ケアの自給について
医療・介護・障害者福祉・保育・ソーシャルワークなどからなるケアの場を可視化し、医療の二次圏域くらいの範囲で水平統合を強め、ケアの質と量、雇用の量と質を合わせて改善し続けるにはどうしたらいいのだろう。
すぐに回答はできないが、その中での協同組合的要素をどう増やすかにかかっているのは確かだ。
医療・介護・障害者福祉・保育・ソーシャルワークなどからなるケアの場を可視化し、医療の二次圏域くらいの範囲で水平統合を強め、ケアの質と量、雇用の量と質を合わせて改善し続けるにはどうしたらいいのだろう。
すぐに回答はできないが、その中での協同組合的要素をどう増やすかにかかっているのは確かだ。
皆様、せっかくの秋晴れの中をご苦労さまでございます。
コロナ感染の第5波がようやく収まった様に見えますが、首都圏では再びPCR陽性患者を見ることが多くなったという医師の観察も報告されていますので、引き続き警戒が必要と思えます。理事の皆様のご自愛お願いする次第です。
先日の台風14号の進路の奇妙さには驚かされましたが、9月17日には宇部市から宇部協立病院に初めて福祉避難所としての具体的な依頼があり、なんとか応えることができました。在宅で人工呼吸器使用中の方が停電を心配されて非常用発電が完備された病院への避難を希望されたものです。実際に避難所として機能するとなるとまだ何も内部的な準備がないと気付かされる良い機会でした。今後の充実を課題にしたいと思います。今度近づく16号は非常に強力そうなのであまりゆっくり構えていられないかもしれませんが。
さて9月になってすぐのことですが、1日に経済評論家の内橋克人さんが亡くなりました。内橋さんの理論的遺産はなんと言っても未来の日本の姿として、かっての農漁村が「FEC自給圏」として復活することを示唆したことです。このことは内橋さんの意図を超えて気候危機対策の主流になっています。FEC自給圏の意味することを言葉を変えると「協同組合的地域社会」だということになります。同様のことは斉藤幸平さんなども唱えていることです。
これについては、できれば後でNHKクローズアップ現代プラス「内橋克人 未来への遺言」の一部を見ていただきたいと思いますが、私達がFEC自給圏の中のC =ケアの部分の主力を担うものだということは強調しておきたいと思います。
ここでケアというのは医療・介護・保育・障害者福祉などと言い換えてもいいと思うのですが、ケアはもともと地域で自給されているように考えがちなので、改めて唱えられると戸惑いが生じるかもしれません。エネルギーや食糧の自給とは少し勝手が違うと思います。
ここは利用者も提供者も生活が豊かになるケアの実践がケア従事者の雇用を増やし、そのまま地域循環経済を作り出す場面を想像していただければいいかと思います。しかし雇用が増えても営利目的の事業展開だと隠された不幸が積み上がっていくばかりです。さらに首都圏や九州に回復期病院を大量に展開する○樹の会や、巨大介護事業者である創△会のような全国チェーンのケアの場合は、利益は地域外の本部に流れ出し地域経済への貢献もなくなります。
医療福祉生協の事業のように住民が運営に参加することで「ケアの自給」が具体化されるのだと思います。そういう意味で医療福祉生協こそが内橋さんの思いを継ぐものなのだということを改めて申し上げておきます。
さて今年度中に、法人全体のソーシャル・ワークを担う地域福祉室を軌道に載せたいと考えている最中なのですが、その理念を表す言葉の一つとして「伴走型支援」というものがあると思います。この概念も年々進化しているものなのですが、今年、北九州の奥田知志牧師と日本福祉大学の原田正樹教授が作った「伴走型支援」という本が有斐閣から出版されています。皆様にもぜひ読んでいただきたいものとしてご紹介しておきます。
この本によると伴走型支援とは、経済的貧困と人間関係の貧困(後者は孤立とも表現されますが)の2つの貧困の双方にかかわっていくものです。
つまり、困難にぶつかっている人を社会福祉の制度につなぐことと、社会そのものにつなぐことの2つを伴走型支援は行います。
社会そのものにつなぐということは、社会自体をつなぐことができるような社会、つまり「ケアする社会」に変えていかなければできることではないという極めて挑戦的な課題を含んでいます。この点こそが医療福祉生協が組合員・職員の総力を上げて取り組むことであり、先程の「ケアの自給」の目指すことだと言えます。ぜひお読みいただいてご理解いただきたいと思います。http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641174665
もう一つ重要な文章をご紹介しておきたいと思います。先日、共産党は「グリーン・リカバリー」を唱う2030年までの気候危機対策を発表しましたが、基本的に東北大学教授の明日香壽川さんの主張に依拠したものでした。
その明日香さんのよくまとまった論考が雑誌「前衛」10月号に掲載されていたので、資料として添付しました。明日香さんの主張の中で最も重要なのは、大要、「日本に許された今後のCO2排出総量は9.6ギガトンである。現在1年で1.2ギガトン排出しているので8年で許可量を全部使ってしまう。今から必死で排出を減らす努力をして9年目 2030年には直ちに排出ゼロになるという目標を持つ必要がある」というところです。今の日本政府の目標は2030年の排出量減少が50%に満たないというもので、それも空約束になる可能性が大きいとすれば、目標と現実の間には極めて大きな差があることを改めて自覚しながら運動を進めて行くことが本当に求められているのだと思います。
なお明日香さんは別のところで、太陽光発電はメガソーラーをゼロとして ①10%の建物の屋根の上にパネル設置、②耕作地と耕作放棄地の0.6%でソーラー・シェアリング=営農型太陽発電すれば十分で、これが多くの雇用を発生させ、地域循環経済を8倍近くに拡大させうると述べています。これはメガソーラーによる環境破壊を心配される人には朗報かと思います。
*合わせて雑誌「世界」10月号の斉藤幸平さんの文章も添付します。明日香壽川さんに応答した興味あるものです。
以上多岐にわたりましたが、今回も熱心な議論をお願いして私の挨拶を終わります。
ーグリーン・ニューディールはよく知られているし、それを巡る論争も想定している。
だが、グリーン・リカバリーとは何か?という気がしたのだが、検索してみるとこれは新型コロナに絡む用語だった。
振り返ると、雑誌「世界」2020年8月号は「グリーン・リカバリー」の特集だった。
つまり新型コロナによって生じた不況・経済活動の停滞からの復興を環境本位にやっていこう、ということで、結局はグリーン・ニュー・ディールでしかありえない。
ところでグリーン・ニューディールに想定される論争とは、以下のどれが正しいのかということである。
①経済的成長を維持しながら気候危機対策も可能にする資本主義
②経済成長を脱することによって気候危機を可能にする資本主義
③脱成長・コミュニズム
①は最も幻想に近く、結局、気候危機を拱手傍観して全員自滅する。
②も詭弁に近い。成長がない資本主義のもとでは、今の日本のように賃金引き下げや格差が大規模化するのは必須だ。これも地獄に近い。金持ちだけが救済される気候危機対策になるだろう。支配層としては、それもまた人口減を促進してより一歩解決に近づくと嘯くのかもしれない。
③は唯一の希望と思えるが、それを担う政治勢力をこれから作っていく難事業が待ち構えている。それもあって僕は最近ずっとレーニン関連の本を読んでいるわけである。的外れかもしれないが。
斉藤幸平さんは『人新世の「資本論」』のなかで、国家主義的に上から気候危機を解決しようとする「気候毛沢東主義」をさらっと否定している。
それについて明日香壽川さんは岩波新書『グリーン・ニューディール』のなかで疑問を呈している。国家による罰則付きの強制なくして気候危機は解決するのか。
ここにはなにか議論のすれ違いがある。
「気候毛沢東主義」というあまり社会科学的でもない用語は、実は現在の中国式の解決方法を指しているのだろう。再生可能エネルギーの開発を国家戦略として覇権の道具にしようとする行き方である。
これには凄惨な管理社会、あるいは第三次世界大戦に世界を導く別の大きな危険がある。だから、この道は選んではいけないのだろう。
土曜日パート医師の就業前PCR検査がエラーということで、早々と長時間の交代当直勤務に就いた。いつPCR陰性という結果が出て解放されるのか?
元はと言えば、自分が提案して決めたことなので、自分で自分の首を絞める結果になった。
しかし、こういう不測事態に病院各部署が反応しないという機能不全も発見できたので、それはよしとしよう。待機の医師を呼び出す理由が、大学病院患者転送という患者都合でも、当直医師の健康不良などの医師都合でも、なすべきことは全く同じなのに、PCRエラーという慣れない理由だと当直医師交代というスイッチが入らないのは、あまりに頭が固いのではないか?
気持ちの荒れる金曜日の黄昏時
だいたい金曜日の夕方遅くの外来は、圏域内で頼る先を失った開業医と患者の駆け込み寺である。
何軒もの病院に断られた挙句、午後5時45分に依頼の電話してくるなら、なぜ僕を第一選択にしないのかと思う。こちらを三流病院だと馬鹿にしているな。
それはいつものことだし、加えて今日はそういう困難ケースが苦手なパートの夜勤当直医だったので、結局僕が3時間残業して入院させた。それから病棟回診である。
ついでに言えば、同僚が投げ出して帰った患者の受け皿でもある。なぜ自分の今日の仕事のけりをつけないで、より過酷な仕事をしている他人にパスして帰宅できるのか不思議なのだが。
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