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2018年2月16日 (金)

私とスキー

ラッカーが剥がれたスキー板の裏には雪がベタベタくっついてくるので、夜はストーブのそばで銀ロウを厚く塗るのが日課だった。

それでも数回滑るとそのロウは全部剥がれて効果がなくなる。

嬉しいのは、晴れた夕方、踏み固められた雪の斜面が凍って硬い一枚の板になり、滑るとガラガラという音がしながらいくらでも加速がつき、どんな怪我をしてもいいからこの急斜面をまっさかさまに落ちて行こうという気になる時間帯だった。

子ども用にゴム長で履ける金具の着いたスキーを地元の工房が作っていて、長くそれを使っていたが、小学校3年の誕生日にスキー靴と、なぜか「カンダハー」という名の大人用の金具の付いた中古スキーをもらったのは鮮明に覚えている。よほど嬉しかったのだろう。先頭が丸い小さな球形で板の背が山形になっている、まるで戦前のもののようなスキーだった。

5歳ごろの誕生日のために母がスキーを注文したと僕に嘘をついたことがあって、僕は毎日スキー工房に「僕のスキーはできた?」と聞きに行っていた。
それが嘘と分かったのは、誕生日の夜に、スキー工房のオジさんが「坊ちゃんが毎日聞きに来なさるので作りました。お祝いに上げて下さい」とスキーを持ってやって来て、母が恐縮して「そんな、すみません、お代を払います」と裏口で言いあっていたのを聞いたからである。今考えてみると、それは戦前の地主ー小作関係がまだ心理的には続いていた背景の中の出来事だった。

そう言えばゴム長スキーの前は、ゴムタイヤの切れ端を板にくっつけてつっかけのように履くスキーを祖父が作ってくれていた。それを履いて雪に覆われた田んぼの上に立っている2歳の僕の写真が残っている。

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