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2020年1月13日 (月)

変わらぬ枠組みの中で習慣的あるいは自動機械的に行われる再生産


40歳くらいまで詩の持つ力を信じていたので自作の甘ったるい下手くそな詩を集会で朗読したり機関紙の新年号に載せたりしていたのだが、今はそんなことを考えることも無くなった。

詩を読む人=詩を書く人、という小社会に詩が閉じ込められたからである。

昨日、文脈はまだ十分理解できないものの、著名な医学教育学者が、「誰もが書くが、誰も読まない」と発言するのを聞いていた。

医学会の地方会などにありがちなことである。若い医師は義務のように誰でも何度か地方会には発表するものだが、それは発表する人のキャリアとしてしか意義がないということが多い。誰もが発表するが誰も聴かないのである。 

変わらぬ枠組みの中で習慣的あるいは自動機械的に行われる再生産といったところだろうか。そう考えるとそれはあらゆる場面に見受けられる。

閉じた小社会の中で起こることは詩でも医学でも社会運動でも同じなのだろう。

 

マルクスもデヴィッド・ハーヴェイもジェイン・ジェイコブズも 佐々木隆治・斉藤幸平の存在も知らずにコミュニティを論じる医療系の人の書いたものを読むと、なかなかその小社会の殻を脱することは難しいと感じる。82780147_2648169788599092_72525883857038 82955825_2648169818599089_80094396456349

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