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2019年7月30日 (火)

多和田葉子にまちづくりを学ぶ

今日の朝日新聞。多和田葉子さんに、包摂的なまちづくりからまちおこしにいたる実例を教えてもらうなどとは意外だった。優れた作家には日常生活から様々な事象を拾い出して来る眼力が備わっているものらしい。 67387861_2294843557265052_38704484764457

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2019年7月26日 (金)

医療生協理事会挨拶    2019/7/27                        

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参議院選挙も終わりましたが、やはり注目すべきは32の1人区の野党共闘の成果です。
前回の11議席に1議席届かなかったので野党が敗れたなどというのが報道の主流ですが、野党共闘が切実になった契機の前々回の選挙では野党の2勝29敗の惨敗です。
野党の敗北どころか野党と市民の共闘による統一候補作戦が定着したというのが妥当な見方だと思います。 与党側に目を移すと首相が勝敗ラインを過半数に置いたことに朝日新聞などは迎合して1面で「与党勝利」と報道しましたが、自民党は前回から9議席も減らしており、右派とみなされる産経新聞のほうが1面で改憲勢力が2/3を割ったと報じていました。やはり右派的な新聞のほうが鋭く危機感を表現しております。
 そのほか今回の選挙で目立ったのはネットでの宣伝と議論の深まりです。共産党のアニメとれいわ新選組山本太郎の演説が評判になりました。あとで少しだけ視聴していただきますが、協立歯科のリニューアルの宣伝などもyoutubeでの動画を真剣に考えなくてはならないと考えています。
話は変わって、昨日7月26日は神奈川県の「津久井やまゆり園」で重度障害者19人が殺害された事件から3年目でした。犯人はなお「障害者は不幸しか作れない。いないほうがいい」という考えを変えていないと伝えられていますが、同園の元職員であり福祉関係者でした。
この事件の直前には、2014年に同じく神奈川県川崎市の有料老人ホーム入居者3人が相次いで転落死し、当初変死として処理されたものの救急救命士の資格を持つ施元職員が逮捕されたということもありました。その後も類似事件は起こり続けています。
 広く言って、医療・介護関係者が患者・利用者に危害を加えることが後続を絶たないこの事態はなぜなのか、どうしたらなくせるのかという問題意識を掲げた本を、都留文科大学の後藤道夫名誉教授の勧めで最近読み始めました。反貧困運動で著名な藤田孝典さんや後藤道夫先生自身が書いています。
 藤田さんは「社会福祉」の「社会」が忘れられて「福祉」だけになり制度や行政との協力ばかり唱えて異議申し立てをしなくなっている現場が結局は当事者の権利を抑圧して最終的に上記の事件を引き起こしていると主張しています。これを過激と捉える人もいますが、本の帯にいう「本気で社会を変えるには対決と対立が必要だ」がやはり正しいとおもえます。ぜひお読みいただければ幸甚です。
この本の中で、渡辺寛人さんという東大の大学院に行きながらPOSSEという若い非正規労働者をターゲットにした雑誌の編集長している人が書いた第2章が特に面白いです。
政府のしていることは、生活保護をはじめとして社会保障予算を大幅に削りながら、その削った部分を貧困ビジネスの起業の助成金に当てるということです。そのターゲットになっているのが日本中に乱立し始めた子ども食堂です。湯浅 誠氏が昨年今年と山口県に招かれて「山口こども応援ミーティング」なるものを開いているのもその一環とみなせます。子どもの貧困がなぜ生まれてくるか、原因になっている親の貧困をどうするかを問わない、企業や行政に敵対しない、彼らが許容し協力する範囲内での運動が広がることは、実は福祉をビジネスにしてしまうことにつながっています。最近ではこれを貧困ビジネスとは呼ばず「ソーシャル・ビジネス」と呼んで本質を隠蔽しようとしているのが特徴的になっています。
この事態をどう解決するかですが、渡辺さんは2008年年末の年越し派遣村の教訓を思い出せと言っています。リーマンショックで派遣切りが急激かつ大量に起こり、派遣労働者は何の用意もなく住居を失いホームレスになった。ここで派遣労働者を支援していた労働運動と、ホームレス支援をしていた反貧困・福祉運動が全く偶然に結びつき、貧困の自己責任論の否定が一気に世論になった、そこで年越し派遣村が成立したのです。しかしこの結合が偶然に過ぎなかったため、ふたたび労働運動と反貧困・福祉運動が分離して、貧困の自己責任論が息を吹き返し現状に至ったと渡辺寛人さんは分析しています。今度は意識的に両者がしっかり結合していく方法を探るべきだというのが彼の主張です。私達がめざす「伴走的支援」もそうなって初めて可能になるものと思います。その時、労働者の健康と幸福、貧困者の健康と幸福の実現両者を自分の使命としている民医連が両者をつなぐ架け橋、あるいは両者が集まるプラットフォームになるのだと思います。
 そう言った意味では、医療生協健文会も地域福祉を本格的に目指す組織的構築・改変が必要だろうということを申し添えて、総代会後第1回目の理事会のご挨拶といたします。
*あと、もう少し時間がいただければ奈良県大福診療所のコミュニティ・ナースを報道した動画をご覧いただくことにします。

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2019年7月18日 (木)

南国土佐を後にして

ペギー葉山の「南国土佐を後にして」という歌謡曲があるが、これはもともと中国に派遣された兵士の中で自然発生的に生まれたものであることは分かっている。
その歌詞の中で僕が以前からなんとなく違和感を覚えていたところがある。1番は戦後に東京の集団就職者の歌と思わせるように変形したものだが、2番以降は原型に近いと思え、その中で「月の浜辺で焚き火を囲みしばしの娯楽の一時を」というところがそうだ。
浜辺が揚子江のほとりだとしても、兵士の娯楽とは何かという疑問を子供の頃からずっと持っていた。兵士が車座になって歌を歌うことを娯楽としていたのだろうか。
雑誌「世界」8月号 佐藤純「慰安婦がいた時代」を読んでいると、1932年に陸軍初の慰安所が「軍娯楽場」として上海派遣軍に設けられたとある。
あ、そうだったのかと思った。
「月の浜辺で焚き火を囲み」は状況をごまかす目的で追加されたものだろう。いつ射撃を受けるかわからない揚子江の浜辺で、それもわざわざ焚き火をして無防備にくつろぐことはないはずだ。
この歌を女性が歌い、3番の歌詞が「私も負けずに励んだ後で 歌うよ」とされているのを聞くと、兵士が戦闘を「励む」と表現はしないだろうから、歌っているのは慰安婦自身ではないかという気がしてならない。陰惨さと明るさが同居している感じ。
終戦から間もない約60年前に誰もそう思わず大ヒットしているのでやはり違うのだろうか

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2019年7月14日 (日)

齋藤美奈子「日本の同時代小説」(岩波文庫)に李恢成が無視されているのが不満だ

休日に遅い昼ご飯を食べていると、明け方に入院した患者さんの腹痛が一向に改善しないということで日直医から内視鏡を頼まれる。胃の疾患でそんなことは生じないと思いつつ病院に出かけて診察してみると小腸軸捻らしい絞扼性イレウス。あわてて外科のある病院に転院依頼。ともかく僕を呼び出してくれたことに感謝する。
これでようやく本格的に目が覚めて、そのまま病院にいて数日前に買った一冊の岩波新書を猛スピードで読了。
題名だけでもなじみ深い多くの小説が、近現代小説史のどのあたりに位置付けられるのかが分かって勉強になる。カタログ的ではあるけど。
井上ひさし、村上龍、丸谷才一が女性の目で徹底的にコケにされているのが面白い。
 しかし大半の芥川賞作家は網羅しつつ、1972年の李恢成が無視されている。彼の「見果てぬ夢」こそ1970年代最高の傑作だと思う僕には、これに気づいて読むのをやめようと思うくらい不満だった。加藤周一も一回も出てこない。彼も小説を書いているのに。
 とはいえ作品の選択は著者の権利というもので、ひいきの作家が登場しないと文句を言うのは野暮の骨頂だろう。4102irwd5sl

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2019年7月11日 (木)

away感のある診療所

最近、この診療所のaway感はただならないものがあって、次第にあまり来たくないなぁという気持ちになっていたが、今日ある事件があったことから考察するに、別に僕がよそ者として疎外されているのでなく、幹部がこの診療所をhomeと思っていない、つまり診療所全体が地域や患者からawayになっているのだと気づいた。
この危機はcriticalなものだ。つまりヤヴァイ。それに気づいているのは外から来ている僕だけかもしれない。開設者としてはなんとかしなければ。
*僕と僕が診させて貰っている患者さんだけが疎外されているということであれば僕が来なくなれば解決することかもしれないのだが。

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職場の中の排除の論理

僕が何か新しい企画を立て、広く職員に学んで欲しいと思って関係者に相談すると、たいてい「まず職責者から集めますか」という反応が帰ってくる。
最近はこのステレオタイプに強い不満を感じるようになった。
職場の条件はさまざまだから職責者と一くくりにできない不均一性がある。職場によっては、職責者といっても職場運営の担当者にすぎず、職場の動力は別のところにあることも多い。
現場の力学を良く知っていれば全く別のアプローチがあるはずだ。少なくとも職場の条件の偶然性が相当左右して決まっている職責者以外は教育から排除しよう、あるいは職責かどうかで教育機会を差別化しようという気にはならないはずだ。
今年の総代会で初めて職員総代枠を作って、職員の中での立候補・選挙の手続きで職員総代を選出した。
それで選出された職員総代の一人は「これまでずっと最初から職責と新人だけが総代会にオブザーバー参加するものとされて勤務表が作られてきたので、この制度でようやく医療生協がどのようにものを決めるのか実感できた。二十年間参加してみたいと思っていたのに参加の権利を奪われてきたように思う」と語っていた。こういうことはあまり起こらないほうがよい。

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2019年7月 9日 (火)

反省

十年単位の長い間、特に支障なく1対1で診察してきた人が高齢になり動きもおぼつかなくなると、より若い家族が特に挨拶もせず一緒に診察室に入ってくるようになる。
診察室の主導権がその家族に移って一方的に喋られるが、僕はこういう事態があまり得意ではない。
自分自身の教育の仕方の失敗だが、突然現れる家族との接し方の枠組みが自分の中にないので、早めに闖入者のいる診察を閉じたいという気持ちになり診察もおざなりになりがちである。
あの時家族がいなければ、いつものようにきちんと診察できて失敗しなかったのにという思い出がいくつかある。家族の示唆に助けられたことは忘れている可能性が高い。
患者の生活が新しい段階に達しステイクホルダーが一人増えたのだからきちんと対処しよう、できればその事態には真っ先に気づいて自分のほうから家族に話しかけようという気持ちにならなければいけない。そのように自分を再教育しないと。
できれば診療報酬も増やしてくれたら文句はな

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日記

昨日の昼間に迷った末に気管内挿管して人工呼吸始めた人が、深夜に消化管出血、酸素飽和度測れず、下肢からチアノーゼが始まっているというので駆けつけてなんとか対処して午前3時頃帰った。
当直医だって置いているのに、この主治医優先という自分の意識はなんとかならないかと思いながら、今朝の満杯の予約外来をこなしていると、しだいに現実との間に膜がかかるような感じに。
これを離人感というのかな。
だが機械的に大半は儀礼的な仕事をこなしていくにはこういう状態になったほうが楽である。
外来診療のあり方も何もあったものじゃないが、何かの無意識的な防衛策であることは確かだ。

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