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2016年1月29日 (金)

雑誌 at プラス24号(2015/5)  柄谷行人「Dの研究」

なんだか松本清張の小説のような題であるが、面白い推理が展開されているという点で似通っている。

最初に思ったのは、沖縄の民意を踏みにじる中央政府が立憲主義破壊の弾劾を浴びることでもわかるように、地方自治体が国家に対して独立性を持つことは立憲主義と民主主義双方の基礎だが、その特徴はこの文章で触れられているルイス・モーガン「古代社会」の中に出てくる[氏族社会では下位集団が上位集団に対して独立している]ということに等しいということだ。

氏族社会では意思決定は全員一致が原則の評議会でなされるが、評議会は下位集団の代表で構成される。

氏族社会のこういう特徴のより高次な形態での回復が共産主義だとすれば、地方自治の中には共産主義の萌芽がある。 真の地方自治に等しい地域包括ケアに僕らがこうも惹かれるのはそういうことなのである。

別の言葉で言えば、地方自治体には氏族社会の名残がある。原理は互酬である。

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