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2021年4月27日 (火)

オーストラリア、日本、宇部

オーストラリアが世界最大の石炭輸出・開発国であることと、多くの州がOkinoyama 売買春を産業として合法化したことはどこかで固く結びついているに違いない。しかも、両者とも日本との関係を抜きにして語れない。

 

簡単に言うと、オーストラリアは石炭を日本に売って日本からは女性を買っている国だということができる。

 

その石炭に関しては宇部は他のどの都市よりも深く関わっている。オーストラリアの石炭輸入の日本の主役は宇部興産である。

 

*「日本人女性が従事していることを売りにしている業者もある。その背景には、オーストラリア人男性が日本人女性を売春してきた長い歴史があると考えられる。例えば、19 世紀後半に「からゆき」として売られてきた日本人女性は、鉱業(つまり石炭採掘)や真珠の養殖、漁業を生業とするオーストラリア人男性によって買春の対象にされ、第二次世界大戦後の日本占領期には連合国軍の一員としてオーストラリア人男性によって日本人女性が買春された」https://global-studies.doshisha.ac.jp/attach/page/GLOBAL_STUDIES-PAGE-JA-144/121973/file/global-justice-42.pdf

 

**
「宇部興産の貯炭基地である沖の山コールセンター(山口県宇部市)は、営業開始24年目にあたる2004年10月12日、豪州からの石炭運搬船"YOMOSHIO号"からの荷揚げで石炭受入累計数量1億トンを達成する。これは国内で営業しているコールセンターの中では初めての達成となる。
沖の山コールセンターは、海外から輸入された石炭を、電力・セメントをはじめとする国内石炭ユーザーに安定供給するための輸入中継基地で、年間取扱能力600万トンであり、日本では最大級の規模を誇る。」
https://www.ube-ind.co.jp/ube/jp/news/2004/2004_15.html

 

***「オーストラリアは日本へのエネルギー・鉱物資源の最大の供給国であり、確実、安全かつ競争力のある天然資源の生産国として,オーストラリアの地位を反映しています。日本の石炭輸入の2/3、またLNG輸入の1/3はオーストラリアが供給しています。」https://japan.embassy.gov.au/tkyojapanese/resources.html

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2021年4月25日 (日)

今日のしんぶん「赤旗」書評欄のナオミ・クライン「地球が燃えている」大月書店2020の紹介

532892 4 は、あまりに淡白かつ少量に過ぎて、前著「これがすべてを変える 資本主義VS気候変動」岩波書店2017年からもっと進んで、いま資本主義それ自体を終わらせないと多くの人類の生存がもはやありえないのだと叫んでいる著者の必死の主張がその熱気をもって伝わらない。
 
僕らの目の前の資本主義を終わらせることは、言ってみれば「脱成長・環境社会主義革命」とでも名付けられるものだが、それは別に何かの党派が政権を取ることで始まったり終わったりするものではない。
 
というか、ある党派が政権を取る、取らないに関わらず、十分量の再生可能エネルギーを非営利・共同セクターと公営セクターが生産・管理している実態を背景に、法的根拠を持って化石燃料の使用と採掘を停止すること、その生産形態の大変化自体が革命なのである。
 
それは同時に、①先進国と途上国の間かつそれぞれの国内で顕著になっている巨大な社会経済格差の是正、②人類史上を長期間貫きながら資本主義のもとで格段に強化された女性への差別と搾取、そして③人種差別、ついでに言えば④これから何度でも人類を襲うだろうパンデミックの脅威を解消することと一体のものである。
いずれを欠いても、どの課題の解決もない。
 
しかも、そのために私達に残された時間はごく僅かしかない。
 
つまり、人間が自然との間、および人間同士の間で行っている物質代謝=関係構築を密接に関連したものと捉えて、両者を人類の生存を可能とする方向に変えること、そのための大飛躍を訴えているのが本書である。
 
しんぶん「赤旗」はこの本をこの程度の書評だけで済ませてはいけない。もっと徹底的に、ナオミ・クラインの主張に向かい合った特集を組むべきではないのだろうか。

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2021年4月24日 (土)

僕らがやってきたことこそがじん肺患者のソーシャル・ワークそのもの

今日の医療生協理事会では、元下関市会議員だった理事さんから、いま下関で闘われている造船アスベスト裁判で、僕や僕の勤める病院の果たしてきたじん肺診療がある造船大企業の攻撃の的になっていることを知らされた。要するに、僕の長年の診療行為を否定し尽くし、踏み潰すことが彼らの目的になっているのだと。それを自由法曹団の老弁護士が必死に守っている。
しかし、僕らがやってきたことこそがじん肺患者のソーシャル・ワークそのものであり、方針通り医療生協が法人としての「ソーシャル・ワーク室」を確立して、もっと幅広く、じん肺に限らず全県に影響を及ぼしていくことこそ、住民にとっては「医療生協に入っていてよかった」という実感を作り上げることではないかと励まされた。
 
これは涙が出るほど嬉しかった。
呼吸器専門家を名乗る人たちの悪口雑言にさらされてきた平凡な一総合診療医(もはや部品交換できない旧式タイプ)としてはね。

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2021年4月23日 (金)

重症熱性血小板減少症候群SFTSを中島みゆきが知っていたら


新型コロナが資本主義のグローバル化によってもたらされた新興感染症だとして、その対極に位置づけられるような新興感染症はないかと考えていて、「重症熱性血小板減少症候群SFTS」をふと思い出した。

 

2011年に中国で発見されたブニヤウイルスに属するRNAウイルス感染症でマダニによって媒介される。死亡率は25-30%と極めて高い。ダニによって媒介される病気はツツガムシ病や日本紅斑熱があるが、これらと違ってダニの刺し口が目立たず診断しにくいという特徴がある。高熱が続くのにCRPが陰性という奇妙さで気づかれることが多いらしい。

 

僕がこれを思い出したのは、2012年秋に死亡し、2013年1月に日本最初のケースと認定されたのが山口県の患者だったからである。

 

その後の研究で、実は2005年位から発症はあり、これらの病原ウイルスは中国から渡来したものでなく、日本固有のウイルスだったとされた。

主として西日本で発生し、いまだ山口県は有数の発生地であるが、最近は東日本のマダニでのウイルス保有率が次第に高くなっていることが分かっている。関東では、人口密集地でなく人の少ない辺縁においてそれが見られる。

 

なぜ、21世紀になって、SFTSのような新興感染症が過疎地域に多く発生しているのかを考えると、

過疎→ダニのいる野生哺乳類の住宅地侵入→家畜のダニ感染→ヒトという経路があるのではないという気がする。

 

ある日痩せた猫に出会って、それでも人間らしさを示して触ってしまった人が感染した例も報告されている。これを知っていたら中島みゆきはあの歌詞を作らなかっただろう。

 

だとすると大都市への人口集中でコロナが猛威をふるい、その鏡像として過疎地で静かにSFTSが広がっているということではないのか。両者とも現代の資本主義が顕在化させた病気であることには変わりがない。

これはあくまで僕が考えたことである。

 

ところで治療だが、コロナに似てアビガン(ファビピラビル)が効くらしい。それとC型肝炎で昔使われたリバビリン。

これはいずれもRNAウイルスだから当然といえば当然の流れと言えようか。

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2021.4.24医療生協理事会挨拶   

新緑のまぶしい季節になりました。GWを目前にした土曜日の理事会出席ご苦労さまです。
新型コロナ・パンデミックは明らかに第4波が始まっています。しかもウイルス自体が感染性も病原性も強い方向に変異しており、事態は昨年の今頃より格段に悪化していると思えます。現時点で世界で300万人以上が死亡し感染者は1億4千万人に達しています。日本では死者9800人、累計感染者数54万人です。
その中では予想通り貧困者に死亡・感染が集中しています。それに加えて、急性感染症であることから、慢性疾患と違って医療資源へのアクセスの格差が大きな予後決定要因になっていることが特徴になっています。
また、倒産や失業が増え、社会的支援(ソーシャル・キャピタル)を失った女性の自殺の多いことが注目されています。
この感染症の生物医学的特徴の最新知見を急いで学びながら、同時に強固な社会的支援を構築しなくてはならないという点で、医療生協もかってない課題に直面しています。
 
ここで目をごく狭い範囲に転じて、健文会の事業所について述べれば、すでに市中由来の職員感染、つまり事業所への感染持ち込みを3回経験しました。1回目は感染者1人、接触者2人という小規模なものでした。2回目は休日に県外から来るパート医師に必ず事前に行なっているPCR 検査が陽性を呈したというものでしたが、これはすぐに私が勤務交代に入ってことなきを得ました。
しかし、3月31日に始まった3回目の感染持ち込みは、数日連続勤務している職員の感染が、勤務時間中に全く突然に判明したという本格的なものでした。その日は検査技師がほぼ徹夜して同じ関連職場全員のPCR検査を実施するなど徹底した追跡を行ない、結果的には院内感染の広がりが3人あり、20人近い濃厚接触者を発見するに至りました。そのため2週間以上の外来診療制限を余儀なくされ、救急車受け入れも大幅に制限する事態となりました。
 
4月16日ようやく終息宣言を出すことができ、幸いにも患者さんへの感染は起こしておりませんでしたが、この間、皆様や地域の医療機関にも大変ご迷惑をおかけしたことをこの場を借りてお詫びしたいと思います。
 
しかし今後も同様の事業所への感染持ち込みは繰り返し、しかも突然ある日、どの事業所でも起こることが予想されます。
この間、県内で多くの病院においてクラスターが発生していることと、今回の自分たちの経験を考え合わせると、通常の院内感染対策だけではこういう事態の予防は困難と考え、急いで全医療・介護従事者の週一回の定期的なPCR 検査を、ワクチン接種終了までは公費で実施するよう、4月22日県庁を訪れて要求してきました。1回の検査が実費で一人あたり1万5千円かかって負担が大きいこと、また特定の病院に限定しての実施でも効果がないと考えてのことです。
 
あわせて、一連の病院クラスターの経験を広く医療介護業界で共有すること、疲弊が進行している従事者のメンタル・ヘルスへの注目と、進行中のワクチン接種における副反応で休業する職員への労災適用の徹底も求めました。
 
いま日本看護協会出版の「新型コロナウイルス :ナースたちの現場レポート」という厚い本を買って読んでいるところなのですが、最初に東京上野の永寿総合病院の看護部長さんの手記が掲載されています。看護師一人が区の保健所の検査でPCR陽性になったことから、職員の検査が始まると、すでに病院内に広く静かに感染が広がっていることを発見するという永寿総合病院緊急事態の始まりは、他人事と思えず肌が粟立つような気がしました。
そして「永寿総合病院勤務というだけで外では叩かれっぱなしなのに、せめて病院のなかではお互いに優しくはなれないの」と看護部長が叫ばなければならないところまで職員は追い詰められていくあたりもリアルです。そのあたりのことを行政にも理解してほしくてこのような話も県庁の職員相手にしましたが、引き続き何度でも意見を言い続けることが必要と考えています。
 
今日ご挨拶としてお話ししようと思ったことは以上ですが、今日の理事会の主要なテーマである来年度方針案と関連させていえば、この新型コロナ・パンデミックは現代の資本主義の制限を知らない利潤追求のために自然が大規模に破壊されたことによって生じたものであり、その意味では病原体を変えて今後何度も繰り返されるだろうという予想とともに、より大きな課題としての、社会経済格差の拡大、さらに重大な気候危機とまったく同じ原因によるものであることが重要だと思います。
 
もっとも貧しい人に最も深刻なコロナ感染被害、気象・気候災害被害が生じていることだけで直観的に理解していただけることだと思います。
 
結論的には、この資本主義を、いま、なくしてしまわない限り、パンデミックや社会経済格差の拡大、極大規模の気象・気候災害から私達が免れることが、もはやありえないことが日々明らかになっている、そのことがまさに現時点の特徴だと思います。そのあたりをよくおさえていただいて、ぜひ熱心なご討議をお願いするものです。

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2021年4月20日 (火)

山う


山田洋次監督が満州の大連から引き上げて少年時代は宇部に住んでいた話は有名だが(いっとき僕は彼の伯母さんの主治医だったことがある)、彼がアルバイトしていたのは、海軍の結核サナトリウムのをオーストラリア・ニュージーランド占領軍が接収した病院だった。瀬戸内海に突き出した岬の上にある風光明媚という決り文句がぴったりの病院である。

そこで、占領軍の兵士たちのし尿処理をしていた彼に色んな話を聞かせて励ました大男が後年、寅さんのモデルになったとされている。

サンフランシスコ講和後、日本に返還されたその病院は国立病院「山陽荘」になった。学生時代、結核の講義に大学に来ていたのはそこの院長だった。

この病院はさらに呉にある中国がんセンターと提携する肺がん専門病院の役割を引き受けて「山口宇部医療センター」という名称に変わった。

当地の空港の名称が平凡な「宇部空港」からいわくありそうな「山口宇部空港」になったのを追ったのかもしれない。

 

以上は前置きで本題はこれからである。肺がん疑いの所見を見つけた僕はすぐに山口宇部医療センター宛の紹介状を作って担当の看護師さんに渡した。

「わかりました。ヤマウあてですね」と看護師さんが受けとったのでちょっと耳を疑った。こうしてある病院の通称が作られていくのを発見した瞬間であった。

 

ヤマウなら「山う」というノレンを掲げたうどん屋にふさわしく、随分美味しそうな気がするので今すぐ商標登録したくなるところである。

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新型コロナウイルス ナースたちの現場レポート 日本看護協会出版会編集部 編


朝日新聞で紹介されていたので早速注文して読み始めた。

最初に東京上野の永寿総合病院の看護部長さんの手記が掲載されている。

看護師一人が地域の検査でPCR陽性になったことから、職員の検査を始めるとすでに病院内に広く静かに感染が広がっていることを発見するという、緊急事態の始まりは他人事と思えず肌が粟立つような気がする。「永寿というだけで外では叩かれっぱなしなので、せめてお互いに優しくはなれないの」と看護部長が言わなければならないところまで職員は追い詰められていく。

すごく厚い本なので少しづつ読んでいこうと思うが、生の手記なので書き手の価値観が透けて見えるのも、不謹慎かもしれないが面白い。

「どんな事態にもクレームをつける」職員がいると嫌悪する一方、何も言わずに黙々と自分に与えられた仕事をする部下を高く評価する記載がくり返されると、あぁそういう人なのだなと思ったりする。
https://jnapc.co.jp/products/detail/3856?fbclid=IwAR1hHgqt0BtkhRMXFNmPIrCotYaPOcPWQDd7qNGGlOdOGJFtXTKYFH5gKD8

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2021年4月15日 (木)

コロナ・ワクチンの特許を放棄して世界への供給を容易にすること


昨日急いで読んだNEJM4月8日号巻頭のイングリッド・カッツ医師の論説
https://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMp2103614?fbclid=IwAR0pcKIqEL3iuOkVJ6aCdv6AQpMiZhqoQmD_vghTLmzGnw6duKWZsyeXQSA
の中身について、今日は少し丁寧に書いておきます。

ポイントはワクチンやエッセンシャル・ドラッグは商品ではなく人類の共有物だという視点 でコロナ・ワクチンの特許放棄を製薬企業に求めているところです。
「ワクチン・ナショナリズムからワクチン平等へー前進の道を探ること
 
安全で効果的なCovid-19ワクチン開発への全世界的努力はめざましい成果を挙げた。それには部分的にだが(トランプの)「ワープ大作戦」のような初期の思い切った投資によっている。この成果は基礎研究と免疫学への安定した長期的な資金支出の大切さを明らかにした。科学界の準備は十分だった。しかし今、世界は供給の乏しさに直面して、私たちは困難な局面を迎えている。
1日670万本のワクチン生産では、全人口の70-80%が2回接種して完成する集団免疫に到達するには4.6年かかる。ワクチンの分配では多くの貧困国は無視されており、専門家は資源の乏しい状況にいる人たちの8割は今年中の接種は無理と予想している.開発への投資は緊急だが,公衆衛生と世界への普及戦略を長くなおざりにすることはこのパンデミックを終了させる道を閉ざす.
 
新たに承認されたワクチンの割当と普及におけるボトルネック(隘路)には至急注目すべきだ.これには、ワクチンを安全、効果的、迅速に提供するための生産能力、サプライチェーン、人的資源、および健康インフラストラクチャの確保が含まれる。ワクチン導入の障壁は、不信、誤った情報、およびワクチンの信頼性に影響を与えている歴史的な出来事によって増大する。富裕国でさえ、手ごわい障害に直面し、集団予防接種プログラムの実施において重大な失敗を犯した。
 
さらに、米国によるワクチンの早期の競争的調達および他の富裕国による購入は、各国が自国の人々に対して単独で責任を負うべきだという思い込みを広げてしまった。そのようなワクチンのナショナリズムは、強国たちが貧困国を犠牲にしてワクチンと治療手段を確保すという長い歴史をさらに永続化させるものだ。それは近視眼的で、効果がなく、さらには致命的だ。結局のところ,富裕国は世界的なワクチン接種支援に重大な関心を持たざるをえない.特に供給と配達の確保に有効的支援を必要とする国々においてはそうだ。さらに、免疫において,ちぐはぐなパッチワークを作ることはワクチンの有効性を変える可能性のある変異株発生を促進させるかもしれない。
 
これらの不平等は国際保健,より広く言えば世界経済についての根本的に誤った見方のあることを明らかにしている.そこではワクチンとエッセンシャル医薬品が社会の公共財=共有財産としてではなく市場における商品として扱われている.我々は過去のパンデミックの際に同様の政策が制定されたのを見てきた。たとえば、HIVの流行の最中に、ほとんどの貧困国は、製薬業界によって設定された法外に高い価格と、国連官僚および主要な支援者の中にあった「情勢の焦点は治療ではなく予防だ」という信念のために、命を救う抗レトロウイルス治療薬を入手できなかった。世界の公共財を商品化することは、医療アクセスにおける広範な不平等を拡大し、健康と生活状態の巨大な格差を悪化させる。結局は、問題となっている緊急事態は、道徳的問題であるとともに、大胆できっぱりした行動を必要とする国家安全に関わる問題にもなっている。それはCovid-19ワクチンの供給、分配、配達の拡大を保障するということである。
 
バイデン政権下の米国とG7諸国は、低中所得国にワクチンを供給するCovid-19 Vaccines Global Access(COVAX)プログラムを通じて、グローバルなワクチン調達への支援を約束しているが、その資金問題だけが不十分に放置されている。現在、COVAXは2021年末までに参加国の人口の少なくとも20%に予防接種を行う予定だ。これが実質的到達点になるかもしれないが、タイムリーに世界が集団免疫を確保するという目標にはほど遠いものだ。
 
米国には、過去の効果的な取り組みを活かすことと実績のある戦略をもって投資することによって、主導権を握るチャンスが訪れている。費用のかかるHIV治療薬を貧困状態にある人に提供するという挑戦は「大統領エイズ救済緊急計画(PEPFAR)」や「エイズ・結核・マラリアと闘う世界基金」のような創造的プログラムを生んだ。それらがなかったときには薬に手の届かなかった貧困者集団が抗レトロウイルス治療を大規模に受けることは実現された。2003年に超党派の議会の支援を受けて承認されたPEPFARの影響を反映して、アンソニー・フォーチはその15年記念日に「PEPFARは合衆国の人道主義のイメージの強化の上で他のどんなプログラムより優れており、歴史的な世界的健康危機への対処の主役としての地位を確固としたものした」と発言した。
 
一部の専門家が「大統領のワクチンアクセスと救済のための緊急計画(PEPVAR)と呼んでいるものに取り組むことにより、米国はPEPFARの成功をさらに発展させることができるだろう。このようなプログラムは、世界の医療ニーズに資金調達上の優先度をつけ、ワクチンの生産と提供のための資金を増やし、重要な医療インフラストラクチャーの構築を支援すると同時に、バイデン政権に世界の外交社会に再び参加する機会をもたらす。
 
PEPVARは、WHOなどの多国籍組織、政府、保健省、対象コミュニティと連携することで、HIV、H1N1インフルエンザ、エボラ出血熱に対する世界的な対応からの戦略的教訓を活用できるだろう。このプログラムは、各国政府や多国間組織と協力して、Covid-19ワクチンの配布を加速するのに役立つだろう。COVAXとは違う。COVAXの目的は主にいまワクチンが必要な国へのワクチンの提供を増やし、改善することにある。これに対しPEPVARは、ワクチンへのアクセスを確保するための既存の制度的メカニズムと提携し、支援し、加速するものだ。PEPFARと同様に、潜在的なウイルス変異に対処するために必要な新たなワクチンの開発を加速しながら、データへの注目と分析、公平な分配、労働力の開発、および将来のパンデミックへの備えに注意を向けることができる。
 
このようなプログラムの成功は、承認されたCovid-19ワクチンの供給の今すぐの拡大にかかっている。たとえば、インドは、アストラゼネカと世界最大のワクチンメーカーの1つであるセラム・インスティテュート・オブ・インディアとのパートナーシップのおかげで、他の低中所得国よりも大幅に多くのワクチンを確保してた。この合意により、アストラゼネカは、インド国民用のワクチン量と引き換えに、セラム・インスティテュートの製造能力を活用することができた。他の製薬会社もまた、対等協力によって世界的な生産を拡大するための協定を結んでいる。たとえば、ノバルティスは、ファイザー-バイオNテック・ワクチンの製造を支援する初期合意を発表した。
 
製薬会社は、誰が特許使用商品を生産できるかをコントロールするために随意のライセンス契約を選びがちだが、世界貿易機関には、Covid-19ワクチンの「知的所有権の貿易関連の側面(TRIPS)」の放棄を検討するよう圧力がかかっている。この提案は、インドと南アフリカによってなされ、90か国以上によって支持されており、一時的に医薬品の特許保護を放棄し、ワクチンの製造コストを世界的に大幅に削減する。TRIPS放棄の反対派は、知的財産保護がワクチン発見の鍵であり、それがなければ、将来のイノベーションは制限されるだろうと主張している。特許は企業が医薬品やワクチンの発見に投資するための本質的なインセンティブを提供することを認識している一方で、我々はパンデミックの状況では、Covid-19ワクチンにはすでに180億ドルの公的資金注入がなされてもいることを考慮すれば、現時点での特許放棄が正しいと考える。。
 
特許を放棄したとしても、時点時点にふさわしい世代のワクチンを世界的に開発および製造するための十分に一貫した製造能力が我々には単純に欠如しているという可能性はある。現在のパンデミックに耐え、将来のパンデミックに備えるためには、長期的な投資戦略が必須である。短期的な供給を拡大するだけでなく、グローバルな協力を促進することは、将来的にワクチンと治療薬を迅速に供給するために世界経済をより良い方向に向かわせるだろう。このような協力は社会正義の問題であるだけでなく、ウイルスとその変異株が国境を容易に越えるパンデミックを終わらせるための健全な実際的な対応でもある。グローバルに共有された戦略によって、疫学、有効性、および倫理が完全に同じ戦列に並ぶことができる。
 
Covid-19ワクチンは、このパンデミックから抜け出すための道を提供するが、同時に、迅速かつ公正な配布を保障する大胆で革新的な政策も必要だ。米国には、Covid-19ワクチンをすべての人に利用可能とするための通常と違う緊急な機会が生まれている。欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長が最近説明したように、「世界的大流行はそれを終わらせるために世界的な努力を必要とする。誰もが安全になるまで私たちの誰も安全ではない」。バイデン政権は、この次に来る危機的状況で指導的役割を果たすのに適した立場にある。
 
世界中に予防接種を広げることは、私たちの隣人を保護する道徳的義務であるだけでなく、私たちの安全、健康、経済を保護するという私たちの自己利益にも役立つ。これらの目標は、まず富裕国においてワクチン接種が終わるのを世界中を待たせるようでは達成されない。取り組みを共有する多国間協力に投資し、供給と製造を増やすグローバルな割り当て戦略を採用することで、Covid-19の緊急の課題に対応しながら、将来に向けた持続可能なインフラストラクチャと医療システムが構築できるのだ。ワクチン済みの世界を獲得することは、私たちの時代の決定的な試練と言えよう。」

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2021年4月11日 (日)

西川美和 「永い言い訳」文春文庫

自分の専門領域と思っていたところに大きな欠落があることを示されたような教育講演を聞いたので、なんだか急に焦りを感じて勉強し過ぎた。
十二時過ぎて家に帰って素麺を食べて、読みかけの小説の残りを読んだ。僕が勝手に同郷のように思っている優秀な若い女性の作品。読む前から辛くなるのは分かっていたが、やっぱりそうだった。

https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167906702

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2021年4月 9日 (金)

雑誌「前衛」5月号の岡野八代さんインタビュー『「ケアの倫理」が政治の変革を求めている』


これまで主として斉藤幸平さんからミュニシパリズム municipalismという言葉を学んだが、

最近届いた2099553_p も比較的詳しくミュニシパリズムに触れている。

 

グローバル企業の手先となった国民国家に対抗して政治を市民の手に取り戻すという明確な課題を掲げているものとしてミュニシパリズムを捉え、

 

①民主主義を急進化させ、草の根的で水平的な会議をもち、いろんな意見をたたかわせ、合意で地域運営を決めていく

 

②政治を女性化し、男性中心の家父長主義から政治を解放し、「ケア・ワーク」を中心に労働と社会を再編成し、政治を特定の場所から生活の中に取り戻す

 

という二つの特徴を持ったものだとする。

 

この部分に限らず、このインタビューは全体にとても示唆に富んでいる。

岡野さんの主張の要点は、ケアを蔑む心情を自ら変えないと社会は変わらないというところにある。

最後のところで、育児や家事をエッセンシャルワーカーにゆだねているカナダのフェミニストの大学教員が「ケアに社会の価値の中心を置いて、あなた自身の生活ももっと自分でするように」と言われて、「じゃぁ、私に掃除をしろというの?」とキレたエピソードを挙げて、その変革の難しさをさりげなく厳しく指摘しているのはなんとも可笑しい。

そのフェミニスト教員を笑う資格が自分にはないことはよくわかるが。

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補完性原理を


補完性原理をやさしく言い直すと「ケアの原理」だ。

教皇回勅もいまやそう言いなおすべきだと思う。

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2021年4月 8日 (木)

南山大学社会倫理研究所の公開シンポジウム講演録「Why Be Resilient? 」


今朝は月に2回の診療所勤務だが、その2回がなぜかアンバランスな構成になってしまって、今回は患者さんが少ないので、南山大学社会倫理研究所の公開シンポジウム講演録「Why Be Resilient?  レジリエンスを補完性原理の視点から考える」というブックレットを読み始めた。

 

所長の奥田太郎さんの開会の辞から少し衝撃的だ。

レジリエンスはもともと工学的概念で、建造物が外力を受けた時それを吸収してもともとの形態や機能を維持できるかどうかをいうものだった。これが、生態学や人間社会、さらに個人に及んでいまは災害時の社会、トラウマ体験をした個人心理にまで適用が広がっている。それは技術の目標を示す用語である。

しかし、レジリエンスの主役はシステムであり、「災害時にごっそり構成員入れ替えても大丈夫」という概念を 社会や個人に適用することは恐ろしいことではないか?と奥田さんは言っている。

 

ここで、僕はごく最近自分の病院に起こった限定的なコロナの職員間感染事件で取られた処置のことを思い出す。

 

数人の職場内感染が突然明らかとなり、その数倍の構成員からなる一部署が全員「濃厚接触」相当ということで一斉に自宅待機とされた。その欠失を埋めるため、その他の部署や事業所から職員を移動させてその機能を補うこととした。

そこで、普段からマニュアルなどが整備されており、どんな災害的事態にも業務に支障が出なければ、その職場のレジリエンスは良好ということになるのだが、それはあくまで病院システムレベルの話にすぎず、突然入院したり自宅待機させられたり、別の仕事を命じられた個人にとって望ましい状態が何かはあまり意識されていないのである。せいぜい、電話で健康状態を聴くとか、勤務者には朝夕のブリーフィングを必ず開いてその場での発言を促すにとどまっている。

「突然排除された」「軍隊式に否応なしの命令に従わせられた」「家族もあり病院とは違う社会にも属している自分を尊重されていない」という思いを当事者に抱かせていないかという想像力は残念ながら薄れがちだ。

 

そこで奥田さんは、災害やトラウマとなる事件に当たって組織のとる行動を考える規範として「補完性原理」を取り上げる。個人や下位組織の自律性、創意、責任は不可侵の基盤であり、上位の組織はそれを支援し保障するためにあるというものである。

 

僕が考えるに日本国憲法も補完性原理でできていると思える。国民が国家に命じているものは、国家自らが補完性原理の主体であることと、社会の全てにそれをいきわたらせる努力である。

 

レジリエンスはそうした主体に求められることで、個人を対象としてはいないことを補完性原理は述べているのではないだろうか。

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2021年4月 7日 (水)

時代を決する決定的経験とは


今のところ戦争を経験することはなかったが、東日本大震災を筆頭とする災害、今回のコロナを筆頭とするパンデミックは、現時点までの自分の人生を振り返っても、生きた時代を特徴づける決定的な経験だった。どこかで振り返っておく必要はありそうだ。

 

その時の視点として以下のことを考えた。

 

感染症がどのようにして発症し、どんなスピードでどこまで広がり、どれだけの被害をもたらすのかを決めるのは実は社会のあり方である。

逆に一定規模以上の感染症は社会の歩みをその予想された方向から違う方向に向かわせる。それは一つのベクトル合成である。

 

このような運動は、自然と人間・社会の間に常に行われている物質代謝の一環であり、災害と並んで氷山の一角としてただそれを鮮やかに示すものに過ぎないが、物質代謝の総体を把握する視点を獲得するうえでかけがえのない機会だった。
少なくとも「人類」という単位で実践的にものを考えたのは今回が初めてだった。

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2021年4月 3日 (土)

今週のヒヤリ・ハット


先日のコロナ騒ぎの中突然引き受けた当直は当然最高齢記録更新であるうえ、早朝の緊急会議ー日勤ー緊急会議ー臨時当直ー日勤ー緊急会議という緊張を伴うものだったが、その中で自分には珍しいヒヤリとしたことがあった。異常事態の中で最終責任者が緊急当直などを引き受けてはならないという教訓もあるかもしれないが、それとは別の話。

 

深夜、病棟に急に悪化した患者があり呼ばれて赴いたが「ではヒドロコルチゾンとアミノフィリンを加えた点滴注射をします」と言って、常位置にしている外来に帰り、その電カルの注射リストで、アミノフィリンの真上にあるアミサリンをクリックして入力してしまっていた。それは病棟でラベルに印刷されて打ち出された。

しかし、僕を呼んだ看護師さんはベテランだったのでラベルが出る前に僕から口頭で聞いた通りに薬を準備していたので、僕の誤った指示が実行されることはなかった。

 

似た名前の薬を入力するというのは昔からよくあるエラーなのだが、まだ起こってしまうことに考え込んだ。もちろん実行されてしまうには何重にも予防の仕組みがあって、実害は格段に少なくなっているとしても、今回は紙一重で救われたと言える。

 

深夜帯の仕事はなお危ないものとして残っている。3勤務帯を連続する長時間勤務の医師はどうしても注意力が低下しているだろう。その上、深夜帯には薬剤師のチェックがない。さらに深夜帯には病棟看護師は2人しかいないので両者によるダブルチェックも時間を惜しんだものになるだろう。

 

医師の注意力低下を補うため、電カル入力が医師の音声聴取とディスプレー上のクリック動作の一致を必要とするものにするか、あるいは機械からの読み上げを伴うものにならないだろうか。より容易と思える後者案では、アミノフィリンをクリックしたつもりの時、機械が「アミサリン」と読み上げるわけで、間違いに気づくことが増えるだろう。もちろん、それがそもそも似た音であると言う問題点は解決しておらず、「いちいちうるさいなぁ」と言って次の作業にそのまま移ることは多いにありそうだが。

 

ともかく、こうやって経験共有を積み重ねるのが、人間が作業する限り必須の予防策ではあると思ってメモしておいた。

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2021年4月 2日 (金)

少数の院内感染疑いの中で考える

病原体サイドからの観察1:新型コロナウイルスの基本再生産数はおおよそ1.5から2.5人だとされる。(*これが麻疹だとすると13人になる。)
 
宿主サイドからの観察2:強い感染能力を持つ人は5人に1人。5人のうち残り4人はその人が感染の終点である。(*これが麻疹だとするとおそらく全員が強い感染能力を持つのだろう)
 
この二つの観察は経験的なもので、両者を統一して内在的に説明する理論はない。
 
となると、僕らにできるのは、偶然にこの二つの観察が見かけの上で成り立つモデルを想像することだけである。
基本再生産数が1になるモデル:
外にいる感染力の強いAに接触した集団内で5人が感染し、そのうち1人Bが感染力が強く集団内の別の5人に感染させる。ここで早期に対処して、10人の発生をすべて確認して隔離し、その中にいる感染力の強いBを捕捉できていれば、その感染エピソードは
5人が10人に、つまり1人が1人に感染させたように見えるということになる。
 
基本再生産数が2になるモデル:
つまり5人が15人に、つまり1人が2人に感染させたと見えるモデルは上記のBが感染させた5人のなかに感染力の強いCがいてさらに5人に感染させ、合計15人が感染したときということになる。
ただし、これは時期が相当長くかかるので、観察期間が短ければ5人が15人とは見えないかもしれない
 
*こうして隔離という介入によって生じている再生産数は、基本再生産数というにはふさわしくなく、これがニュースでも聞く実効再生産数に相当するものなのだろう。
 
そこで、均質な職員集団で感染が始まっても早めに対処すると3人程度の発生を発見して隔離すれば、強力な感染力を持つBにあたる人の発生をなくせて、その感染エピソードは終わりにできるケースもあるということで、集団が敏感になればむしろその程度が多いのであろう。
 
と、考えて今回の事態の終わりを楽観的に見通している僕であった。あくまで理想的に早期に対処できていたらの話だが。

 

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