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2021年1月31日 (日)

今日の救急医療と、40年前のある山口大学工学部の学生について

救急室が1箇所しかない小病院なのに、圏域内何箇所かの救急隊が相互連絡なしにてんでバラバラにここを目指して救急車搬入するので交通整理が必要だ。
到着したある救急車に救急室のドアの前で5分間待機するように言ったら、その救急車の隊員がキレた。「表に出てこい」という感じで「医師と直接話したい」という申し出。治療の手を止めて救急隊員との対話を要求されるなんて初めて経験した。
仕事を中断して出て行って「もう少しでこっちのコロナの検査が終わるから5分待てませんか」と言って帰った。実際には2分で終わった。
いや、僕は別に場合によっては相手の胸ぐらを掴もうかとか取っ組み合ってやろうという気もなかったが、(だって70歳近い高齢者だからね)、本当のところ向こう方がhテンパって大変だったのだなぁ、と後になって思った。

それより、そいつの名前を聞き出して、翌日にも学部長に退学にさせろと抗議したかったと思うのは山口大学工学部のある学生だ。自分らが馬鹿な飲酒をして友人を危険な状態にして運び込んだくせに、「殺したら承知しないぞ」などと僕の胸ぐらを掴んだ奴だ。思い出すたび腑が煮えくりかえる。40年近くも前のことだが、もしもう一度会うことがあれば今度こそはただでは済ませないつもりだ。患者で来たとしてもだ。

しかし、考えてみると逆に僕の心ない言葉や態度に傷ついて、僕と名付けた藁人形に釘をコンコンと打ち続けている人も100人単位でいるのかもしれない。

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2021年1月28日 (木)

2021.1.30 医療生協理事会挨拶原稿案

新型コロナの大流行期に入った時点での理事会ですが、皆さまご苦労様です。今日は私自身は二次救急の担当になっておりますので、もしかしたらご挨拶だけで失礼するかもしれないことをあらかじめお断りしてきます。理事会の日に理事長が救急車対応に追われるということから医療現場の窮状を察していただければ幸いです。
この流行が始まって1年を過ぎるのですが、この間、私の印象に残っているのは、この流行で、世の中には「エッセンシャル・ワーク」(社会にとって本質的な仕事)と「ブル̪̪シット・ジョブ」(その反対のクソつまらない仕事)があり、エッセンシャル・ワーカーはどんな流行が来ても仕事から逃げられず感染と直面しながら闘うしかない、かつ、そういう人ほど賃金が低く、待遇が悪く、コロナ関連による健康リスクに対して脆弱だということがあぶりだされてきたことです。
医療職員ももちろんエッセンシャル・ワーカーに属しますから、私たちはこの流行の中で、患者さんや住民だけでなく職員を守り抜くという決意も強く固めないといけないと思っています。
それに若干関連することですが、最近、下関でも宇部・山陽小野田でも、周南でもいわゆる老人病院に大きなクラスターが発生していることが流行の特徴として見えてきました。
宇部・山陽小野田地域で初めて発生した病院大クラスターの現場は地域の病院群の中では最も弱い所であったように思います。言ってみればこの地域の医療のエッセンシャルな部分はここにあったのかもしれないと思いました。
聞けばこの病院で発生した感染患者さんは感染症指定病院に転院することなく、もとの病院内に「留め置かれ」て、内部のゾーニング(区域分け)で対処されようとしていますが、それも困難な状態であるようです。
お隣の韓国で、流行初期に老人施設が施設丸ごと地域から隔離され、地域は守ったものの、施設内部の感染拡大は放置されて大量の死者を生んで大問題になったことを自然に思い出します。
この病院に起こっている事態を他人事と考えている限りコロナの解決はないし、早晩、私たちの宇部協立病院も同じ事態に見舞われるだろうと考えて、今後の対処のレベルを上げていきたいと考えているところです。
さて、もう一つ、これは面白いなと感じているのは「斎藤幸平現象」です。「人新世の資本論」やNHKの「100分de 名著 『資本論』」などがすごく売れています。
気候危機を生み、それを人類絶滅に至るまでに激化させるばかりで一切解決できない資本主義は一刻も早く終わりにしなければならないという主張は明快です。
しかし、ならば私たちはどのように行動すればよいのかという方向性はまだ具体性を欠き、読者を戸惑わせているようです。
スペインの新しい政治思想「ミュニシパリズム」が(訳せば、市民政治主義とでもなると思うのですが)方向性の例として挙げられていますが、中々想像しにくいのではないかと思います。
じつは、最近そのヒントを見つけたように思うので、この場で紹介させていただきます。
私はまちづくりのために特化した雑誌として月刊「住民と自治」地方自治研究所という薄い雑誌を定期購読し始めたのですが、2021年2月号の巻頭が、地方自治研究所理事長で京大名誉教授の岡田知弘先生と、鳥取県知事時代の業績が絶賛されている、民主党政権時代の総務大臣片山善博さんの対談でした。
これを読んですぐに文春新書「知事の真贋」片山善博2020.11を買いに行きました。
なんだかつまらない本の題名からは想像できないものすごく面白い本で、2時間で読んでしまいましたが、特に地方議会を論じているところが秀逸でした。
【なぜ議員になりたいかと質問されて、市民の要望を首長に伝えたり、首長の出す方針を点検して質問したいからと答えたり、自分は何回質問したと自慢するなんて馬鹿げている。
要望したりチェックするだけなら市民個人でも市民団体でもできるのだから。
議会の本当の仕事は市民に必要なことを自分で決めることだ。
市民がフリーにスピーチ出来る機会を議会で常時設けて、それを丁寧に聴いて、議会でそれについてよく討論して、必要であれば条例を作って首長や県庁や市役所を働かせればよいのだ】
と片山さんは言っています。
「あ、これがミュニシパリズムのスタート地点だ」と私は思いました。議会が、こうやって市民が言いたいことを言い、それを真剣に討議して、やることを決める場になれば、初めて気候危機の解決や資本主義を廃止する足掛かりができるのではないでしょうか。
本当の人民的議会主義はきっとこういうものです。
今年はぜひそういうことも私たちの中で議論する年にしたいと思います。
では今年もまた熱心なご議論を頂くことをお願いして私のご挨拶といたします。

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2021年1月27日 (水)

僕の考えるミュニシパリズムmunicipalism  地方自治の入門書として片山善博「知事の真贋」文春新書は最適だ

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片山善博「知事の真贋」文春新書は大いにためになる本だった。
わかりやすく大事なことだけ書いてある。
もし僕たちが地方議会を活用するのであれば、知り合いの議員に請願の紹介者になってもらったり、僕たちに成り代わって市長に質問してもらったりするのでなく、
議会自身が全員で僕たちの話を傾聴して、自ら条例を作るなどして、市長や市役所に実行させる腕を奮ってもらうということである。
こうでないと、気候危機に実質的に立ち向かう地方自治体にはならない。

実はこういう姿勢こそを、本当の人民的議会主義と呼びたい。












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李 静和「つぶやきの政治思想」岩波現代文庫2020.4  とエッセンシャル・ワーク、および母性による革命


まったく予備知識無しに 李 静和「つぶやきの政治思想」岩波現代文庫2020.4を偶然読み始めた。
https://www.iwanami.co.jp/book/b505584.html

まず、これまでよく目にしながら読み流してきた「戦略的本質主義」という言葉を検索する必要にぶつかる。差別されるマイノリティの人々がつきつける、揺るがない差別体験と彼らのアイデンティティ。これがつまり「本質」つまりエッセンシャルなものだろう。その裏返しの概念が社会構成主義だが、ともあれ、突きつけられる側は、自らの知識や経験自体を「特権」だとして解体する以外にはない。これが「学び捨てる=unlearn 」というものである。

こうして本質とは、つまり隠されてきたエッセンシャルなものだとすれば、コロナ自体の中で僕らの仕事がエッセンシャル・ワークだと呼ばれたことがよく分かる。
この社会になくてはならないが、影の、マイノリティの領域に押し込められた労働が、エッセンシャル・ワーク つまり本質的労働だったのである。コロナ事態こそが僕たちの戦略的本質主義を社会から洗い出し、立ち上がらせたとも言える。
不当に貶められているが、結局はこの社会の生存を成立させている実体を「本質的=エッセンシャル」と呼ぶという認識として。

だが揺るがない差別体験とアイデンティティを語ること、いや語らせられることは、自らを免罪してしまい、反省ではなく単なる記憶の反芻に陥る危険もはらんでいる。

というところから始まり、「おっ」と思う記述にぶつからる。

女性の解放の道では否定されるはずの「母性」。
しかし、「母性」が弱者や疎外されている人々を抱き取る力になるなら、それは女性が高度に抑圧されている社会では、女性解放の道筋になるのではないか。抑圧されたものが抑圧したものを抱き取り、救うという道筋。

まるで、マルクスがロシアの共同体ミールのなかに未来社会に向けた可能性を見出したような洞察のように思えた。

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2021年1月22日 (金)

Stay Home をお願いしたい

某知事に「Stay Home をお願いしたい」と言われると在日外国人に向かって言っているんだなと思う。

歴然としたレイシストだから。

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2021年1月19日 (火)

主流宣言

民医連には地域の労働者階級の共有財産という側面と、住民の共有財産という側面があって、これは区別して考えるべきものである。
 
その地域でほとんど唯一の労働者の労働のアソシエーション組織と考えるのであれば、その力量と自主性と民主性の保持は、内部の労働者だけではなく地域の労働者階級の共通の課題ということになる。
 
住民の共有財産としては、まず使用価値としての有用性の高さが問われる。容赦ない質の点検が住民側の視点で不断に行われる必要がある。

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2021年1月15日 (金)

南米出身の指揮者とアリス=紗良・オット


非営利協同研究所理事会のZoom会議が終わった金曜の夜、電子カルテで病棟患者の記録の整理をしながら何か音楽を聴こうと思ってYouTubeを探していると、えらく楽しそうにメキシコの「ダンソン2」を指揮している男を見つけた。アンドレス・オロスコ=エストラーダといって南米コロンビア出身の指揮者だった。フランクフルトにいる。ベネズエラ出身のグスタボ・ドゥダメルよりさら大衆性がある気がする。曲の最後の自由さには涙が出る思い。
それを面白く聞き終わると、彼の指揮でアリス=紗良・オット(母が日本人)が演奏するグリーグのピアノ協奏曲を見つけた。
それにつけられたコメントを読むとアリス=紗良は多発性硬化症という難病であることを2019年に公開していた。演奏する人の表情をこれほど凝視したこともなかった。観客もいず、マスクをしているから割と最近の撮影なのだろう。 あぁいろいろあるなぁと思った夜。

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進撃のパンデミック―ショック・ドクトリン


モゴモゴと意味不明に発言して多くの人の首を傾けさせたが、 政府あるいは菅首相個人がコロナ事態と医療皆保険制度見直しにどういう内的関連を見出しているかを推理すると、やはり年齢による治療方法の制限を普遍化するということではないかと思える。

 

たとえば80歳以上に人工呼吸無し、70歳以上にECMOや透析無し、30歳未満では入院無しとかをコロナで始め、次は同じことをすべての患者に当てはめようということなのだろう。
さらに国策に従う医療機関と従わない医療機関の保険上の差別化。

 パンデミック―ショック・ドクトリンの開始だ。

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2021年1月13日 (水)

老兵はもう引退しかないなぁ

全県の学生生活支援の臨時共闘を、大学の教職員組合、大学生協連、中小企業同友会、さらに県労連や県生協連に呼びかけてみようという提案を県民医連の会議で言い出してみたが、こんな簡単なことが一瞬では伝わらなかった。説明の挙げ句の到達点は「できたらいいですね」。これが医学生時代から50年近く僕が打ち込んできた運動の現状だ。まさに引退の時期は来た。
別の運動様式の確立に余生をかけるつもりだ。

しかし、考えてみるとそれが普通の反応だ。従来からある中間団体単位の共闘組織はもう組めないし、組めたところで無力だ。ワン・イシューの個人単位のネットワーク、つまり、いまアメリカなどで目にする運動形式に頭を切り替えていかないといけない。

僕が引退するのは従来の「上から作る中間団体型の運動」。肩書なしの新入りとして、コミュニティ・ベーストな運動にどう加わるか考えるつもり。もう役には立たないと思うが、新天地が開けている気もする。

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2021年1月12日 (火)

民医連地蔵

気がつかなかったが病院職員通用口に小さなお地蔵様がいて、職員の交通安全を祈ってくれているみたいだ。
名前をつけたらどうだろう 137574911_3571927012890027_4210711206045

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2021年1月 9日 (土)

診断

1)dry tapのように見えて患者さんから自分の手技に不信を持たれた検査だったが、実はごく少量は採取できていて、今結果を入手して診断が付いた。
雪の日の明るい昼の話。
2)診断名のついたことを告げに行くと、手帳にそれを書いてくれと言われた。
「漢字は読めないからカタカナで」と。
 
それまでコミュニケーションの取りづらさ、苦手意識のあったことを糸がかりにしてどうしてもっと掘り下げなかったか、どういう生活を送ってきた人だったのか迫らなかったのかと悔やまれた。それに僕の診断行為が殆ど役に立たないであろうことも。

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2021年1月 3日 (日)

今年の初仕事1/2

12/31は大沢真幸さんの社会学の入門書、1/1は齋藤幸平さんのNHK・100分de名著・「資本論」の易しいテキストを読みながら、昼間はときどきNetflix、暮れて後は病棟回診という平和な日だった。普段きちんと調べずに済ませていたことなどの疑問を解決できて有意義だった。G-W-G'のWがドイツ語でも英語でも同じ綴りのWareであることなど40年前に知っておくべきことだった。ハードウェアやソフトウェアのware である。
 
打って変わって1/2は一般救急外来+病棟日直。
しかし、これが医師1,看護師午前2・午後1、放射線技師1・検査技師1は随時呼び出しという態勢なので、市の休日急患診療所から酸素吸入中の肺炎などを救急車で引き受けると、当院病棟への入院の是非・可否を決めるのに1時間半はかかる。その前にすでに存在した新入院患者さんの処理なども重なるともっとかかって、二時間以上は外来を閉鎖せざるをえない。指示と結果判定だけの僕の手は空いても、他の職種、特に看護師が隔離室に縛り付けられている。(僕の手が空かない、例えば気管内挿管などするから、といったことは今の外来ではありえない。それは病棟のコロナ感染フリーの患者に限られる)
 
というわけで受け入れた患者が1例も新型コロナ患者だったことのない地方の三流救急外来も、コロナに影響されて機能ダウン中である。

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2021年1月 2日 (土)

1/1の読書メモ

今日の読書メモ

○貨幣ー商品ー(より増えた)貨幣 つまりG-W-G‘ は有名な資本運動の定式で、GはGeld、ドイツ語で貨幣だと知っていたが、WをずっとWertだと思っていた。本当はWare(ヴァーレ)ドイツ語で商品だった。Wertだったら価値という意味なので、それでは全く意味をなさないことになってしまうのに。

ところで、英語で商品をどういうか、と考えてふと迷う。goods ではくだけすぎだろう。
調べてみると以下。
「①commodity(コモディティー):基本的には複数の「commodities」が多用され、農産物などの商品のニュアンスが強い。
②merchandise(マーチャンダイズ):「goods」のフォーマル形だ。しかし、会社間の取引などで頻繁に使われる。「goods」は消費者と販売者間、「merchandise」は会社間と覚える.
③ware(ウェアー):陶器や器物のニュアンスが強い「商品」です。ちなみに台所用品は「kitchen ware」。」

おや、ware は英語もドイツ語も同じ綴りか。
hardware はパソコン本体というよりもともと「金物」のこと。 これが hard wearだと固くて着づらい上着だろうか。
softwareとなると竹細工か何かと思ってしまうが、これはhardwareからの連想で、最初から「ソフト」つまりプログラムの意味だったのではないか。

○ ディジタル・プロレタリアート。 SNSを扱っているとき、無料であるいはみずから金を払って、fb などのプラットフォーム資本家のために人々は情報・データを生産させられている。

○資本家は無限の価値増殖運動の歯車でしかないというが、僕としてはそこに生物学的な動機を感じる。
他人の支配という何か本能的なものを感じる動機である。
自己家畜化がボノボまでは行きつかず、チンパンジーと同じく残酷な能動的攻撃性が残ってしまった現生人類として抑制しえない衝動なのだろう。
これを克服するとき、現生人類人類は進化する。

〇共有物を囲い込んで奪うことを本源的蓄積と呼ぶなら、それは資本主義のスタート時点で一回だけ起こったことでなく、資本主義の時代ずっと継続されてきたことになる。そのように収奪されるのは植民地主義による途上国の共同体や、自然の収奪だけでなく、先進国内部の公共性(教育、医療、交通、水道、衛生、環境)も共有物から商品に変えられていった。後者が新自由主義だったことはすでに明らかである。

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2021年1月 1日 (金)

大沢真幸 [「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学』 NHK出版新書、2010年

12月31日はなぜか2011年1月10日発行という微妙な発行日のNHK出版新書を本棚から取り出して読み耽ってしまった。微妙というのはそれはほぼ10年前、僕の59歳の誕生日で、東日本大震災や大きな悲劇がその年起こるのに、その時点では、その予兆を全く感じてもいなかった日だからである。
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000883392011.html?gclid=EAIaIQobChMIrvGQv8z47QIVgXZgCh1yOgC3EAAYASAAEgK5g_D_BwE
本自体は社会学の初学者への講義録のような本で、僕のように我流で本を読んでいる者には、実に親切な中身になっていた。
知っているつもりで知らなかった社会学の基本的な用語を改めて知る機会になった。

しかし明らかに間違っているところもこの本には各所ある。例えば35ページ:ルンペンプロレタリアートを「次の革命の担い手」としているところ。213ページ:医療を商品交換の典型例として用いているところ。医療は今も社会保険として実践されており、患者の支払いは一部負担であって、商品としてのサービスの対価ではないから、本質的にも、制度論的にも間違っているとしか言えない。また234ページのように物象化と物神化を混同した話は読んでいるものを混乱させる。
こういういい加減なことを平気でするので、僕はずっとこの大沢真幸(おおさわ・まさち)という著者を信頼できない語り手だと思ってきたし、この本でも、多くを教えられてもその印象は変わらないのである。

以下、最小限のメモ。

○本質的には人と人の関係であるものを、現象的には物と物つまり商品同士の交換に置き換えて見せることを呼ぶ「物象化」という難しい言葉と対になる逆の言葉は「人格化」である。これは非限定的diffuseと限定的specificとの関係でもある。ゲマインシャフトゲゼルシャフトの関係とも類似する。 
○物象化が行くところまで行くと逆に物の人格化(=神格化)が現れる。これを「物神化」と言う。これはフロイトの「抑圧されたものの回帰」とも言える。*ただし、日本では物の神格化は別に珍しいことではなく、富士山はじめいろんなものが神様になっている。鰯の頭でさえ。

○しかし今日のfbのしていることは、現象面では人格化的関係を提供するように見えて、本質は個人の情報化から利潤を獲得するという特殊な物象化である。つまり物と物の関係に過ぎないものを人と人の関係に見せかける逆物象化が現在の資本主義の特徴かもしれない。

○柄谷行人の言う「超越的」という言葉の意味が理解しにくくて困っていたが、これはカントが思考する自由に名付けた形容詞だった。

○2020年ににわかに注目された、エッセンシャル・ワーカーとブルシット・ジョブ・ワーカーという労働者階級の2極分化現象は2011年のこの本でもすでに注目されていた。それはロバート・ライシュが言い始めたことでもある。この新たな亜(準)階級分化がリベラル対ポピュリズムのイデオロギー対立も生むこともこの時点で常識化していた。

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記憶のケア についての思いつき

これは全くの思いつきで言っているので額面通りに受け取られると困るのだが。

蟻塚先生からその症状は沖縄戦や東日本大震災のPTSDだと診断された人は、いつかは打ち倒されるべきアメリカと日本支配層による沖縄や東北への残酷な仕打ちの被害者としての自分という解釈、誤解を恐れずにいえば「物語」を受け入れ内面化することで辛い記憶がケア*されて、当面の症状が消えて行くのではないか。
つまり、その人たちは、解釈し物語を提供してくれる蟻塚先生と心の中で対話しながら生きて行くことができる。生きる目的というものが明白でない場合も心の中で対話できる存在が一人あれば生きて行くことが可能になる。これが蟻塚先生の治療の成功というものだろう。

*川本隆史さんがいう「記憶のケア」とは少し違うかもしれないが、もしかすると同じかもしれない。

おそらく梨木香歩さんも同じことを言いたかったのだろう。大勢順応を拒否しながら生きて行く、あるいは拒否を貫くために自分の中にリーダーを作り上げろ、と。https://tanemaki.iwanami.co.jp/categories/869

しかし蟻塚先生の治療で治っていく人や、梨木さんの言うようなリーダーを見つけられるのは幸運な少数例で、大半の人はどう試みても心の中に対話する相手が現れない、つまりどんな解釈や物語の提供によっても自分を意味あるものとして認められないままに打ち捨てられているのではないか。

しかし、まさにこういう人々、アイデンティティを持ちえない人々の連帯こそが資本主義を終わらせる原動力になる。

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