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2021年5月26日 (水)

ヤブ医者の歴史


おそらく骨腫瘍に伴うプロカルシトニン異常高値例に遭遇して考えたこと。

 

僕らの頃は、感染症診療においてCRPに過度に依存する人が多く、「CRP医者」というのはヤブ医者の別称であったが、もう少しするとプロカルシトニンでしか感染症を考えようとしない「プロカルシトニン医者」というものが生まれると思う。

そういう意味ではヤブ医者の歴史も変革の時期が来ているのである。

 

その次は「Dダイマー医者」というヤブ医者時代であることが見え隠れしている。

 

予言者である僕はいつの日も「プロレタリア(ボルシェビキ)医者」というレーニン公認のヤブ医者だが。


ところで ウィルス感染はインターフェロンγ産生を誘導することによりプロカルシトニン産生を抑制するので、ウイルス感染ではプロカルシトニンが陽性にならないのであった。いまごろこんなことを知ったのであった。

 

またSFTS重症熱性血小板減少症候群は、ブニヤウイルスがなぜかCRPの産生を抑制するので、どんな高熱が続いてもCRPは陰性である。

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2021年5月25日 (火)

小さな講演の要旨

この間、コロナに関して、専門でもないのに短い講演を2つ頼まれた。僕は話せることは限られているが、

以下のようなことを話した。

①新型コロナの発生と大流行の原因は新自由主義的なグローバリゼーションにある。
次のパンデミックの候補もすでに見え隠れしている。
(たとえば2012年に日本では山口県で第一例目が発見された、
ブニヤウィルスによるSFTS重症熱性血小板減少症候群
https://www.niid.go.jp/niid/ja/sfts/3143-sfts.html など)
②その被害の広がり方はただ拡大した物や人の交通によるというだけではなく、
新自由主義が生んだ格差の谷間の最深部(最貧部)にこそ
沿って広がり、健康格差を含めて格差自体をさらに深く急峻なものにしてしまった。
今回、日本では女性差別の拡大という特徴も伴った。
③生物工学によって早期に出現したワクチンによる「救済」も世界的格差の上層の
先進国のみに限定されてしまいそうである。
かつ、その救済が本物であるかどうかにも懐疑的であるべきだ。
④新型コロナへの対策自体がショック・ドクトリンとして際限のない
金融緩和によってバブルを生みながら
医療制度や経済の民主主義を破壊する方向に進んでいる。
そしてなにより
⑤その発生、拡大、解決の様式において、気候危機と完全な相似形にある
縮小版であることから、新型コロナへの対応が私たちにとって
気候危機のための闘いを促進する契機になりうること
⑥その闘いの陣容は、アメリカではグリーン・ニュー・ディールなどと
表現されているが、日本では「エネルギー・食糧・広義のケア」の
自給を一体のものにした地域の協同組合連合(アソシエーション)
などが考えられること

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今日の聴覚過敏について


あるいは 僕の「うっせぇわ」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%86%E3%81%A3%E3%81%9B%E3%81%87%E3%82%8F
僕が病院内で使う靴を選ぶ基準は病院の床材に対していくら早足で歩いても足音がしないことである。

 

それはもちろん自分の悪口を言っている人たちの後ろにそっと立ってやろうという意味もあるが、本当は自分が通り過ぎていく経路の途中で療養したり仕事をしている人を邪魔しないためである。

 

基本的に病院内では職員は音を立てないし、おしゃべりもしないのがよろしい。

職員間の朝夕の挨拶も「ハキハキと大声」ではなく、小声で、できれば会釈程度で済ませてほしいと思っている。入院患者はずっと療養しているし、僕も仕事を続けているからだ。

職場間の連絡だって、廊下で出会い頭に中世の武士の合戦の名乗りのごとく大声でやるのではなく、そのために設けられた防音性の高い小部屋を使うことが望ましい。

それは患者側のアラームを聴き取るためだ。

もちろんいくつか並んでいる診察室内や複数の患者のいる処置室での職員の突拍子もない馬鹿笑いは、陽気かもしれないが論外である。

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2021年5月17日 (月)

地方の中小病院で本気に「患者中心のメディカル・ホーム」を目指すには

科学者会議山口支部が中心になって組織されている皆さんを相手にに、新型コロナ問題の個人的中間総括のような話題提供を引き受けて四苦八苦していたのが終わったので、ようやく藤沼先生が相当影響を受けたと5月14日に投稿している下記のエッセイ2012年に目を通し始めることができた。
https://www.annfammed.org/content/10/2/169?fbclid=IwAR199r2nhqO7F3x_-qs1W7dZR4EXTU0lP4DsymLiP9v3I2wyjbl4EhegvEI

 

孤高のプライマリ・ケア医という神話的志向から、プライマリ・ケア・チームの一員というリアルな医師像への転換を説いたものである。

 

自分のいる中小病院の外来を見ていると、糖尿病を筆頭に疾患別の多職種チームはすでに形成されていたり、形成の可能性が見えるが、「患者中心のメディカル・ホーム」的な地域志向の一貫性あるチーム形成は意識もされていなというのが現状だろう。

 

少し考えてみたのだが、中小病院でプライマリ・ケアを恒常的に担うのは医師を除く外来職員群ということにしかならないと思える。
医師は病棟医療、外来医療、救急医療、在宅医療、病院や法人の管理、社会的・政治的地域活動を放浪するノマドである。

 

では看護師群を中核としながら、外来に関係を持つ多様な職員をひとまとめにして、地域と向かい合う構えを持った意識的なチーム形成は可能なのだろうか。

 

少なくとも看護師長が職員マネージメントも患者ケアも含めて何もかも一括して束ねるという現在の構造では無理だ。そういう構造自体が阻害要因になっている。

 

職員マネージメント、内部多職種との連携、外部諸機関との連携、患者ケアの技術のマネージメント、次の前進のための研究くらいの多方面においてそれぞれにふさわしいリーダーを必要とする。それを無理なく組み合わせて動機づけるのが今後の課題になるだろう。

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2021年5月16日 (日)

「軍事医学」に患者中心のメディカル・ホームの意義が述べられるアメリカという国

非営利・協同総合研究所のホームページから『二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター(通巻202号)』(転載)https://www.inhcc.org/jp/research/news/niki/20210501-niki-no202.html?fbclid=IwAR3Uk9_Q0WuhAXZFSkaB8F-0moFI2lOwtKaYZ1GECOCIOwZnsSJUAu5ffz8#toc2
を読んでいると、この研究所のメンバーの高山一夫さんから二木先生があることを教えてもらったことに始まる、おそらくあまり人の読む気を起こさせないだろうと思える長い文章があり、その中で、日本ではなぜかその並立が不可能とされている「医療の質とコストとアクセスの三者(三角形)」説を反駁するものとして、クリステンセンらの「患者中心のメディカルホームは費用を抑制しつつ、アクセスと質を維持・改善する」という論文が
https://academic.oup.com/milmed/article/178/2/135/4210880
があることが示されている。

 

文献に充てられた数字が間違っているのでちょっと戸惑ったが、早速その論文を探してみると、なんと「軍事医学」という雑誌に掲載されたものだったのでちょっと驚いた。

 

「患者中心のメディカル・ホーム」などというとたいそう難しく聞こえるが、「あなたの医療情報を一元的に蓄積して、生活全般にわたって支援してくれる、かかりつけの医療チーム」ということであり、民医連の診療所が少し頑張れば達成できないものではない。

 

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少し早すぎる新型コロナ問題の総括


①新型コロナの発生と大流行の原因は新自由主義的なグローバリゼーションにある。次のパンデミックの候補もすでに見え隠れしている(たとえば2012年に日本では山口県で第一例目が発見されたSFTS重症熱性血小板減少症候群https://www.niid.go.jp/niid/ja/sfts/3143-sfts.html

など)

 

②その被害の広がり方はただ拡大した物や人の交通によるというだけではなく、新自由主義が生んだ格差の谷間の最深部(最貧部)にこそ沿って広がり、健康格差を含めて格差自体をさらに深く急峻なものにしてしまった。今回、日本では女性差別の拡大という特徴も伴った。

 

③生物工学によって早期に出現したワクチンによる「救済」も世界的格差の上層の先進国のみに限定されてしまいそうである。かつ、その救済が本物であるかどうかにも懐疑的であるべきだ。

 

④新型コロナへの対策自体がショック・ドクトリンとして際限のない金融緩和によってバブルを生みながら医療制度や経済の民主主義を破壊する方向に進んでいる。

 

そしてなにより

 

⑤その発生、拡大、解決の様式において、気候危機と完全な相似形にある縮小版であることから、新型コロナへの対応が私たちにとって気候危機のための闘いを促進する契機になりうること

 

⓺その闘いの陣容は、アメリカではグリーン・ニュー・ディールなどと表現されているが、日本では「エネルギー・食糧・広義のケア」の自給を一体のものにした地域の協同組合連合(アソシエーション)などが考えられること

 

これらのことは、表現の相違はあるにしても基本的な方向としては日本の左派にとってすでに自明の常識であると思っていたのだが、どうもそうではないらしい、しかも僕流の説明では力不足のためとうてい伝わりにくいと分かったのが、昨日の経験だった。

 

少し疲れたのでしばらく、CT読影の学習に沈潜することにした。新しいテキストもちょうど届いた。

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2021年5月13日 (木)

SDH重視は結局は改良主義に帰着する


突然、これまでのSDHに関する自分の説明がなぜ何度試みてもわかりにくかったかという理由に気付く。

社会経済格差が、様々な媒介要因SDHを経由して健康格差という結果を生んでいくという結論をまず提示して、それから、健康格差の実態の説明を始めていた。

それでは結論があらかじめわかっていることを聞かされることになり面白いわけがない。

まず社会経済格差に比例する健康格差の実例を示して、「社会格差の下位概念としての各SDH」に比例して健康格差が生まれるという実例に至り、最後に「原因ー媒介要因ー現象」という模式図を示すという順でないといけなかった。

よく考えるとマーモットさんの本もそういう構成をとっていた。

 

今頃になって、こんなことにようやく気付くなんて。

 

しかし、社会経済格差の下位概念としてのSDHという考え方には、「最初から原因に挑むより、こつこつと目の前の小さなSDHの改善から始めるべきだ」という改良主義が潜んでいる。現実的な政策立案には役立つが、社会経済格差の原因となっている資本主義への批判がそこには欠けている。社会主義者と呼ばれたくないマーモットさんの臆病さがそこにはある。

 

「どこから始めてもいいSDGs」Photo_20210513113101 Sdh にも似たような臆病さがある。

 

いったん構造が分かり、かつ破綻が差し迫っている今、改良主義で間に合わないのは当然だ。 原因も媒介要因も一気に解決するという革命的な姿勢が必要だ。

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2021年5月11日 (火)

「ケアの自給」とはなにか


内橋克人さんが提唱する「FEC(食料、エネルギー、ケア)自給圏」構想に共鳴して、協同組合同士の協力でそれを実現しようと訴えることが自分にはよくあったが、じつのところ「ケアの自給」はうまく話せなかった。

医療・介護・福祉は今だって一応地域で調達されている。基本、徳洲会や巨樹の会や創生会だという巨大医療、介護企業を誘致しようとはしない。やってくるのは向こうからである。

しかし、コロナ事態のなかで、政府が自衛隊に巨大な予防接種会場を作らせようとしたり、改憲して緊急事態条項を入れ込もうと画策し始めると見えてくるものがある。

 

「ケアを自給する」ことの実際は以下のようなことである。

 

具体的には災害・危機対策を自衛隊・軍隊に依存しないでもよい状態を作ること。

 

訓練された援助機動力が、災害やパンデミックのために地域に恒常的に準備されていること。

 

それは、いまいる医療・介護従事者や教員、公務員、清掃、葬儀業者が災害・パンデミック状態で 準備もなしに命がけの危険を要請されず、平時にあっても人間らしく職務に専念できることである。

 

つまりケアに従事する人口が数倍に増えること。Fec Photo_20210511152801 Photo_20210511152901

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2021年5月10日 (月)

僕がコロナの講義? 抗議とは違うのか?


日直当番に関するいざこざからやや複雑な気持ちで出勤した土曜日5/8182563073_3898303190252406_6169917825106 だが、口さがない人々から「病院にしか居場所がないのでずっと居るんよ」と陰口を叩かれながらボランティア的な仕事を続けるより、正式な勤務として存在しているほうが気持ちが良い。

 

とはいえ来週の山口大学関係者相手の新型コロナウイルスについての「話題提供」のプレゼン作成がずっと重荷になっている。電話して依頼して来られたのは地学が専門の名誉教授だが、メンバーの多くは大学教員ではなく一般市民らしい。

 

「正しい知識を身に着けて正しく恐れたい」というご注文だが、それなら県庁勤務の医師つまり医系技官に頼んでほしいものだなぁ。それで給料もらっているのだろうし。

 

ともあれ医師法(1948)第1条によって「医師は、医療及び保健指導を掌ることによつて公衆衛生の向上及び増進に寄与し、もつて国民の健康な生活を確保するものとする」とされているから、この仕事も広い意味での応召義務であると観念する。

 

ついでに、僕本来の仕事である「気候危機を協同組合化された社会で克服する」という立場からみたコロナ禍も語るという構成にしたい。

 

下は、オリジナルに作成した「町医者はサイトカインストームをどう診断するか」という図。実はこのシンプルな図に僕のこの10年くらいの臨床上の苦闘が結晶しているのだが、それは分からないだろうなぁ。

こんなものを作って今日明日を過ごす予定。

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2021年5月 9日 (日)

驚くほど安上がりの宣伝費 オリンピック反対

184266607_3901541386595253_7644608023394 立川相互病院のきわめて安価にして絶大な効果のある五輪中止宣伝がマスコミを賑わしている。宣伝ってあんな風にやるものか、と改めて瞠目した。
(もちろん、あの新築の立派な病院の建設費の外装分くらいを宣伝費に含めれば、ものすごい値段になるが)

しかし、新聞を読んで改めて思ったことがある。
立川相互病院は270床に医師90人とのこと。仮に研修医が20人いたとしても、医師一人当たりの入院患者数は4人に満たない。
当方は、といえば159床に常勤医9-10人で、うち4人は65歳以上である。60歳以上となれば6人になり過半数を超える。入院患者の平均年齢は軽く80歳を超えるので、言ってみれば「老人による老人のための病院」として時代の最先端を行っている。平均した一人当たり入院患者数は20人近い。
救急車が入院経路の相当数を占めるのは同じといってもその程度や重症さが違う。コロナについても重症を抱え込んで身動き取れなくっているのと、いくらPCR検査を精力的にしても、患者のみで言えばまだたった一人しか陽性者がいないという流行状況の違いもある。

同じ民医連といってもこれだけ違えば見えるものも要求も大きく異なる。しかし、一方、政治的要求という大きな共通点も探せばあったわけである。

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日本のアスリート

日本のアスリートは政治的意見を表明せず、競技団体の決定を運命のように従容として受け入れることを美徳とし、市民もそれを当然とすることを奇妙に思っていたら、今日のしんぶん「赤旗」には陸上の新谷仁美さんがオリンピック出場選手へのワクチンの特別扱いを否定するコメントが出ていた。
表彰台で拳を突き上げて黒人差別に抗議しメダルを剥奪された選手、国歌斉唱を膝をついて拒否したバスケットボール選手、毎日殺された黒人の名前を記したマスクをつけて競技した大坂なおみのことなど思い出すと、日本のアスリートは今こそ自主的な選手会を作り、社会の中のスポーツのあり方について自分たちなりの見解を表明すべきだと思う。

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2021年5月 7日 (金)

RBG 最強の85歳


ドキュメント映画「RBG 最強の85歳」(写真 下 左)を見ていて一Photo_20210507105301 番記憶に残ったのは、RBG(1933-2020,写真上)の父親が、ウクライナのオデッサから来たユダヤ人移民で、彼女の家庭では東欧ユダヤ人の言語であるイディッシュの破片がずっと残っていたことである。

オデッサといえば「戦艦ポチョムキン」の大階段でも知られるが、僕としてはテオ・アンゲロプロスの晩年の作品「エレ二の旅」(写真上 と 下 右)を思い出す。主人公たちはロシア革命さなかのオデッサからギリシアに帰ってきた難民だった。

オデッサという地名で、この2つの映画がどこかで結びつく。

RBGは1933年NYのブルックリン生まれと言っているので、父親とギリシア人難民たちがオデッサを出たのもほぼ同じ頃ではないだろうか。20200610094608a9e O0320019214014695085

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2021年5月 4日 (火)

アメリカで起こっていたこと

「新型コロナウィルス・パンデミックの中での地域医療とまちづくり ー 過疎地の老ヤブ医が感じたこと・考えたこと」と題して短い講演をすることになった。(この題目は少しウソ)
 
感染症の専門家がTVで話しまくっているなかで、自分が語るべきテーマが見えてこないので、GWはほぼこの準備一色になってしまった。
 
自分にとって新奇なことをあまり追わないで、依頼者が何を聞きたいかをよく考え、すでに自分のよく知っていることをそれに合わせて再編成するというのが成功する講演のパターンだが(いや、一度も成功したことはないといってよい)、いつものように自分の調べたいことに暴走し、鵜飼の鵜が魚を吐き出すように未消化のことをしゃべる方向に向かっているのを自覚する。
何度も経験した良くないパターンである。気をつけよう。
 
今日の朝日新聞の「コラムニストの眼」のなかにあったように、知恵は知恵を求める他者の観察から生まれるといことをしっかり自覚しないといけない。
 
しかし、「新型コロナの健康格差への影響」という章を考えていて、日本ではほとんど研究成果らしいものがないことを痛感する。欧米に比べて流行が弱いせいもあるだろう。
かろうじて認められるのは女性の自殺の増加への考察くらいだろうか。
社会保障の底が抜けたような貧困は激しく進行中なので、まもなく驚くほどのことが起きるのかもしれない。
 
しかし、アメリカではすでに驚くべきことが起きている。
以下は東京新聞記事の抜粋。
 
『アメリカで平均寿命1年短縮「第2次大戦以来」の落ち込み コロナ影響深刻』
2021年2月23日 07時00分 東京新聞
【ニューヨーク=杉藤貴浩】新型コロナウイルスの影響などで2020年前半の米国民の平均寿命は2019年比で1歳、黒人では2・7歳短くなったことが米疾病対策センター(CDC)の報告書で分かった。AP通信は、CDC関係者の話として「このような落ち込みは第二次世界大戦中の1940年代以来だ」と伝えており、世界最多の死者を出した米国でのコロナの深刻さと人種間の被害の不均衡があらためて示された。
 18日に公表された報告書によると、昨年1~6月の米国民全体の平均寿命は77・8歳で、19年は78・8歳だった。米国でコロナ感染が深刻化したのは昨年3月からで、年後半を含めた昨年全体の平均寿命はさらに悪化する恐れもある。
 特に黒人は19年の74・7歳から72歳に悪化。白人と黒人の平均寿命の差は近年縮小していたが、昨年前半は拡大に逆戻りした。黒人の貧困層が医療を受けにくく、ウイルスにさらされやすい最前線の職場で働いた結果とみられる。ヒスパニック系も81・8歳から79・9歳に悪化した。
 報告書は昨年前半の死者数の暫定値に基づいてまとめられた。米国のコロナによる死者はこれまで約49万人、感染者は約2800万人に上る。バイデン政権は今夏までに全国民へのワクチン接種を目指すが、ワシントン大の研究機関は6月までに累計死者は61万人を超えると推計している。』

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支配からケアへの歴史的転換

資本が利潤を追い求めてやまないのはなぜかと考えたとき、蒐集への固執と答える人もいるが、僕は究極的には人が人を支配したい欲望だと思う。

他人を支配したい気持ちも、自然を支配したい気持ちも同じだろう。

フランシスコのローマ教会が、生産において人間は大地を支配するものでなくケアするものだと聖書解釈を変えたことに倣えば、社会における人間の目的も他者の支配ではなく他者のケアになっておかしくない。

そのように、みずからを強制する目的を変更する時代が今来ているというのは別に奇妙なことではない。

他者を支配することなど想像もできない時代が続いたある日、支配を目的に生きようとと思った者が人類史のどこかで誕生したわけなので、皆がその目的を一斉に変える日が来るのは不思議でも何でもない。

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支配からケアへの歴史的転換

資本が利潤を追い求めてやまないのはなぜかと考えたとき、蒐集への固執と答える人もいるが、僕は究極的には人が人を支配したい欲望だと思う。

他人を支配したい気持ちも、自然を支配したい気持ちも同じだろう。

フランシスコのローマ教会が、人間は大地を支配するものでなくケアするものだと聖書解釈を変えたことに倣えば、人間の目的も他者の支配ではなく他者のケアになっておかしくない。

そのように、みずからを強制する目的を変更する時代が今来ているというのは別に奇妙なことではない。

他者を支配することなど想像もできない時代が続いたある日、支配を目的に生きようとと思った者が人類史のどこかで誕生したわけなので、皆がその目的を一斉に変える日が来るのは不思議でも何でもない。

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2021年5月 3日 (月)

自衛隊に感謝」の号令を鳴らしながら


2016年3月以来集団的自衛権行使が可能になり、米軍と一体になった「新自衛隊」が「軍事的合理性」の名前で政治をコントロールする事態、つまり事実上の軍事政権化が潜在的にスタートしている。それを推進する「政治的軍人」勢力が大きくなっている。

 

こういう事態においてコロナ・パンデミックや大規模気象災害という不慮の状況はそれを顕在化させる格好の条件になる。日本中に「自衛隊に感謝」の号令を鳴らしながら。

 

こうして気候危機は、脱成長環境社会主義前進のチャンスであると同時に、日本の軍事政権樹立のチャンスでもある。
このとき参照すべきは、1929年の大恐慌のあと、アメリカには左派に後押しされたニューディールがあり、ドイツにはワイマール憲法の人権条項を停止したナチス政権が成立した対照的な事例である。

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「この残酷な世界」と反出生主義

音楽やアニメを主として、若い人のいう言葉のなかに「この残酷な世界」が頻りに出現することに注目している818bbf22vl が、今朝の朝日新聞には「反出生主義」の記事があって、両者の関係に改めて気付かされた。
反出生主義という言葉を初めて目にしたのは雑誌「現代思想」の2019年11月号の特集においてだった。2006年に南アフリカの哲学者デヴィッド・べネターがこの世に生まれることは苦痛でしかなく、生まない、生まれない方が良いと主張したのがことの始まりである。生まれてくる子どもにどういうインフォームド・コンセントを得て産んでいるのだ?という問いがこの主張の強い武器になっている。
すでに生まれている私がそのような問題に解答できるはずはなく、問題提起として間違っているというのが大方の見解である。
しかし、若い人の「この残酷な世界」という認識こそ、反出生主義を実感を伴ったものにしていることは僕にも痛いほど分かる。

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5/3 しんぶん「赤旗」 水島朝穂 「政治的軍人」の台頭 日本軍事政権への道

今日のしんぶん「赤旗」では憲法記念日に因んだ憲法学者 水島朝穂さんのインタビューに注目した。
それを読んで僕の考えたこと。
 
同じ改憲路線でも安倍と菅を比較すれば相違が見出される。
その細かな相違について考えることが日本政治の進んでいる方向を認識する鍵になる。
安倍は自分を担ぎ上げる仲間内である日本会議派からの賞賛を欲し、9条第3項の追加に失敗した後もどんな小さな事項であっても改憲を実現した首相としての名誉を求めた。
それが挫折した後の菅にはそうした名誉欲は薄く、実利派の様相が濃い。
では誰の実利かという問題がある。
資本家の利益であることは当然だが、戦後の日本資本主義によって一貫して追求されているのは、アメリカの軍事力と提携しながら、資本の伸長を守る確固とした軍事力である。
そして安保法制2015年が実現した段階では、今や政府の形として国軍政権が最も効率的だということが見えてきている。ロシア、中国、北朝鮮、ベトナム、フィリピン、タイ、ミャンマーなどユーラシア東部にはそれが最も普通の政権形態だと思っているのかもしれない。
 
それだけでなく「侍女の物語」「誓願」連作によってマーガレット・アトウッドが描きたかったのはまさに本国アメリカの軍事政権志向である。
 
どう正体を隠して抵抗なくそれを実現するかが現実の課題となり、自衛隊の中にはその画策を任務とする「政治的軍人」の一派が形成されている。彼らにとって政治は軍事的合理性の道具として運用されるべきものなのだ。
 
水島さんの指摘の中で最も印象的なのがこの部分である。
 
その現象がひたすら自衛隊に感謝して賞賛し続ける政府である。震災、大水害、コロナなど政治家が声を揃えて自衛隊に感謝する大災害事態はまさに彼らのチャンスである。その時犠牲になるのは社会の最底辺から集められる自衛隊員だということは見逃される。賞賛は最上層のみに向く。
 
気候危機は社会主義にとって千載一遇のチャンスであると同時に、国軍政権実現にとっても全く同様である。
そういう意味では1930年ごろのニューディールとナチスとの関係に社会主義志向と改憲志向の関係はよく似ている。
 
彼らにとって、改憲首相という名誉欲に駆られた安倍は必須の道具ではない、安保法制の実践と拡大を論争を呼ばず実務的に進める菅こそ格好の道具である。

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