 でもあるのだ。

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2021年10月26日 (火)

グリーン成長(政府内左派)、グリーン・ニューディール(資本主義内左派)、脱成長(私達)の類似点と違い

佐々木隆治さんから紹介されたものだが、この文章は斉藤幸平さんの主張に正面から向かい合って、グリーン成長(政府内左派)、グリーン・ニューディール(資本主義内左派)、脱成長(私達)の類似点と違いを丁寧に解説している。必読。今後、江守正多という人にも注目して置かなければならない。
https://news.yahoo.co.jp/byline/emoriseita/20211025-00264730?fbclid=IwAR0Pxj5Q7zX52NEmFmEfrl4_LBIlG51tV6KGKoAvEiqDGOIf7Fy2dQJHNK8

 

『日本の経済戦略は「グリーン成長」路線に大きく舵を切ったように見える。2020年12月に経済産業省が策定したのは,その名もずばり「2050年カーボンニュートラルに伴うグリーン成長戦略」である.』

 

『D’Alessandro et al.(2020)の結果によれば,グリーン成長ケースでは温室効果ガス排出量は削減できるが,格差と失業は悪化する.GNDケースでは同様な排出削減を達成した上で格差と失業も改善するが,政府の債務が増加する.脱成長ケースでは他の2つよりも排出削減と格差や失業の改善に大きく成功するが,政府の債務はさらに増加する.この結果を見るかぎり,グリーン成長が社会問題の側面において抱える弱点が確認されたと同時に,脱成長が資金調達において抱える課題が指摘されたといえる。』

 

『脱成長への移行を促すためにはトップダウンの政策を提案するだけではなく,ボトムアップの社会運動が重要であることを強調する(Kallis et al., 2018).その上で,脱成長を促す政策提案として挙げられるものは,無償の公共サービス(ユニバーサル・ベーシックサービス),所得上限の規制,労働時間短縮,企業経営の民主化などである(Keyßer and Lenzen, 2021).』

 

『脱成長をたとえばGNDと同列な,一国内で構想可能な「政策パッケージ」の一つと見なすのは適切でないように思える.GNDは現状の資本主義システムの下で提案可能だが,脱成長は資本主義システムを世界規模で大きく書き換えるプロジェクトである点でGNDと質的に異なるのだろう(Mastini et al., 2021)』

 

『「脱成長」(degrowthまたはpost-growth)は,エネルギーと資源の利用(throughput)を計画的に減少させつつ,社会の不平等を是正し幸福(well-being)を向上させることは可能であるという仮説の下,そのような社会経済システムへの移行の実現を唱道する理論ならびに社会運動である(Kallis et al., 2018; Hickel, 2020).成長を止めることにより社会の幸福をむしろ改善しようとする新しい社会経済のビジョンにその特徴がある.
脱成長の仮説を前提とすれば,世界総計でGDP成長の無い将来シナリオを描くことができる(この際,現在の高所得国のGDPは減少し,低所得国のGDPは増加することが想定されている).この条件下であれば,既存シナリオの懸念点である,GDPとエネルギーの急激なデカップリング,再エネへの急激な移行,負の排出技術の大規模な利用のそれぞれへの依存度を緩和し,シナリオの社会-技術的な実現可能性を高めることができる(Keyßer and Lenzen, 2021).』

 

『脱成長はうまく実現するならば魅力的なビジョンだが,実現するとしても時間がかかりそうだ.仮に30年かかるとしたら,2050年までの脱炭素化には間に合わない.その場合でも,移行期において部分的に実現する脱成長的な「要素」がグリーン成長の課題を緩和するのに貢献するかもしれないし,あるいは思わぬ形でもっと早くパラダイムシフトがやってくるのかもしれない.』

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2021年10月22日 (金)

2021.10.23  医療生協理事会挨拶


新型コロナは一応の収束傾向を見せていますが、今週辺りから急に寒くなりました。理事の皆様に置かれても体調管理にぜひお気をつけください。

10月24日投票の参議院補欠選挙、10月31日投票の衆議院選挙の真最中ですので、理事会もなるべく短くしたいと思いますのでよろしくご協力お願いします。

 

私からの話題提供もごく短く、生活保護に関してのみとしたいと思います。

コロナ禍のもとで厚生労働省が随分柔軟に生活保護を運用しようとしているのはお気づきのことと思います。

2020年4月7日に資料1に示したように事務連絡を降ろしています。

https://www.mhlw.go.jp/content/000619973.pdf

要点をまとめると

① 保護申請のときの聴取は最低限にして口頭の申請も認める

② 自動車も1年以上の所有を認める

③ 持ち家の処分は求めない(これは以前からです)

④ 緊急事態中に就業先が見つからないのは当然とみなす

⑤ 一時的に知人宅に避難していても同一世帯とはみなさない(これは以前からです)

⑥ 住宅扶助額を超える家賃の住居であっても転居指導は保留してよい

 

しかし、現場ではこれに反する行政がなされており、相変わらずの水際作戦が続行中です。

全国で行われている食糧支援においても憂慮すべき事態が生じています。

全日本民医連に鳥取医療生協から寄せられた情報ですが、フードバンクを利用した生活保護受給者が、それを収入とみなされて翌月の保護費から差し引かれていたというのがあります。

すでに2009年に厚生労働省はそういうことをしてはいけないという事務連絡を出しており、それを示しての抗議に、鳥取市側は、厚労省の言うことは原則に過ぎない、自分たちは間違っていないという態度であったようです。

さらにある県の社協主催の困窮支援において、物品の袋の中身が生活保護と生活保護ではない人では異なったものにされていたというのもあります。

先日行われた山陽小野田市の食糧支援においても、大村常務理事に対し地元社協が「生活保護受給者の支援はしないように」と言ってきたとのことです。

私達は、これらに類似する事例について情報収集を急ぎ、昨年の厚労省事務連絡を生活保護行政の現場が生かしているかどうかを問いただす活動を展開すべきと考えます。

 

いま、世界の先進国の多くがコロナ不況から回復して経済活動が急に上向きになる中で日本が大きく立ち遅れているため、物不足がおこり、不況なのに物価が急上昇するという事態を迎えています。これはまず生活保護受給者を直撃しています。

 

国が2013年から2015年にかけて、生活扶助基準(生活保護基準のうち生活費部分)を平均6.5%、最大10%引き下げたことに対し全国から1,000人を超える人が原告となって起こした「いのちのとりで裁判」では 今年2月22日、大阪地方裁判所がこれを違法として基準の引き下げを取り消す判決を言い渡しました。最低限度の生活の具体化に係る判断の過程及び手続に過誤と欠落があるとしたものです。これは大阪府の自治体が控訴し、さらに名古屋、福岡、札幌、京都では敗訴しましたが、コロナ不況中の物価上昇という現実が大阪地裁判決の正しさをいやおうなし証明しつつあると思います。

 

考えれば生活扶助の基準引き下げ自体が、2012年に政権復帰した自民党の「生活保護費10%減」という公約を無理やり実現させようとしたものでした。この選挙がこれを根本的に覆すものになることを願って挨拶を終わります。

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2021年10月15日 (金)

雑誌「世界」11月号 酒井隆史「反平等という想念」


雑誌「世界」11月号 酒井隆史『反平等という想念』を読んでいて驚いたこと。僕たちの平等概念の根源はアメリカ先住民の思想、あるいは存在様式だったのか?

「最近の研究があきらかにしているように、近代の平等の概念そのものが、近代初期にヨーロッパがネイティヴアメリカンによる知的伝統に遭遇し、その革命的インパクトを浴びて動揺」・・・して生まれた。
◯自由民主党の「自由」とは、私有の自由であり所有物を処理する自由である。

それに対して「リベラル平等主義」「自由民主主義」(ユヴァル・ノア・ハラリの翻訳本でもこの言葉は頻出していた)の自由は、隷属からの自由という意味の自由である。

領主の支配を免れた市民の私有の自由は、隷属からの自由のほんの一部に過ぎない。そのほんの一部が倒錯的に残りのすべての自由を抑圧しているのである。

隷属から自由であれば、支配者の庇護は望めないから相互扶助が必須条件になる。

隷属から自由で、相互扶助に依存して生きる者同士は平等である。ここで平等が登場する。

現実には隷属下にある人が支配者に対して平等を望むことから、自由を獲得する。
しかし、その平等は隷属している者同士の平等ではない。

つまり「同一労働同一賃金」という平等要求は、賃金労働者同士の比較に終わるのならなんら自由に至るものではない。だから安倍もしきりにこれを唱えたのである。

隷属からの自由と、

自由であるもの同士の平等な相互扶助という、
本当の自由と平等の概念を、
ヨーロッパ社会はアメリカ先住民から受け取り、
最後には「貧しい未開民の受動的な平等」という偏見に押し込めて圧殺した。

「自由であるもの同士の平等な相互扶助」について思い出すのは、日野秀逸さんが何度も語ったナバホ族の医療、つまり全部族参加の無償な共同の営みとしての医療である。
日野さんのこの語りも、アメリカ先住民の自由と平等からヨーロッパが受けた深い衝撃の遠い谺だったはずである。


マルクスはルイス・ヘンリー・モーガンのイロコイ・インディアン研究『古代社会』を読んで詳細なノートを作成していた。

彼が1883年に死んだあと、エンゲルスはその研究ノートを使って『家族・私有財産・国家の起源』を書いた(1884年)。

 

イロコイ族の作っていた部族国家イロコイ連邦のあり方は建国されたばかりのアメリカの民主主義に影響を与えたらしいことは知っていたが、今日雑誌「世界」11月号の酒井隆史「反平等という想念」を読むまでは

 

エンゲルスのこの有名な本もヨーロッパが平等を徹底したアメリカ先住民社会から受けた巨大な衝撃の一部分に過ぎなかったということに気づかなかった。
◯イロコイ連邦の影響は、大西洋を超えてスイスの連邦制と直接民主主義に影響を与えていた。
今、僕らが参考にしようとするスイスの直接民主主義もスイスの伝統というより、アメリカ先住民の叡智だったのである。
https://www.swissinfo.ch/jpn/直接民主制へ向かう/スイスと米国の民主主義_スイスの連邦制-創設のモデルはインディアン/43643152

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2021年10月12日 (火)

医療介護地域福祉複合体

消費生協から医療生協、医療介護生協に、さらに地域福祉(=生活支援)事業を加えたケアの生協へという質的変化。
事業サイドから見ると医療介護複合体から医療介護地域福祉複合体への発展。
生活支援事業は貧困者支援にとどまらない、全住民対象のもので、エネルギー自給協同組合、食糧自給協同組合にもつながっていく。
住民サイドから見れば、なにもないところに自分たちの商店や病院を作って購買者や患者になることから始まり、その商店や病院を拠点に互助活動を展開するという、能動ー受動ー能動という重層的な活動形態を、
さらに地域と生活を広くカバーする展開に進めるということになる。
つまり協同組合的地域社会に向けての止むことのない前進。

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2021年10月11日 (月)

連続革命、受動革命

気候危機のさなかにあって、2008年のリーマンショックや2020ー2021年の新型コロナショックを資本主義が克服できたように、資本主義はこの課題も乗り越えられるだろうという、根拠のない「資本主義の生命力」論が語られるのをたまに聞く。そのような主張が発言者を安心させるのは分かる。最近発想したばかりの「400年の革命」説に安住できるからである。
 
しかし、そう考えるより、気候危機の恐怖に後押しされて、本来の担い手より階級が上にずれる形で切迫する連続革命の最初の担い手が現れる可能性の方が高くないだろうか。たとえばゴアなどが担わされる「受動的革命」。
反化石燃料・反原発・反資本主義の統一戦線を担うのは実際誰になるだろう。

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2021年10月10日 (日)

この内閣と核兵器禁止条約

岸田首相についてはサーロー節子さんも言っているが、岸田首相と斉藤鉄夫国交相という二人の広島関係者が揃ったこの内閣が核兵器禁止条約に幾分でも積極性を見せないのでは保守の延命はないだろう。
党派的には延命しなくてもいいが、人類的には
自民党がギリギリの生命力を発揮した方が良い。

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総選挙

選挙戦の最中だから書きにくいが、岸田が問題は資本主義だと大きく構えたのに、枝野、志位がそれを正面から受け止めていない気がする。
自分たちが設定した争点の内側でものを言っている。岸田は安倍の三番煎じから外れている可能性がある。
彼が演説で取り上げていた諺も僕らの間で常識だったものである。協同の意義を見事に表現したもの。三本の矢とは違う。
立憲も共産も現状では資本主義の枠内で活動する政党だが、それは固定的なものではないだろう。敵が資本主義の仕切り直しを言うなら、資本主義ではダメだと答えなくてはならない。さらに言えば、成長と分配の二軸で考えていていいのかという応答が望ましい。生産のあり方が気候危機の中で鋭い争点になっている。
争点は変わる。固定した役割認識に囚われていると大衆が進み出そうとしている新次元に遅れをとるだろう。1917年10月のレーニン、トロツキーの発想はそういうものだった。

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2021年10月 8日 (金)

正義とケアの倫理

昔から考えていること。
例えば、女性差別とレイシズムに染まり、それが「その人らしさ」になっている男性がケアを受けるとき、
「外国人の女性職員はいやだ、日本人の男に代えてくれ」と要求したとする。
「その人らしさ」を尊重するケアの倫理ではそれに従うのであろうが、
女性差別とレイシズムを許さない平等主義的正義ではこの要求は否定されるし、その要求に固執する利用者は退去してもらうだろう。

こういうのをケアの倫理と普遍的な倫理の乖離というのだろうか。

とはいえ、ある断面で考えず、人間性の変化に必要な時間というものを設定して、
ただちに女性差別とレイシズムを克服できないにしろ、その男性がいまのいまケアの要求を満たしてもらわなければ生きていけない存在であり、女性差別やレイシズムに陥った背景もあるということをちゃんと見て、時間をかけて粘り強く説得を絶やさないということはできるのであるから
ケアの実践の中でこの乖離は解消できると考える方が正しいのだろう。

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医療生協の構造ーソーシャル・ワークによる下支え

ソーシャル・ワーク部門に支えられてこそ初めて法人内の様々な医療・介護・福祉・保育の事業所が一体のものとなり、それぞれが輝くことができる。
多様な事業所を結びつけて輝かせることも、事業所の外に全事業所の共通資源(コモン)、下支えするものとして設置された機構としてのソーシャル・ワーク部門の役割である。
今日はその姿をいろんな果物を包む透明なゼリーの塊に例えてみた。
ゼリーで結び付けられてこそ、あるいはゼリーの中に埋め込まれてこそ不安定な一個一個の果物も安定して立つことができるように、一つの民医連や医療生協が全体として患者・利用者・市民に向かい合うことができる。
そしてゼリーという柔らかいものでくるんでこそ、事業所間の関係も対等で非競争的なものになれる。
若い後継者にひとかたまりのイメージとして、民医連や医療生協の姿を提示できるのもゼリー寄せになっているからだ。
ゼリーはいくらでも広がり、そのうち自体体をもくるむことができる。つまりこんな感じ。よく見ると地域住民全員がそこに包まれているのが見えてくるだろう。Maxresdefault

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ケア革命ー若干 「ケア毛沢東主義」的に


○支配する側から論じる民主主義は本物でないとすれば、ケアを受ける側とケアを提供しながら社会から排除されがちな側(つまりエッセンシャル・ワーカー)から民主主義を論じることが重要だ。

依存する人たちのケアに当たる人たちが社会的に脆弱な立場に置かれるという指摘は、とっくにエヴァ・フェダー・キティがしていることで、別に新しいことではないが、民主主義を再編制していくことにおいてその立場が出発点になるというのは何度指摘しても無駄ではない。

 

○「女性の特性に似つかわしい」という虚言をでっち上げて女性に担わされていたケアを簡単に投げ出して、今度は別の社会的弱者に転嫁するのでなく、むしろケアこそ社会の本質として全員で担う方向にケアを再編成することこそが正しい。

 

これは今後「ケアの自給」を地域経済の三本柱の一つに据えようとするとき極めて有効な態度になる。

 

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○ケア革命ー若干 「ケア毛沢東主義」的に
人々のなかで一定に定められた労働時間を、必須労働時間と選択労働時間に分け、必須労働時間=ケア労働、選択労働時間=職業的労働の時間とする。

ライフステージによって、定められた労働時間がまだ8時間とした場合、必須が7時間、選択が1時間のときもあれば、逆のときもあるが、合計すれば同じ傾向になるようにする。

なお自分がケア対象になるときは、ケアを受ける時間を協働の時間として必須労働時間にカウントする。

ケア対象は自分や自分の家族というより、割り当てられた他者であることを基本とする。

もちろん、ケアの技量向上のための学習については生涯学習として必須労働時間の中にカウントする。

社会の価値の中心にケアを置き、ケアの分担・共有・「ケアする社会」の完成度を民主主義と正義の到達度の指標とする。

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2021年10月 7日 (木)

医療は最大の汚染産業の一つ。保健予防によって発病率と重症率を低くして地球汚染を軽減する義務がある。

イギリスの医学雑誌BMJの記事だが大事なことが書いてある。https://www.bmj.com/content/374/bmj.n1323
医療は最大の汚染産業の一つであり予防をしっかりやって発病率と重症率を低くすることが医療による地球汚染を軽減するなどという視点を持たなかった自分を反省した。プライマリケアと予防・社会保障へのアクセスを良くすれば、病院医療を不必要に使用しないで済む、また、受診先の調整によって、重複受診による患者や医材・医薬品の移動も最小限にできるということをしっかり肝に銘じる必要がある。
これもまた「ケアの自給」の必要条件だろう。
食糧自給とも結んで、患者住民が地元の食糧生産プロジェクトに参加すれば、メンタル不全・食糧不安・社会的孤立などの健康の社会的決定要因に取り組むことになる。こういう発想も魅力的だ。
:「CO2ゼロ排出の医療 ー 臨床医の行動への呼びかけ」
「医療は最大の汚染産業の1つであり、世界の温室効果ガス全体の5%近くを占める。
ネットゼロ排出量を達成する、つまり、自然のCO2吸収とバランスが取れるようになるまでCO2排出量を削減するには、医療提供の効率と環境影響を最適化する必要がある。
ただし、これらだけでは不十分だ。また、必要な医療の量と強度を減らすために、病気の発生率と重症度が減るように努力する必要がある。さらに、適切な医療を確保し、不必要な検査や治療を回避することにより、医療サービスの供給を目標に合わせる必要がある。
医療へのアクセスは拡大し、医療による環境汚染は軽減するという2つの目標を達成しながら、絶対排出量を削減すること。」

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2021年10月 2日 (土)

医療生協健文会「地域福祉室の理念と目標」案 

山口のそして日本のケアのあり方を変えたいという大志で医療生協健文会地域福祉室をここにささやかにスタートします。
これまでの私達の仕事である医療や介護も、それを求めながら手の届かない人びとに結びつくソーシャル・ワークがなければ十分に役割を果たすことはできません。
ソーシャル・ワークは社会に必須とされる医療、介護、障害者福祉、保育、女性の人権擁護などからなるさまざまなケアを全体的に下支えする重要な役割を持ち、それらと並んで大きなケアの一環をなすものです。
そしてソーシャル・ワークは「当事者中心のケア」を実現するための意識的な試みでもあります。
私達の地域福祉室は、ケアの中に残るさまざまな境界を軽々と横断するソーシャル・ワークを通じて人々が協同して生きる「協同組合的社会」を目標とします。
特に経済的貧困と人間関係の貧困の双方に継続して関わり続ける「伴走型支援」を心がけ、「ケアする地域づくり」をめざします。
困難を抱えた人を社会「制度」につなぐだけでなく、「社会そのもの」につなぎ、その社会を個人の尊厳を守り抜くものに変えることをめざします。

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