« 2021年7月 | トップページ | 2021年9月 »

2021年8月26日 (木)

2021.8.28 医療生協理事会挨拶

延々と続く大雨に振り回され続けたような8月でしたが、皆さま特にお困りのことはなかったでしょうか。

今後の災害対策を、健文会の各事業所でも組合員活動でも本気で整備しなければならないですね。
まず協立病院を自主的な避難所として機能させ、そのうえで既存の行政側の避難所と対等に連携しあえるようにしてみてはどうかと考えます。そうすれば今ある行政側の避難所が抱える問題もより具体的に詳細に把握できるのではないでしょうか。

東京のコロナ感染については、特に医療供給体制の崩壊が目を覆うばかりになっています。政府が「酸素ステーションを作る」というのでどんなものだろうと不思議だったのですが、酸素投与を上限にしたプレハブの簡易病棟のことでした。まさに「野戦病院」ですね。確かにこれを各病院の駐車場にたくさん作ると、病院本体から動線分離できて便利かもしれません。
当面の対策としては必要かもしれませんが、ここであまりに粗末なものを医療施設として許可してしまえば、これをきっかけに本物の病院の設置基準の引き下げが行われてしまうのではないかという心配も生まれます。
本質的にはこれまでの病床削減を中心にして苛酷に進めてきた医療費抑制政策の破綻が国民の目に見えるようになったことはこの災害的事態のありがたくない功績に数えられるかもしれません。

この状態で東京周辺の民医連への支援が求められるのではないかと感じています。川崎協同病院では、昨年大けがをした和田先生という外科医が、数人の研修医を指導しながら一人で20-30人のコロナ入院患者の診療を続けているのだそうですが、医師研修もコロナ診療を経験したかしなかったで将来の力量に差が出るのではないかという気がします。
とはいえ、「では東京に支援を兼ねて研修医に送ってみるか」とは即ならないし、東京民医連も支援要求を明らかにしているわけではないので、今しばらくは自分たちの足元の警戒度を高めて、日常診療の充実に努めて待機するというところではあります。

さて、最近の話題では8/22投票だった横浜市長選挙があります。人口380万人、東京を除けば日本第一の都市です。人口はすでに大阪より100万人も多いのですが、そこで政治家経験のない48歳の元医学部教授が勝利しました。医師ではありませんが、コロナも関係する医療統計の専門家だということです。
 本命候補が直前までの自民党の閣僚だったことを考え合わせると、まさに政府のコロナ対策の無責任さへの市民の批判がついに選挙結果として明瞭に現れてきたと言えます。
 今後の選挙では立民・共産で医療専門家を推すパターンで行けば勝ち続けられるのではないでしょうか。医療専門家というところはまさに冗談としていっているわけですが。
 
 内部に目をやると、将来構想が次第に固まってきました。30年ぶりに、大量とも言ってよい若手医師群の形成の展望が見えてきました。単に「いい医療をしたい」というレベルでなく「地域で気候危機と闘う」という若手医師の運動となることで確実なものになります。
それが現実の形をとるまでは60歳以上や70歳以上の高齢医師群がもう少し現状のまま頑張らないといけません。
もっと大事なことは、若手医師群、若手の職員群の活動をしっかり支えるために、ソーシャルワークと医療介護を分け難く一体のものとして提供することを、私たちの医療介護活動の特徴として打ち出しておくことです。
これについても今年は大きな前進を実現したいと思います。
経営困難に陥っている介護事業の現状打破においてもこの医療介護とソーシャルワークの一体化が鍵ではないでしょうか。
 
ただ、そうやって私たちの事業の未来像を描くわけですが、その未来像は気候危機という大変な難題のなかにあります。

その対策の中核として、地域での①エネルギー ②食糧 ③医療介護、という三つの領域の自給計画が挙げられるのですが、医療介護の自給はまさに私達医療生協がしている仕事の延長線上にあります。その領域では私達こそが主役です。

エネルギー自給では、化石燃料に頼らず再生可能エネルギーに全面的に切り替えるとがすでに技術的には可能になっています。課題はそれを地域エネルギー協同組合のような市民の共有物にすることです。ここでも医療生協は推進役になれると思います。

問題は食糧自給です。
いま世界の人口は77億人で、これが2100年には100億人になると言われています。
ここで、現在の人口を養っている農業は化石燃料を使って作る窒素肥料に頼っていることが極めて重要です。それによる炭酸ガス発生は、化石燃料によるエネルギー生産の1/5くらいと考えていいと思いますが、再生エネルギー革命が成功しても余分な炭酸ガス排出はスケールダウンしながら続くことになります。
合成窒素肥料を使わない20世紀の初め位の農業で養いきれる人口は25億人だと推計されます。
社会が先進国型になっていくと子どもの数が減って人口が減るとされ、2100年以降は人類の数は史上初めて全体として減少に向かうのですが、その方法で100億から25億に自然に減る時間は約300年間だと計算されています。つまり300年間気候危機と闘ったあとようやく炭酸ガス排出ゼロが可能な状態が来るということです。これは解決と呼べるものではないので、食糧問題には何かしらのブレイクスルーが必要です。
そのとき医療生協が病院給食を有機農業農家を選んで地産地消でやる、あるいは自ら有機農業の農園をもってかなりの部分を自給するなどは一つのアイデアです。
まだエネルギー問題も実際に全く解決に向かわない段階での拙い議論ですが、視野に入れておくべきこととしてご紹介しました。

以上多岐にわたって雑駁となりましたが、今回も熱心な議論をお願いして私の挨拶を終わります。

| | コメント (0)

2021年8月24日 (火)

小野塚知二氏のダークな未来論

雑誌「世界」2020年7月号小野塚知二「人類は原料革命から卒業できるのか」の続編に当たる「世界」2021年8月号「ゼロ成長経済と資本主義ー縮小という理想」を読んだ。

前者では化石燃料エネルギーを全て再生可能エネルギーに転換することは可能でも、鉄鋼、セメント、窒素肥料などの重要素材生産は化石燃料から転換出来ないので現在の25%位のCO2排出は続くというシビアな予想を示していた。
続編である後者はさらにダークな未来予想を展開している。

ごく簡単に言うと、
①CO2排出しない食糧生産で維持できる世界人口は25億人とする。
②今後の人口推移を2070年に100億人のピークに達し、世界の先進国化によって人口減が始まるとすれば、25億人の持続可能人口に達するのは300年後である。
③その間、化石燃料を用いた化学肥料を用いて食糧は十分に供給し、健康で最低限度には文化的な生活が維持されるとすると、気温上昇は続き、それによる災害は続く。
それを前提として、300年かけた、なるべく犠牲の少ないソフト・ランディングを我々はやりとげなければならない。
こうして25億人の目標を達成できれば化石燃料全廃が達成でき、そこで気候危機を終わらせる可能性が初めて現れる。

この間、避けなければならない拙劣な解決策がいくつかある。

A:貧困や飢餓への支援を放置して死亡するに任せること。これをやれば、実は2080年には人口25億が達成されてしまうのである。

B:不足する食糧巡って戦争を起こす。この時殺し過ぎにならないように核兵器廃絶条約など活用して25億人目標が達成されるくらいで停戦する。

C:生きるに値する命かどうかの選別を進めて人口減を加速する。

このABCを選ばなければ気候変動はやはり加速して進行するのであり、私たちは沿岸の大都市を失い、世界の景観は一変するだろう。それおも甘受し、それでも生き残る防衛策を立てて、どうじにエネルギー転換はきっちりやりきりながら、私たちは準備しなければならない。

こんなふうに要約を書きながら、やはり心が暗くなる。
希望は、小野塚氏が、選択は資本主義しかないとしている点である。
資本主義を廃止する世界同時革命が起これば、このようなダークな未来像は変えられる、もっと違う未来像が描ける。
そこにしか希望といえるべきものはないのではないか。

| | コメント (0)

2021年8月18日 (水)

「民医連中小病院の医師養成の可能性と課題ー人口減少地域のグリーン・ニュー・ディール」

斉藤幸平やナオミ・クラインの代表的な著書『人新世の「資本論」』集英社新書2020年、『これがすべてを変える』岩波書店2017年を挙げるまでもなく、気候危機こそ現代の最重要課題である。
特徴的なのは、このことが単独の課題でなく、先進国と発展途上国の間や各国国内で激化する社会格差、それに伴う健康格差、終わりの見えないパンデミックや、軍拡競争、さらに資本主義以前から存在する男女差別などと(様々な次元で)同根であり、もはやこれらを一体のものとしてしか解決できないことが直観的にも明らかだということである。
 第一次大戦が始まった1914年8月にレーニンが「戦争を内乱に」と唱えたことに倣えば、おおよそその100年後、私たちは「気候危機を資本主義の終焉に」、もっと正確に言えば「気候危機を革命に」というスローガンを見つけるのだろう。
 
本稿の目的は、以上のような情勢を前提として、民医連がどのように自らの構造や運動を再編成すべきか考えることである。つまり気候危機と正面から対峙する組織に変身するための論考、というまでは行かなくて気楽ないたずら書きのようなものである。
 
それを述べようという私については、2008年から2018年まで全日本民医連の理事、うち2012年から2018年は副会長の末席を務めていたが、固く縦割りされた一部を担当していたに過ぎず、民医連全体を熟知していたというには遠い。したがって、山口大学医学部卒業直後の1976年から今日まで45年間連続して在籍している山口民医連という全日本民医連各県連の中でも最弱小の部類に入る場所での貧しい経験をもとにして語るしかないので、極めて偏って記述になる危惧は免れえない。最初にそのことをお断りして早速本題に入りたい。
 
その前に山口という土地柄に短く触れておくと、重症熱性血小板減少性症候群SFTSの患者が日本で最初に見つかったところとして有名である。それは致死率が25-30%というこのブニヤウイルス感染症が中国で2011年に発見されたされた翌年のことであるが、一旦発見されると発症は高知や宮崎など西日本で広く認められ、時を遡れば2005年の発生が不明熱症例として残されていた血清から分かった。遺伝子配列から見ると中国から入ったものでなく、固有種と言えるほどの違いがあるらしい。日本列島が大陸から分離する以前から存在したものだったのだろうか。挙げた地名から分かるように流行地は民医連の県連が弱小であることを特徴とする過疎地であり、最近では関東平野周辺の山地にも進出が証明されている。空き家の増えた集落に山林に棲む哺乳類が入り込んでネコなどの家畜と接触して過疎地の住民に感染する経路が最も考えられるが、変異すれば大都市部にも広がりそうである。
 
前置きが長くなったが、山口民医連が研修可能なセンター病院として宇部協立病院を北海道民医連、山梨民医連、福岡民医連という名だたる大県連の支援のもとで建設し、それが50床から159床に一気に3倍化したのは1982年から1989年のわずか7年間の変化である。その直後の1991年の宇部市医師会報70周年記念特集号に筆者が書いた短文によると医師数は12人、その平均年齢は35歳、病院の特徴は「在野精神」!としている。それから30年経って2021年の医師現勢が表1である。高齢医師の多さに我ながら驚くが、結局30年間ほぼ同じメンバーで民医連内外に野党精神を燃やして来たということになる。合わせて、医師定年を70歳としている現在の法人規定による3年後予想も表2に示した。すでに結論となる部分を含んだ表なのだが、放置すれば消滅してしまいそうであることが理解できる。
病院には欠かせない日当直の勤務状況も表3に示す。2021年6月には日当直単位は39単位あったが、病院常勤医が担当したのは6単位のみ、二次医療圏から救急車が集まる「二次救急」も4単位あったが常勤医はが担ったのは1単位のみ、しかも最高齢の筆者が当番だったのである。休日夜間の救急は商業的な医師紹介業者に依存していると言って言い過ぎではない。
これが宇部協立病院にとどまらず山口県全体の医師動向によるのがさらにことを深刻にしている。山口県作成の図1でも分かるように1998年から2018年の30年間、35歳未満の医師数は全国的にもわずか5%しか伸びていないのだが、その中で山口県は実に30%も減少しているのである。なお大都市部は15%増えている。すなわち大都市部に比べると45%も減っていることになる。医師不足を補うことが絶望的に見えるのも仕方がない。
実はこれらの図表を法人理事会で示したところ、結論部分が十分見えなかったせいか、こんなことなら理事を辞任するという一部の人の表明まで呼んでしまったものである。
 
そこで回顧的になるが、1980年代の急成長と2020年の停滞のそれぞれの理由をまず検討してみたい。
筆者が医師として仕事をスタートした1976年の県連医師数は実態として29歳と24歳の医師のニ人だけだった。それが1982年と85年の新卒大量参加を得て県連の体をなしたのはどういう理由だったのだろうか。
字数もないので簡単に述べると、理念的には反公害・反貧困、技術的には中小病院適合性の高い医療機器の相次ぐ開発・販売、政治的には革新統一の気風の高まり、経営的には(若干時期がずれるが)老人医療無料化による患者増である。すべてのことに遅れて来た青年山口県連だったが、それらの影響は例外なく享受した。
しかし、これらの追い風は遅くとも2000年にはピタッと止まっている。2020年まで経営的に黒字基調で来れたのは遅れて来た若い集団が年齢を重ねて老人県連となりつつも現勢を維持できただけのことである。1991年から2020年まで県連の奨学生は16人生まれたが現在県連所属医師として在籍しているのは2人のみであり、もはや歴史の推進力を失っているかに見える。
 
では再び発展の推進力を回復することはあるのだろうか。あるとすればその方法はなんだろうか。
こういう問題を立てるにあたって、既存の組織が維持されることだけを目標とするのであれば、それは実に虚しいことと言える。
 
むしろ、問題はこのように立てなければならない。自らの老後を超えて、まだ見ることもない人と協力して、さらに決して見ることもない将来の人々の幸福のため、気候危機という第一義的課題に、一人の個人として何をなすべきか。そして、そのとき45年も在籍してその維持と発展に努めてきた民医連という組織は果たして一つの拠点、あるいは資源(リソース)として活用できるのか、ということである。
 
結論はごく簡単である。
気候危機は結局、再生可能エネルギーと省エネルギーを進めて化石燃料エネルギーを全廃し、年率10%でCO2排出を削減すればよい。その推進勢力は気候危機、格差、反戦、男女差別を一体のものとして解決することを市民の政治責任として、地域の生活の現場で引き受けようとする一群の人々である。
 
そして、民医連はその人々にとっての拠点となることができ、資源(リソース)でもありうる。むしろ人口減少の著しい地方ではリアルに見て、民医連のみが拠点や資源の出発点である。そして、そのことに希望と使命感を持った若い医師・医療従事者集団の新たな形成は十分に可能である。これこそが人口減少地域では日本のグリーン・ニュー・ディールの中心部隊になるだろう。
 
もう少し具体的に、気候危機に正面から向かい合う戦略を検討してみよう。柱は2本である。
1:無数の協同組合的地域社会形成
  エネルギー・食料・医療福祉(ケア)の自給圏を無数に広げる
2:市民が主人公の政治形態(ミニュシパリズム)の確立する
 
そのいずれにおいても民医連は深く関与する。
 
再生エネ・省エネの主役になる「エネルギー問題協同組合」が細かく設定された生活圏のエネルギーを新たな環境破壊なく自給することは今後の改革の主流だが、いまのところそのような協同組合を可能にする制度はない。
食料自給は現在の農業協同組合だけでできるものでなく、国際協力を前提にした新たな仕組みが求められる。
これに対し医療福祉(ケア)の自給は比較的到達が容易な部分で、400万人の共同組織とともに活動する民医連が有力なモデルとして、地域の他医療機関に影響を与えていく過程が想定できる。
地域の3自給圏構築の構想全体が民医連をモデルとする可能性が大きい。
 
議会を代議制を超えてより直接民主主義の要素を持ったものとして、気候危機を解決していく機関として変革して行く課題においても民医連の職員や共同組織の人々が有力な推進者である。
 
また、気候危機解決に向けて前進する間もなお気温は上昇し続け、産業革命前に比べてわずか1℃上昇しただけで50年に一度の気象災害の頻度が5倍という現在を超えて、もっと頻繁に大雨・旱魃・猛暑が襲ってくる期間は相当続く。その間の災害からの生活防衛においても、新た組織形成が迫られるが、民医連の主体的関わりがその促進要素の重要部分を占めるのは当然である。
 
このように気候危機の時代の民医連の役割は、現状を遥かに超えた大きなものとして若い世代の心を捉えるはずである。
 
その時、医療福祉(ケア)の専門家・プロパーとして、日常的にはどういうスタイルで地道な活動を積み上げるかが問われる。実はここをこそ今固めるべきで、このことが民医連の医師。医療介護従事者の養成・育成の方針になるはずである。
 
いま、仮にそれを「新しいプライマリ・ケア」と名付けておこう。新しいと言うのは、これまで積み上げられてきたプライマリ・ケアのあり方の探求を気候危機に備えた地域形成と深く結びつける点を言うのである。
 
その詳細を描き出す力は筆者にはない。そのことをこそ、若い世代に託したいし、それを通じて若い世代がこの時代の主役になっていくと思うのである。
 
ともかくそれは「医療介護とソーシャル・ケアの境界のない統合」として表現されることは間違いがない。
 
山口民医連は今年ようやく新たな二つの委員会をスタートさせることとなった。一つはU40を想定した将来を考える委員会である。これには何より、民医連を継承して担うということを明確に意思表示した数人の若手医師の出現が大きい。実に30年ぶりに青年医師の集団的な参加の可能性が開けた。
もう一つは遅ればせながら「ソーシャル・ワーク委員会」である。これは法人に新設する地域福祉室と事実上一体のものである。
 
そしてこの二つは分け難い関係にある。
 
U40の医師の主要なテーマが総合診療・家庭医療であるとすれば強力なソーシャル・ワークつまり優れた個別のソーシャル・ワークとコミュニティ・ソーシャル・ワークがなければ満足な仕事ができないだろう。
ソーシャル・ワーク委員会は、医師を含め職員全員を気候危機克服、つまり地方のグリーン・ニュー・ディールに導くガイド役でなければならない。
 
この二つの委員会を軸に、山口民医連はもう少し視点を低くしながら地方グリーン・ニュー・ディールのオピニオンリーダーである医師を今度こそ全県に配置できる。
 
1980年代には思いもよらなかった山口民医連の展開が予測されるが、それはもう筆者の想像が及ばないところである。
 
最後に蛇足。こういう山口民医連の未来を保障するため、今日は医師の定年を75歳にした。自分で定年を引き上げるのは65歳、70歳に次いで3回目である。さすがに75歳はためらったが、事務幹部が全く動かないので、70歳を4ヶ月後に控えて渋々自分で提案した。何のために事務幹部や医師の後輩がいるのかと思った今夜だった。

| | コメント (0)

2021年8月16日 (月)

明日香 壽川「グリーン・ニューディール ― 世界を動かすガバニング・アジェンダ」岩波新書2021

書評の原稿
新型コロナ一色の報道の中で、異常気象の報道が不気味に積み上げられている。例年のことではあるのだが。
①カナダのバンクーバーは6月29日に気温49.5度に達し、150人の高齢者が死亡した。⓶中国 河南省では7月中旬の洪水で約400人が死亡、被災者は1453万人に及んだ。③7月下旬のドイツ・ベルギー・オランダに亘る大水害では220人が死亡した。④同じころインドのムンバイ付近でモンスーンが記録的な豪雨をもたらし150名が死亡、数十万人の生活に深刻な影響が出た。⑤イタリア、ギリシア、トルコを襲った熱波は8月11日シチリア島で気温48.8度を観測し、周辺の山火事が制御できない。⑥この原稿を書いている8月14日、北海道を除く日本本土のほぼ全体を覆った「大気の川」によって、3日間で通常の8月1ヶ月分の3倍の降雨があった。
8月9日のIPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)最新の報告によると、産業革命前に比べて1.0℃の気温が上昇している現在、50年に一回程度の異常熱波の頻度は既に5倍になっているが、CO2排出が現状のままで2100年を迎えれば4.0度以上の気温上昇のもと異常気象頻度が40倍になるという。豪雨も干ばつも同じ傾向で増える。もはや気候危機は誰にも疑えない人類にとっての最優先課題になっている。かつパンデミックの増加も同根のこととして可能性が残り続ける。
これらの甚大な被害が、先進国-途上国間および各国の国内の格差という傷口を通して世界に広がっていくことは容易に理解できることである。
 このように致命的な事態に進むことが確実な気候危機に対して、単発の対策でなく社会や国家を包含する総合的な政策体系(ガバニング・アジェンダ)をもって臨む姿勢がすなわちグリーン・ニュー・ディール(以下GND)である。これが、表記の書名の所以になっている。
 その大目標は簡単である。再生エネルギーと省エネルギーを促進して人類の一定の生活レベルを確保しながら化石燃料使用を廃止する、同時にそれが完成するまでの激甚災害への直接的対策を、格差解消を中心に置きながら進めていくということだけの話である。
しかし、そのことは人類全体の生産様式や生活様式を大きく転換する、いわば「世界同時革命」というべき規模のものであることが明らかになっている。これほどの転換を具体的にどう進めるべきなのか、若い人たちは自らの生存が直接関係する問題として極めて切迫した思いを持って臨んでいるが、いま社会の中心にいる年長者は感覚も鈍く、目先の利害関係にも縛られて考えあぐんでいる。今回書評に取り上げたこの小さな本もその事態を何とか打開した思いで書かれたものの一つであると思える。
 著者の明日香壽川氏は在日華僑出身の環境科学者・経済学者で幅広く環境問題について発言している。気候危機解決に向けての具体的な目標と政策体系のあり方に詳しく、齋藤幸平のベストセラー『人新生の「資本論」』も軽視することなく、いち早く正面から取り上げて議論の中に織り込んでいる点で好感が持てる。
ただ、書物としては政策体系の解説が多くの部分を占めるもので要約も難しい。
そこで本書の構成を追い、その中で印象深い部分を紹介することで、書評欄の責めを果たすこととしたい。
序章「コロナ禍からの回復」では気候変動と新型コロナの影響の政治社会的な相似性を指摘した上で、コロナ禍で米国の平均寿命が短縮するなかで黒人は白人の3倍になる3歳近い短縮を見せていることが紹介される。ここにもBLMがあるのであり、コロナも気候危機もジャスティス(正義)のもんだとして捉えるべきだということが強調される。
第1章「科学から政治へ」では、根強い温暖化懐疑論を退ける一方で、先進国と途上国間の公平性を考慮した場合、日本は2℃目標なら2030年は2010年比で90%、1.5℃目標なら120%の削減が必要であり、日本政府の2030年46%削減という目標がいかに不十分化が論じられる。日本のNPOも現実可能性の名で安易な目標を掲げていることが指摘される。 
第2章「政治への期待と幻滅」では2012年以降、米、露、加、日が「悪の4人組」Gang
of 4としてCO2排出削減の妨害活動を続けていることが述べられる。日本以外の3国では、政府と化石燃料会社の強い癒着、日本では電力産業、鉄鋼業、自動車産業の主張が妨害の主役だった。日本では2011年以降になっても50基の石炭火力発電所建設計画があり、うち13基は住民の反対で中止されたが、残り17基は建設・運転開始、17基は建設中・計画中である。これに対して仙台、神戸、横須賀で訴訟が起こされた。著者は仙台裁判で原告となったが二審まで敗訴しており、科学を無視する日本の司法への苦い思いが紹介される。
第3章 「エネルギー革命に乗ろうとしない日本」では、2020年の世界の発電インフラ投資の8割は再エネ向けであり、再エネが電力全体に占める割合も2019年には27%となっている世界の現実が示される。その中でも市民・地域共同発電所が大きな担い手になっている。地域での再エネ自給がエネルギー資源をめぐる世界的な戦争もなくすという点で、平和国家建設にも欠かせないという著者の視点も重要と思えた。
日本でも耕作地を発電と営農の双方に用いるソーラー・シェアリングやバイオマス発電は農山村の安定した仕事の供給と地域経済の活性化に貢献し、地域内再エネ自給率が95%の場合には地域社会の経済循環率が7.7倍も改善するという宮崎県における実証研究も紹介される。
一方、将来起きるかもしれない電力不足に備えるという名目で化石燃料エネルギーによる「容量市場」確保策が再エネつぶしの「最終秘密兵器」としていつまでも温存されていることが明かされる。原発についてはたとえ止まっていても大量の補助金が与え続けられるという実状があり、その隠れた目的は対中国戦略としての核兵器製造能力の維持にある。つまり軍事的緊張により利益を上げる軍産複合体、それらを支持基盤にする政治家と官僚こそがその受益者であることが鋭く指摘される。
 
第4章 「GNDの考え方及び具体的内容」ではアメリカ、EU、韓国のGNDの実情が紹介されるが、この章の特徴は中国のGNDについて詳しく触れていることである。2020年全人代がGDP目標を外し、2060年の排出ゼロに向かって上からの大きな改革が進んでいることが高く評価されている。その背景として大国主義的な「技術覇権」が中心的動機になっているとしても、国家主導がなくてどうすればゼロ目標が達成できるのかと著者は問い返しているようである。
 
第5章 「日本版GND」では現在の技術水準での再エネ、省エネで日本の目標達成はほぼ可能という希望が述べられる。それはまだ終わっていない大気汚染対策にも著しい効果があるというのは重要な視点である。その際、化石燃料産業廃止による雇用の転換や財源が問題だとされる。
しかし、この章で述べられるべき東京一極集中に対抗する地方自治体再生や、協同組合による地域電エネルギー自給の可能性が触れられないので、読者としてはいくぶん不満を感じるところだろう。
 
第6章 「GNDの課題」では、求められるのはシステム・チェンジであるとしても、何を変えるのか?資本主義なのか、新自由主義なのか、市場制度なのか、私有制度なのか、大量生産・大量消費というスタイルなのかという点で議論が焦点を結ばず、いわば同床異夢の状態である日本の現実がやや悲観的に述べられる。世界的な非暴力抵抗運動の影響も届きにくい。
そのなかで著者が深く関わっている「未来のためのエネルギー転換研究グループ」の「原発ゼロ・エネルギー転換戦略」2020.6が具体性のある提案だとして紹介されている。
斎藤幸平氏の主張への共感と疑問もここで述べられている。疑問は要するに上からの改革である「気候毛沢東主義」による目標達成に反対する理由が弱いということに尽きる。中国ではそれは現実的成果を生んでいるのではないかということである。「パリ協定+機構正義」の市民運動的論理をいくら振りかざしても「10年で100%削減」は絶対に不可能で、国主導の「気候毛沢東主義」の要素なしにそれを達成しえないのではないか。この点、斎藤氏の提案には具体的スケジュール感が欠けるというのである。実はここが最も議論を呼ぶところであると思う。これへの反論となるミュニシパリズムによる政治改革などについても触れられることがない。
 
終章 「現世代と未来世代の豊かさを目指して」に至って、再びGNDは政治の再編成であり、科学や個別政策レベルの問題でなく、政治を変える闘いそのものだという本質だという著者の本音が吐露される。それは確かだとして、では、その政治的闘いの主体はどこでどう形成されていくのか。結局、振り出しに戻った感を濃くしてこの本は終わる。
GNDというスローガンを唱えるだけでは何も進まないし、格差、健康格差、パンデミックなどの対策と緊密に連携し、人類社会の民主主義を徹底するものとして気候危機を闘う努力が今後いっそう切実なものになるというのが、改めての読後感である。

| | コメント (0)

学校始まって以来の部落問題展示


ある人が三好春樹さんの古い本を話題にしていたことから、つい高校時代の余計なことを思い出した。

 

1:T君のこと

 

高1のときの文化祭で、学校始まって以来最初の部落問題展示を二人だけでやった。相棒だったT君はその後、広島大学の理学部に進学したが部落研活動に打ち込みすぎて大学をドロップ・アウトした。

「ドロップ・アウトは野田のせいだった」という電話がかかってきたのはずっと後のこと。

風来坊になっていたところを福島生協病院に拾われて、その頃東京にあった民医連の検査技師学校に送られ、卒業して福島生協病院に検査技師として勤めていたが、35歳の頃医学部進学を迷って、小野田診療所にいた僕に電話してきて上のように言った。

責任を取ってほしいとー冗談だったが。

もちろん医学部受験の背中を押した。

広島大医学部卒業後はしばらく福島生協病院にいて、ともに民医連医師になったことを喜んだ。それから広島でも珍しかった在宅専門開業医になった。

 

2:隼田先生のこと

 

展示を二人だけでやったというのは間違いで、ちゃんと指導して叱ってくれた人がいた。

社会科教師のクラス担任だった。

この展示の翌年、学校を辞めた。この展示が原因だったような気もする。

ただし、超保守的な私立の進学校のホームルームで「国際学連の歌」をみんなに教えて、自ら大きな声で歌うような先生だったから、他にも理由があったのだろう。校長室に呼ばれて展示の意図を聴取されたとき、校長が僕に呟くように「あいつも結構左翼だからねぇ」と言っていたのは記憶している

その後、どうしているのかなぁとさがしていたら、福井大学で歴史の教授になっていた。百姓一揆の専門家だった:隼田嘉彦[ハヤタヨシヒコ]1939年、広島県に生まれる。1966年、広島大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現在、福井大学名誉教授

://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784634321816

今は82歳になられるのか。存命かなぁ。

| | コメント (0)

2021年8月10日 (火)

郡部から来た生徒は軽く疎外されていた被爆事情


8月7日の毎日新聞の山口版。

徳山で貿易会社をしていた89歳男性。実は広島の修道中学の先輩だった。

1945年は中学2年生で広島と呉の間にある坂という町に疎開していて、8月6日の広島の勤労動員に寝坊して遅刻した。坂駅で次の列車を待っている間に原爆が投下され爆風で吹き飛ばされたが外傷はなかった。翌日、広島から大量の死者、怪我人が運び込まれてきて、その中に一緒に通っていた同級生を見つけた。後に市内に動員されていた同級生136人が死んでいたことが分かる。

ごく最近ようやくこの記憶を語ることができるようになった。

 

この記事を読んで僕が思ったことは二つ。

①この記事の男性と僕の年齢差はたった20年。本当にたった20年である。例えば宇部協立病院の建て替えの決断から今日までの期間に等しい。あっという間の時間だった。

②一学年だけでこれほどの原爆死者が出たことが、僕がその学校にいた頃はほとんど語られず、学校の中にあったはずの慰霊碑の在処の教え方もごくおざなりだった。教師にも被爆者が大勢いて、同級生にも被爆二世が多かったのだろう。あまりにも近く酷い記憶であったのでむしろ触れられることがなく、僕のように郡部から進学のためだけに来た部外者は軽く疎外されていた。

| | コメント (0)

2021年8月 9日 (月)

「健康のひろば」 2021年8月原稿 

テオ・アンゲロプロスの「永遠と一日」の舞台はギリシャ北部の港町テッサロニキの冬だった。死を控えた孤独な老詩人とアルバニア難民の子どもが過ごす偶然の一日。二人とも「どこに行っても他所(よそ)者」という思いを抱えて生きて来た。その一日だけの交流で子どもの未来につながって老詩人は永遠というものの何かに触れることができた。
テーマ音楽だったエレニ・カラインドルー「by the sea」はその映画を見て以来ずっと僕の心の底を流れている。いま、この時も。もちろんその地に行ったことはないが、海辺というとその街を思い出す。

そのテッサロニキが猛暑に襲われ、8月3日は47.1℃を記録した。
周囲はあちこちで山火事が起きている。ギリシャの首相が原因は気候温暖化だと断じた。
愚かしい東京オリンピックの報道の影に隠れているが、今年は異常気象が凄まじい。記憶によるだけでも①カナダのバンクーバーでは6月下旬に史上最高気温を連日更新し、29日には49.5度に達し、150人の高齢者が死亡した。⓶中国内陸部の河南省では7月中旬の洪水で約400人が死亡、被災者は1453万人に及んだ。③7月下旬のドイツ・ベルギー・オランダに亘る大水害では220人が死亡した。④同じころインドのムンバイ付近ではモンスーンが記録的な豪雨をもたらし150名が死亡、数十万人の生活に深刻な影響が出た。いずれもその地ではかってなかったことなのだ。

気候危機もコロナ・パンデミックも格差という傷口からその被害が世界に入りこんでくる点で構造は同じだが気候危機の方が規模は格段に大きい。これを断ち切ることは未来への私たちの義務である。それを果たしうる期限は刻刻と迫っている。

| | コメント (0)

2021年8月 7日 (土)

そうだ、プライマリ・ケア連合学会があった

土曜の朝の思いつき

20歳未満の急性膵炎。原因はアルコールでも胆石でもない。
当初高熱が続いて、僕が担当する前は抗菌剤のescalation がされていたのだが、交替してステロイド開始すると直ちに解熱。そのままステロイドをtapering しながら食事もやや早めに与えて退院も日時を決めていたのだが、その直前に高熱。今度は感染だった。幸い抗菌剤が奏功して再び退院を予定できるようになった。

つまり、ごく平凡な急性膵炎の経験だが、臨床的には疑問がたくさん生まれる。

こういう時に与えるステロイドの種類と量と期間はどれくらいが適当か?
それは晩期感染を助長するのか?
食事の与え方に合理的な決まりはあるのか?
晩期の細菌感染はどういう経路で生じるのか?
若年者の夏の膵炎はよく経験するが脱水が膵液の粘稠度を高めて膵管中の塞栓になるということがあるのか?
自己免疫性膵炎の診断はIgG4値だけでスクリーニングできるもの?
コロナ流行期で遠隔地にいて病院にも駆けつけられない若い両親への説明はどうしたら良いか?

あ、これはプライマリ・ケア連合学会で研修医が発表すると良いケースだ。
なぜか習慣的に内科学会地方会を学会発表デビューの場にして来たが、考えれば、因習への服従を押し付ける様なそのやりかたは愚かしい。

どういう疑問が抽出できるか、その重要性にはどう順位をつけて対処すべきかなどという発表に真面目に付き合ってくれる学会があった。
今の若い医師は幸福だ。

| | コメント (0)

« 2021年7月 | トップページ | 2021年9月 »