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2016年5月11日 (水)

内田 樹「街場のメディア論」光文社新書2010年

急に何か内田 樹の本が読みたくなって、「街場のメディア論」光文社新書2010年を手にとってみた。

あまり期待はしていなかったのだが、これはメモしておきたいというところが何カ所かあった。

例えば、次のようなところは、「人間的発達のできる組織」としての民医連とも関係があるだろう。

「人間がその才能を爆発的に開花させるのは、『他人のため』に働くときです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸びる。

それが『自分のしたい』ことであるかどうか、自分の『適性』に合うことかどうか、そんなことはどうだっていいんです」

「他にやってくれそうな人がいない中で、『しかたないなぁ、私がやるしかないのか』という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。他ならぬ私が、余人を以っては代えがたいものとして召喚されたという事実が人間を覚醒に導くのです。

宗教の用語では、これを『召命』(vocation)と言います」

そして、災害多発時代の今、次のような言葉も印象的である。

「人が『無意味』だと思って見逃し捨てて行きそうなものを『なんだかわからないけれど、自分宛ての贈り物ではないか』と思った人間は生き延びる確率が高い」

「それは言い換えれば疎遠な環境と親しみ深い関係を取り結ぶ力のことです」

「世界が広がっているのを当然のことと考えるのでなくて、『絶対的他者のからの贈り物』だと考えて、それに対する感謝から一日の営みを始めること、それが信仰の実質である」

「信仰の基礎は『世界を創造してくれてありがとう』という言葉に尽きます」

「今遭遇している前代未聞の事態を『自分宛ての贈り物』だと思いなして、にこやかにかつあふれるほどの好奇心を以ってそれを迎え入れることのできる人間だけが危機を生き延びることができる。」

 

・・・これは、しかし、ごく当たり前の人生訓のようでもある。

「逃げたいことにぶつかって行ったときの成果はたいていの場合大きい」

「どんな危機も気の持ちようでよい方向に変えられる」

とたいていの人が言ってきたことの内田版なので多くの人に受け入れられやすいだけかもしれない。

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