「坊っちゃん」も相当暗い話だ
昨夜、TVをつけたら、「母と暮らせば」に出ていた二宮和也の主演で「坊っちゃん」をやっていたのでつい見てしまった。
そこでふと気づいたこと。この作品の時点でも、ロンドン時代に始まっていた漱石のスパイ被害妄想があったのではないかということ。
教室の黒板に前日食べた団子や蕎麦の詳細が生徒によって暴露されるというのは、田舎町ではそういうこともあるかもしれないと思って見逃しやすいが、スパイされているという漱石の妄想だった可能性が大きい。
恋愛の形式にしても妨害がなければ成立しないという、「こころ」「それから」「門」を貫く漱石の原則はこの作品でも現れている。
けっしてカラッとした青春ドラマなどではない。
そして清との関係こそ、幼少期に養子に出され孤児感覚を持ち続けた漱石が女性に求めたものの原型だということも明らかで、ある意味坊っちゃんと清の恋愛物語だということになり、思い切って清を坊っちゃんと同年齢に設定してみたらそれが分かっておもしろいのに、と思った。
*その後、思い出すと2014年の年末も漱石の「坊ちゃん」のことを僕は書いている。これが、今日の感想の下敷きになっている。
『・・・・・小森陽一「漱石を読みなおす」ちくま新書1995
http://www.amazon.co.jp/%E6%BC%B1%E7%9F%B3%E3%…/…/4480056378
を開くと、漱石の文学的出発が失意の中で死んだ文学上の盟友・子規を見捨てた罪悪感によるものであることが強調されていて感慨深かった。
それはなんだか年末の今日にふさわしいような気がした。
漱石=(徴兵逃れのための外地・北海道岩内町への)「送籍」という筆名の由来にしろ日清戦争の中に死地を求めるように従軍記者として赴いた子規への負い目の表現だし、「坊つちゃん」を書いた動機もまた子規に強く関連している。
「坊つちゃん」の最後に「気の毒な事に肺炎に罹って死んでしまった」とのべられる女中・清は実は子規のことだった。』
子規は漱石のロンドン留学中に死んでいるのだが、漱石と子規の友情物語の舞台は松山でしかありえないのだろう。
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