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2016年4月 7日 (木)

マイケル・マーモット「the Health Gap」序章(2)

僕にとってのDamascus moment(註:使徒パウロがダマスカスでキリスト教の弾圧者から信者になったことに因んで「改心の日」の意味)はシドニーにあったのかもしれないが、エビデンスを集める旅はバークレーで始まった。レオナード(レン) サイムと言えばまだバークレーにいる。
僕があんまり変な質問を連発するので、シドニーの指導者は僕をそこに追いやったのだが、1960年代の学生反乱の経験の直後のバークレーは変な質問をするにはいい場所だとも考えたわけだ。実際にサイコーの場所だった。

バークレーでサイムはこう言って僕に衝撃を与えた。「お前は医学の学位を持っているが、それで健康が分かるってものじゃない。健康がお前が見る通りの偏りをしている理由を分かりたけりゃ、社会を知らなきゃいけない。俺はずっとそれに苦労しているんだ」

僕のアメリカ人のある同僚は朝食にスクランブルエッグを食べるのを楽しみにしていた。彼はストレスが健康に与える影響を研究していたが、脂肪が多い食事の害を否定していなかったので、卵道楽は日曜日の朝だけにしていた。ある日、彼が卵のカートンを開けると印刷された紙が入っているのが分かった。錠剤の入った箱のような小さいもの。貧しく絶望した魂よ、僕ら活字の虫よ、今でもその紙は卵のカートンの中にあって、読むことができる。
その紙は彼にマーモット氏のカリフォルニア日本移民の研究を発見させるための陰謀だったのだ。1970年代の研究で、コレステロールは心臓に悪くない、ストレスが一番悪い、悪いのは食事ではないと書いてあった。
いやはや。

僕はもちろんマサチューセッツの研究者がたった卵のカートンの中に入っているもので朝食時間いっぱいかかって僕の研究について学ぶことができたのを喜びにする。
それ以上に宣伝文句を考える人が正しく理解したことの方が嬉しい。もちろんそこにはちょっと複雑なものもある。二つのアイデアを同時に頭の中に保持する能力が必要なんだ。しかし、卵のカートンの宣伝員にはそれができたに違いない。

日本人移民が太平洋を渡って来た時、彼らの心臓病発症率は上昇し、脳卒中発症率は低下した。僕がこれでバークレーの博士号が取りたかったって?そうとも!すごい自然実験じゃないか。もし君がある病気の遺伝的、環境的寄与を分類しきろうとしているときに、ここに、多分同じ遺伝的な生まれつきで、違う環境で生きた人々がいるんだよ。ハワイの日本人は日本にいる日本人よりも心臓病発症率が高いが、カリフォルニアの日本人はハワイの日本人よりさらに高率だ。白人のアメリカ人はもっと高い。

これは恐るべきことだ。君はこれ以上に誰もが納得するような環境の健康に対する影響を評価する良い実験をデザインできるかい。最もありそうなことは、病気の発症率が変化することは文化や生活様式についての環境に関連した何かを僕らに示しているということだ。生活がアメリカ化するということは心臓病につながる、逆に日本の文化は心臓病を防いでいる。しかし、そのことは実践上は何を意味しているんだろう?

当時の伝統的な知恵は、今でもそれは生きているが、脂っこい食事が犯人ってやつだ。実際に僕はまさにそれを言っている委員会の議長になったんだからね。日系米人はいくらかアメリカ化した、伝統的な日本食より脂質の多い食事をとっていたから、日本の日本人より血漿コレステロール値が高かった。食事とコレステロール高値は心臓病発症率を高める役割を果たしそうだ。おまけに、血漿コレステロール値が高ければ高いほど心臓病のリスクも高いと来る。だったら、卵パッケージに入っていた紙片は終わりだ。アイデア1を見逃した。そう言われることは僕にとって実に遺憾だ、しかし伝統的な知恵もいつも間違っているというわけではない。

今アイデア2がある。日系米人は故国の日本人より背が高く肥っていて、ハンバーガーが大好きだ、しかし、彼らの家族や友人との付き合い方は、より緊密な日本文化の方に、より社会的に地理的に移動しやすいUSの文化よりも似ている。

それは面白い、しかし健康にとって重要なことか?
いかにも日系米人らしい名前の日系米人社会科学者であるスコット・マツモトは 日本文化の凝集性はストレスを減じる強力なメカニズムだと推察している。
このストレス減少が心臓病を防いでいる。僕はストレス研究を転換させてしまったそのアイデアが格別好きだ。プレッシャーのもとにいることがいかに心臓や血管を損ないきるかということを見ないで、人々の社会的関係がいかにポジティヴで支持的かに注目する。

僕ら人類は噂話をし馬鹿話をする。猿はグルーミングをする。もしもだ、人類にしろ、非人類の霊長類にしろ、僕らが相互に助け合うとしたら、それは内分泌環境を変え、心臓発作のリスクを低くするだろう。

これがもし本当なら、僕が思うに、ハワイの日本人はカリフォルニアの日本人より文化を維持している点でより好条件にある、だからハワイの方が心臓病発症率が低い。もっともな推察だと思うが検証はしていない。
カリフォルニアの日系米人についてはもっと直接的にこの仮説を検証するデータを僕は持っている。日本文化により深く巻き込まれ凝集した社会関係を持つ日系米人男性は、日本文化的でなくアメリカ的生活様式をより取り込んだ日系米人男性に比べ心臓病の率が低い。それが僕の発見したことだ。そして、その研究成果がおそらく卵のカートンがその「ニュース」を手に入れた源なのだ。

文化と社会性でより日本人らしさのあるカリフォルニアの日系米人男性が明らかに心臓病から守られているということは食事のパターンや、喫煙や血圧や肥満からでは説明できなかった。(註 日本文化的かどうかで2種類に分けられる日系米人グループの間には、食事や喫煙、血圧、肥満の差がなかったことを意味する)
文化の効果は食事や喫煙というありきたり原因の代理指標ではなかったのだ。(註 それが独立して原因になる)

そこで二つのアイデアについて。伝統的な知恵は正しい。喫煙や食事は心臓病の重要な原因だ。そして、一方も正しい。伝統的な知恵にも制約がある。別のことも起こっているのだ。日系米人の場合、それは文化的に日本的であることによる防護効果だった。

この本を通じて君に示したいことはどれも単純な主張だ。病気の原因についての伝統的な知恵は正しい、しかし制約がある。例えば富裕な国では ある個人が病気になり、別の人はそうはならないのは何かについて僕らは随分のことを知っている。喫煙習慣、食事、飲酒、運動不足、さらに遺伝的な体質ーこれらを伝統的な知恵と呼ぼう。しかし、配偶者から感情の上で虐待されていたり、家族の揉め事があったり、失恋したり、社会の片隅に追いやられたりしたら、それらはすべて病気のリスクを高めるのだ。だからこそ、人の支えがあったり、みんなで集まる社会的グループは防護的なのである。
もし僕らが健康や病気が目の前にあるような偏った分布をしているのはなぜかを理解したければ、僕らはこれらの社会的原因について理解しなければならない。 まして、それを何とかしたいというのであればなおさらのことだ。

British Civil Service 以下イギリスの公務員制度は僕の人生を変えた。全然ロマンティックなものでなく、公認会計士からちょっと儲け話を吹き込まれたようなことなんだけどね。

女王陛下の忠臣の規則正しいペースと注意深いリズム(註 逆、これじゃ仕事にならない)は僕の仕事にどうしたって深い影響を 与えないではおかなかった。うーん、公務員組織の実際面での保守主義というだけでなく、僕らが発見した健康パターンのドラマだよね。不平等が真ん中にあるな。

公務員制度はドラマチックとは真逆だよね。我慢して話を聞いてくれる?長官との会議に招待されるとするね。考えてみて。それは階級制度による審判trial(註 カフカの小説「審判」の英語題名)だ。君がビルに到着する、すると誰かがドアを守っている。警備員の一員だ。君のカバンをチェックした人物がセキュリティ・ゲートを通してくれるだろう。

事務補助官が君の名前を確かめて5階のオフィスに電話する。上級の事務官が君を5階にエスコートしてくれるね。
そこでは長官補佐が出迎えてくれるわけ。同席する予定の技術職、医者と統計屋だね、これはもう来て待っている。
それから大物の男、あるいは大物の女の野心的な次官が「リチャードやらフィオナやらは間も無くいらっしゃる」と言う。

そしてついに君は密かに研究していたことが今や公になる本物の駆け引きに案内される。最後の10分で公務員制度の階段を登る旅を完成したというわけだ。その旅は誰かにとっては一生かかるんだ。

警備員、事務補助官をすり抜けて、管理職クラス、専門家、次官そして頂上すなわち長官だ。ここまでのところは退屈至極だ。民間の保険会社も全然違わないんだけどね。

官僚組織のこの階段の驚くべき性質は健康マップをそれに重ねるとピッタシ一致することだね。
底の方、つまりドアのところにいた男は一番健康状態が悪い。平均しての話だけど。それからだよ、僕らがあった人物はみんな一つ上の階段にいる人より健康が悪く余命が短いのさ。逆に下の段にいる人よりは良い。健康は位によるんだ。

僕らの公務員の死亡率についての最初の研究は 1978年から1984年だったのだけど「ホワイトホール研究」って言います。対象は、不幸にも全員男性だったのだけど、一番底にいる男性は頂上にいる男性の4倍の死亡率だった。ある時の特定の期間に4倍も死にやすかったということなんだ。

底からトップに向けて健康は確実にランクごとに良くなっていく。この社会的地位と健康の関連ーランクが高ければ、健康も良いーを僕は健康の社会的勾配と名付けた。
この勾配の原因の研究をすること、こんな健康の不平等の政治的意味の秘密を探り出すこと、そして変革を唱えること、これが、それからの僕の仕事の中心になり続けたんだ。

ようやく僕は知的に地理的にもちょっと回り道してホワイトホール(註 イギリスの霞が関)にたどり着いた。

君は公衆衛生には興味がないかもしれないけど、それともちょうど興味を持ったとこで、そして、貧しい国では有病率が高くて、人々が富裕な国に比べると若いうちに死んでしまうことに気付いていないかもしれない。間違いなく貧困は健康を破壊する。だが富裕な国には貧困はないのだろうか。
その問題は1970年代のUSでは隙間に落ちていた。結局USAは自分自身を階級のない社会だと考え、健康や病気の率に社会階級間の差はありえないってことにしたんだ。ね。間違ってるよね。完全に間違った伝統的な知恵の一端だよ。

本当のことはかってのソ連のサミズダート(地下文書)のようにわずかな数だけ印刷した論文の形で手渡しされていた。そのうちの一つはレン サイムと僕の同僚リサ バークマンが書いたものだ。リサは今ハーバードにいる。
USAでは社会的不利を背負った人々は健康の悪化に苦しんでいた。しかし、それはみんなの関心からは遠く離れていた。人種や民族特性が関心の大半を占めていたんだ。階級と健康なんて真面目に研究するものじゃなかった。不平等と健康は完全に問題外のことだった。資本主義の害悪について書いている、たった数人の先駆者を除けばね。

もしこの惑星に社会階級差に気づき、健康の社会階級間の違いを研究している国があるとすれば、それはイギリスだ。そして、もしイギリスの中に社会の階層化が際立ったところがあるとすれば、イギリスの公務員制度だ。ホワイトホールって名前で有名だ。

バークレーから我が家に僕は帰って来た。ここのところはちょっと説明が必要だ。生まれはノースロンドンなんだよ。家族でオーストラリアに渡ったのは4歳の時だった。それからシドニーに住んで、数年は街の通りでクリケット遊びをやったりしながら学校のディベートチームで演説し、医学を学んだ。そしてカリフォルニアのバークレーに送り出されたってこと。

ロンドンの熱帯医学研究所で疫学の教授だったドナルド・ライドが僕に来ないかと誘ってくれたんだ。もし僕が安い賃金でも我慢して、他の場所(ハワイやその他だね)で研究するチャンスも諦めて、研究資金が乏しくても、知的な議論だけはとびきり熱い所で働きたいなら、ロンドンはそういう場所だと勇気付けてくれた。どうしてこんな魅力的なオファーを断られるだろう。ドナルド ライドは「ロータスランド」つまりなんでもやりたい放題のところにいる君が心配だと言った。バークレーのことだね。めちゃ面白い。彼はスコットランドの長老教会派で僕の暮らしがうまくいくとはちょっと思えなかったのだ。ロンドンの生活はまさにそうだった。1976年のイギリス経済はIMFによって苦境を脱したばかりだった。破滅感がはびこり、労働党政府はよたよたと断末魔に近づき、まるで明日は来ないかのように公共支出を切りまくっていた。僕らはうまくやっていけるかどうかわからなかった。

しかし、ロンドンに来て6カ月後(僕は1976年10月に着いた)、日が照って、みんながウールのセーターを脱ぎ、道路が乾き上がり、花々が咲いたのを見た。僕はカリフォルニアに残してきた友だちに毎日手紙を書くのをやめた。そして、ドナルド ライドが約束したものを楽しみ始めた。それは苦しい生活なんかではなく特権だった。


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