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2016年5月16日 (月)

「日本文学史序説」抜書き

「日本文学史序説」の「あとがき」で加藤周一さんは次のように書いている。

「文学作品は、それ自身で完結した一面をもち、歴史を超越する面を含む。文学は、時代の文化の一部分であると同時に自己完結的な、歴史であると同時に超歴史的な現象である。

著者は、文学史においては、文化の一部分としての文学作品の歴史的な面に注目し、個別的な作家や作品を詳しく論じるときには、その自己完結的な面を強調して、歴史を超える面に及ぶのである。」

そこで、加藤さんが具体的な作品についてどう述べているかを抜書きしてみたい。

自分が読むときに参照するためだから、明治以降で加藤さんが高く評価しているものに限る。太宰治のみ別。

*中江兆民

兆民が喉頭癌で死んだとき、彼には金も、地位もなく、あったのは、ただ、その叛骨と明晰な思想だけであった。

兆民はわれわれに二つの不朽の作品を残している。『三酔人経綸問答』(1887)であり、もう一つは『一年有半』(1901)である。

『一年有半』は、死に臨んだ男が、自分の病の進行を客観的にほとんど臨床医の冷静さで、記録しているという点でも実に驚くべき文献である。

*柳田國男

青春の柳田の裡に生きていた詩人は、88歳の最後まで死ななかった。そういう文章の特徴は、一方では、柳田の著作をおそらく明治以後の日本の「随筆」の最高の傑作の一つとした。たとえば『雪国の春』(1928)や『木綿以前のこと』である。

*夏目漱石

『明暗』は、その心理小説としての迫力、その必要にして充分な叙述の文体の完成度は、それ以前の漱石の小説のすべてを抜くばかりでなく、また明治以後今日までの日本語の小説でおそらくこれに匹敵するものはないだろう。

作品は未完であった。しかし『明暗』の漱石は、日本の心理小説が到達した最高の頁を書いたのである。

*島崎藤村

おそらく藤村の父には近親相姦があり、母には姦通があって、おそらく藤村自身はその結果の子であり、藤村の父と姉は狂人になった。

その最初の小説(『破戒』)は稚い。しかし、『夜明け前』は日本の小説家が書き得たもっとも壮大な叙事詩の一つであろう。

*河上 肇

『自叙伝』

河上は、日本近代文学史上の自伝または自伝的な作品のなかで、おそらくはもっともすぐれたものの一つを書いた。

それは知的な小器用さの反対のものである。そしておそらく一個の人間の劇として感動的なものでもあるだろう。

*野上弥生子

遂に『迷路』を書く(1936~56)。30年代初めのマルクス主義運動の渦中にあった主人公の青年とその周辺を詳細に描いて、太平洋戦争の前夜に及ぶこの小説は、一世代の日本の知識人の内面史として、おそらく比類のない作品である。

天皇制を、一方では、マルクス主義の立場から、他方では、徳川体制のたちばから、挟撃して相対化して批判するという仕組みである。

その意味でも、日本近代文学史上の一つの記念碑と考えることができる。

*木下杢太郎

その散文の背後に、一世代の日本の知識人の到達しえたもっとも包括的な、おそらくはもっとも斉合的な、詩的かつ知的な世界が成立していた。

その世界こそは、日本帝国が崩壊しつつあったときにも、決して崩れなかった。

*太宰治

国家権力が天皇を神格化したように、権力の批判者は共産党を神話化する。あとには勇気の問題、あるいは当事者の倫理の問題だけが残る。

太宰の「人間失格」とは、実は「共産主義者失格」ということである。

*大仏次郎

『天皇の世紀』は歴史であるばかりでなく、また歴史文学としても画期的である。

一個の文学作品として、日本文学史上、これほどの規模と深さを兼ね備えるものは、おそらく少ない。

*宮沢賢治と中原中也

早くから「春と修羅」を愛読していたという中原中也は、宮沢賢治と共に朗誦に耐える現代日本語の詩を書いたという点で、画期的な詩人であった。

*石川淳

「マルスの歌」(1938)

日本の小説家が日中戦争について書いたもっとも鋭く、もっとも正確な文章であったろう。

*大岡昇平

戦後20年以上経って、大岡昇平は『レイテ戦記』という『平家物語』以来の戦争文学の傑作を作った。

*鶴見俊輔

日本語で抒情的な散文を書くことは、あまりむずかしい仕事ではないが、日本語で思考する文体を作ることは、誰にも容易でない。鶴見の文章は、明らかに現代日本語の散文への貢献である。

*井上ひさし

喜劇『しみじみ日本・乃木大将』(1979年初演)は、おそらく、日本の舞台でかって演じられたもっとも痛烈な明治天皇制批判である。

*大江健三郎

彼ははっきりした拒否の意思を示す。その拒否は、どういう積極的な価値に由来するのか。それはおそらく平和であり、樹木であり、生命の優しさでもあるだろう。たしかにそれこそは、もし文学者が語らなければ、誰も語らないだろう壊れ易いものである。

・・・こうしてみると、明治以降の日本の小説の中で最高のものは野上弥生子の『迷路』ということにおそらくなるだろう(ここは僕の意見)
ところで、肯定的な評価については、かならず「おそらく」という限定が付いているのが共通している。

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