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2020年7月21日 (火)

莇 昭三先生(石川民医連、元全日本民医連会長) 死去

莇 昭三先生(石川民医連、元全日本民医連会長)が亡くなられた。
先生に最初に会ったのは、先生が民医連の医師部長だったころの1976年である。
第2回だかの民医連青年医師の交流集会を北九州市で開くという事前の交渉に健和会を訪問された。研修1年目の僕が現地実行委員長候補として引き合わされたのは、当時健和会と関連の深かった戸畑区浅見の料亭。そこで生まれて初めて大皿に乗ったフグを食べた。皿が石川県の九谷焼だったので、莇先生もしばらくその話をされていたことだけを覚えている。
なお、この料亭では、それから程なくしてすでに事務系初の副会長になっていた峠元事務局長にも引き合わされている。原爆詩人 峠三吉の弟になる人である。「もうすぐ何度目かのフランスに行くんだよ」とおっしゃっていて、その風貌や服装も相まって民医連にもブルジョア的な幹部がいると思った。
 
翌年、ホテルニュータガワで開催された交流集会の基調報告を書いたが、僕自身の理論レベルがめちゃくちゃ低かったし、周囲にワンチームの青年医師集団と呼べるものもなかったので、散々な出来のものだった。総体としてこの思い出は良くない。
 
莇先生について、次に思い出すのは、ある時の民医連総会で、山口県選出の代議員だったある婦長が、ホテルから会場への送迎バスに乗ったら横に痩せた老人が乗ってきて、その高齢ぶりに驚いたという話である。高齢者に敬意を示して「そのお年で頑張ってらっしゃるんですね」などといい、「お仕事は何ですか」と聞くと「カイチョウです」と言われた。「カイチョウ」がなにを意味するのかわからず、もしかすると「怪鳥か」と思っているうちに会場に着いた。壇上で挨拶する人を見て、初めて「全日本民医連会長」と気づいたということである。よく出きた話だと思う。
 
最後は、先生の「共同の営み論」に、例えばプロドラッグが患者体内の代謝系で活性化されて薬理効果を発揮するようなことが医療における「処方する医師と服薬する患者の共同の営み」の例とされている記述を読んだことに関連する。その唐突さに先生の立論には階層性が十分意識されていない気がした。
そこで、医師が処方した薬を患者がその意味を理解して内服する、医師に指導されて禁煙する、安全性の不確実な治療方法の選択について医師と患者が話し合って意思決定する、病院運営について相互の立場の違いを認識して協力し合う、この社会の中に医療制度をどう位置づけるかの当事者は住民だと気づく(それは、例えば北米のナバホ族で部族全員が医療に参加し、医療が部族全体の営みだったことの高度な次元での復活だ)、医療制度を超えてもっと深い影響力をふるって健康を決定する社会的要因を認識してともに社会を改革する、ということなど、医療が患者住民と医療従事者の「共同の営み」であることには何重もの階層性があるのではないか、それぞれの階層での共同の営みの現れ方の違いを意識するのが重要なのではないかという質問を先生に伝えていただいたことがある。
(詳細は忘れているのだが)
全くそのとおりだということと、自分の理論がこうして引き継がれていくのが頼もしいという伝言を頂いた。じつはこれが先生の最大の思い出になっている。
ご冥福をお祈りします。

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