被災地の振り返り
まったく私的な振り返りに過ぎないが、被災地に出かけた2回の経験を比べてみよう。
2011年3月の宮城県松島町・東松島市での経験は、周囲の医療機関が完全に機能を失って、かつ他の医療支援チームも十分には来ない中で、避難所にいる人たちの薬物治療継続に目標を限定したようなものだった。
可能な限り自分の病院から持ち込んだ降圧剤や胃薬、抗痙攣薬やインスリン、鎮痛剤その他をなるべく長期処方して行った。そして薬が底をつく頃に帰った。そんなことに意味があったかどうかはいまだに分からない。睡眠導入剤を多くの人に処方したのは軽率だったと反省している。
現地の民医連には宿泊と避難所までの運搬をお願いしただけで、内容は統制されない我流のものだった。
今回の2016年5月の熊本での経験は完全に民医連の組織の統制のもとでの活動で、十分に機能している急性期病院の外来診療の補佐に限定されていた。
その病院の電子カルテ他のシステムに慣れればいいだけだったが、来院する患者さんの誰からも深い不安が感じられて、次第にこんな短期間でこの人たちから離れて地元の日常にこのまま帰っていいのだろうかという罪悪感のようなものが生じてきた。
問診に割く時間が比較的長く取れたことによると思うのだが、そのために現れる不全感が今回の特徴だった。
思い出すと、松島での場合にも一緒に行った看護師さんには罪責感のようなものは大きかったようで、帰途山形県鶴岡市の病院に寄り、慰労のため居酒屋に連れて行ってもらった時、久しぶりに食べたまともな食事を前に激しく嘔吐していたのだった。
ただ、今回は被災後の医療連携の変化、長期的な支援のあり方などに視野が及んだのは、組織の後方にいるという立場が背景にあったからだと思う。
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