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2016年4月30日 (土)

行動や生活様式が遺伝子(の発現の仕方)を変える

10歳のころの初夏の夕方、30歳を過ぎたばかりの父親が興奮して帰宅して、母親に「わかったぞ、人間は言葉で考えているんだ、言葉でしか考えられないんだ」と告げていたのを覚えている。

それから50年以上たって、64歳の僕は、少なくとも自分は言葉で考えているのではないと思うようになった。だいたい大抵の人や物の名前は忘れているから言葉で考えているとは言えないだろう。それは冗談としても、何かをぱっと思いつくまでは、ひたすら重苦しい雰囲気の中にいるだけである。しかし、それは何かを思いつけば消えてしまうので、やはりそれこそが考えている状態だと思える。

患者さんを診察して診断しようとしているときも最初は言葉で考えてはいない気がする。未解決の問題の中におかれている重苦しい雰囲気だけがあって、そのうち突然ある病名が浮かんでくるのである。その時は、その直前の重苦しい雰囲気は消えている。

そのさい言葉は考えたことに形をあたえているだけである。もちろんいったん形が与えられるとそこからさらに考えは深まるので、その時は言葉で考えていると言える。

チョムスキー「我々はどのような生き物なのか ソフィア・レクチャーズ」岩波書店2015年の第一講演 「言語の構成原理再考」を読んで、言語が7万5千年前突然発生したと教えられた後、昨日は雑誌「現代思想」2016年5月号 特集「人類の起源と進化」が届いた。なんという偶然だろう。

冒頭の諏訪 元+ 山極寿一 「プレヒューマンへの想像力は何をもたらすか」をまず読んだが、そこにも似たようなことが書いてある。

60万年前すでに人類の脳は今の大きさに達していて、手振り、身振り、目配せなど豊富なコミュニケーションはあったと思われる。言語を理解する能力はチンパンジーの「アイ」や「カンジ」でも証明されているので、音声を使って言語を話す能力ができる以前にそれとは別個に、言語を理解する程度の高度な思考力はすでにあった可能性が高い。 しかし、言語がなかったので文化の蓄積ができなかった。

言語と等しい意味の最初の象徴的な図は、南アフリカの突端にあるブロンボス洞窟に現れる。これが7万5千年前である。全く同じ大きさの脳の働きがこのあたりからすっかり変わる。

しかし、問題はここからである。エピジェネティクスという言葉もあるが、ラマルクの進化論や今西の進化論が再び注目されているらしい。 行動や生活様式が変わると、同じ遺伝子でも発現の仕方が変わる。

そうして後天的な行動や生活様式の変化が遺伝的に保存され、ある一定の方向に強化されるということをそれは主張している。 言語がいったん出来上がると、それが遺伝子の発現の仕方を変える。そこで言語は生得的な能力になる。

思考力=普遍文法は言語に先行し、7万5千年前に思考と音声との結びつきが出現して言語になる、ここまでが生得的である。具体的な単語は後天的に与えられる。

山極さんたちが心配しているのはその先である。資本主義的な市場やコンピューターに向かい合うことが常態化した生活は、人間にどのような遺伝的変化を及ぼすのだろう。社会的な協同性を失って、ひたすら攻撃的なものになってしまうのではないだろうか。

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