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2018年3月 1日 (木)

海軍特別年少兵

広島で一人暮らしをしている父親は、昭和4年(1929年)生まれで、14歳で海軍に入り、山口県防府市の通信学校を経て呉軍港に配属される。そこで「この世界の片隅に」に出てきたような大規模空襲に遭遇したり8月6日のキノコ雲を見ることになる。その話しは子どもの頃から聞かされてきた。

14歳で海軍に入るとなると「海軍特別年少兵」制度しかない。
これには数千人が集められ、その死亡率は約5割だったという文章を読んで、その中で父親が生き残って、僕が生まれたということが何か特別な気がして、父親に電話してみた。

「いや、そんな制度は聞いたことがない」
「だったら、どういう制度で14歳のお父さんは兵隊になれたのかね」
「さて、何か名前がある制度だったかどうか」

ここで僕は父親の記憶力に大きな疑問を持って焦ったのだが、考えてみれば、戦争の渦中にあった少年が制度の名前など知るはずもないし、敗戦以降は社会あげてそのことを忘れようとしてきたのであるから、父の反応も当然のことだった。

「そうか、半分も死んだのか、そりゃ残酷な話だ」

それで電話は終わった。

子どもの兵隊が日本にもたくさんいて、ろくな訓練もなく実戦に投入されて次々死んでいったことなど思い出す社会ではもうない。
そのことを追体験しようと思う人には、宮本百合子の小説「播州平野」がおすすめである。解放されて、襤褸の塊になったような彼らの一群が広島方面から大阪方面に歩いている姿が衝撃的に描写されている部分がある。

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コメント

こんにちは、特年兵については検索しても映画ばかりがヒットするばかりであまり知られてない制度ですね
以前特年兵出身で通信兵として空母千歳にのりマリアナ沖とエンガノ岬沖海戦に参加され千歳沈没後次に雲龍に配属になり2度も泳いだ方と話す機会がありました
2度も泳がれたんですか大変だったですねと言うと、その方は笑いながら昔の事はほとんど忘れましたと言われてましたね
ただ今でも思い出されるのはタウィタウィ泊地に勢揃いした艦隊の美しかった事だけは忘れませんと言われてました
苦しかった事や辛かった事は早く忘れたかったんでしょね

投稿: 最西端 | 2019年6月30日 (日) 09時07分

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