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2016年1月30日 (土)

2016.1.30 医療生協理事会あいさつ                

1月も終わりとなりましたが、一応新年のご挨拶を申し上げます。 今年もよろしくお願い致します。

昨年末の日曜日に、一応毎年続けている「年越しの何でも相談会」を開きました。下関の歯科診療所や、宇部の井筒屋裏の公園でもやってきたのですが、今年は見初小学校裏の、市営住宅の公民館を会場にしたところ、なんと相談者実質ゼロに終わりました。

これは私たちの運動が空回りしていることを象徴しているのではないか、何とかしなくては、それには自治体との協力が欠かせないと思って、1月17日に宇部市の高齢福祉課を馬場専務、森常務と一緒に尋ねてみました。

実はそこでぜひ言っておきたいこともあったのです。(資料①「幸手モデル」-野田作成)

それは、地域包括ケアは、絶対に「住民が中心の地域包括ケア」でなくてはならないということです。

そのためには市内各所で満遍なく「暮らしの保健室」を開催してくれる住民のリーダーを作り上げなくてはならない。それをコミュニティ・デザイナーと呼ぼう。

それが出来上がったら、「暮らしの保健室」にはやって来れない人たちの人たちとの間の信頼関係の構築のため、町の一軒一軒を訪問して行う地域診断も平行して行う必要がある。   

住民の力で進める「暮らしの保健室」と「地域診断」が両輪になって「住民中心の地域包括ケア」が進むのだということを説明しました。 応対してくれたのは、部長と宇部市役所の32人の保健師のトップの斉藤さんと言う人でしたが、宇部市も似たような形は整えつつあることが分かりました。 単なる地域包括ケアではなく「『支えあい』地域包括ケア」をめざすといっていました。

しかし、これはよく考えると、まだまだ行政中心の地域包括ケアに「市民が参加する」といっているレベルです。市民が中心ということではない。

また保健師と社会福祉士がペアになって「地域診断」もやっています。宇部協立病院がある宇部南部ブロックの地域診断の結果を見せてもらいましたが、ある貧しい地域には要介護者が多い、またある地域は買い物難民が生まれている、また別の地域には公共交通がないなどという問題点は正確に見つけていました。

しかし、これも住民が中心になって、有償ボランティアなどという形で調査に参加していないので、それをどう解決するかを住民が話し合う場を持っていないのです。これではせっかく問題は見えても、それをきっかけにした地域コミュニティの形成が望めません。

「暮らしの保健室」に似た「まちかど保健室」も考えているとのことでしたが、そこを運営するリーダー、正確に言えばコミュニティ・デザイナーを見つけるという姿勢がないので、実のところどうしていいか分からないという状況でした。

お寺のお坊さんや喫茶店、理容院、美容院のご主人、町工場の社長など場を提供できそうな人に、空いた時間に月に一回「暮らしの保健室」を開きませんかと話しを持ちかけるというアイデアは持っていないのですね。

ここは、やはり医療生活協同組合がイニシャティブを発揮して、行政にモデルを示す必要があると思いました。もちろん一緒にやる形が望ましいのですが、私たちが積極的に運動のあり方を提案する、行政が応じようが応じまいが必要なことはするという決意が必要だ、それをすれば行政のほうが後からついてくるだろうと思って帰ったことでした。

これについては、「住民中心の地域包括ケアの形成」にしっかり照準を合わせた、医療生協の組合員活動を今年はぜひ深めるべきだということを結論にさせていただきたいと思います。

そのうち1月23日の「平和フェスタ2015」の日がやってきましたが、ご存知のようにそれから3日間は大雪でした。 みなさんも大変お困りだったと思いますが、僕としては医療生協のありかたについてひとつアイデアをもらった出来事がありました。

もとは当会の職員で、その後一時期地方自治体の議員をしていた藤津章智さんという人がいます。ご存知の方も多いと思いますが、大病の後いま在宅酸素療法をしながら生活しておられます。 その藤津さんが24日-26日の雪と寒波のため住んでいる長門市で大規模な断水がおき、入浴ができなくなって市役所と交渉した記録を読んだことです。 ご本人の許可をいただいて、そのままご紹介します。

『いま、市本庁の福祉課の方から電話がありました。

まず、市役所支所の所長に「僕は、酸素ボンベをいつも連れているが、断水で、お風呂に入れない。どうかしてくれないか?」という話をしました。 その回答としての福祉課からの電話です。  

「市の公衆浴場は、この断水の間、料金を安くして、対応しています。また、酸素ボンベの方も、受け入れています」 でも、この人は、酸素ボンベの事をよく知らないみたいで、現状を伝えました。

「持ち歩く酸素ボンベはホースが、あまり長くないこと、乾電池を使って機械を動かしています。ボンベをお風呂に持って入っても、正常に機能するか、濡れたりしたら大変という不安があります。」と。 「いくら受け入れると言っても、機械やボンベがダメになったら、それこそ命取りですから、酸素供給する設備のあるところ以外の入浴施設に行く事は、不可能かな。」という話をしました。  

これを書いている時に担当部長から、もっと様子を聞きたいという事で、話がありました。  詳しく説明して、こういうお風呂に行けない身体障害者は、市内に私だけではなく、いっぱいいるはずなので、福祉避難所的なものが今こそ必要なのではないかと伝えました。

そのためには、病院と協定を結ぶことも必要だと伝えました。』

障害をもった災害避難者を受け入れる「福祉避難所」というのは2011年の東日本大震災のときも話題になり、民医連の事業所もなるべく手挙げをしようという話になったような記憶が僕にもあります。

さっそく、宇部協立病院の事務長に病院は「福祉避難所」になっているかと聞くと、その言葉も知らないようでしたが、宇部市の状況を調べてくれました。宇部市は福祉避難所の協定を交わすのは社会福祉法人に限定すると考えているようで、医療機関とは一箇所も協定を結んでいませんでした。医療機関は福祉避難所になれないのかと事務長が聞くと、そういう決まりはないと答えたそうです。

しかし、藤津さんが貴重な指摘をしているように酸素配管その他の医療的な配慮が必要な障害を持った避難者が発生する可能性はどの災害においてもいくらでもあるわけです。

例えば、半分寝たきりの人などは、避難所でリハビリができなければ確実に数日のうちに寝たきりになります。避難所でのリハビリができるところ言えば病院しかありません。 病院も福祉避難所にしておくべきなのです。

比較的軽微の災害で一般の避難所は不必要でも、障害者は生活の困難に直面していて、福祉避難所の需要は大きいということがあるのではないかと思います。

その際には、職員だけでは手が回りませんから医療生協組合員のボランティアを大量にお願いするしかありません。 医療生協の病院という建物や機能を生かして、医療生協として災害にどう立ち向かうかという課題の意味は本当に大きいものがあります。

なぜなら、災害の被害はまさに貧富の勾配にしたがって貧しい人たち、弱い人たちに集中するからです。

私たちは「貧困や格差と闘う」とつねづねいっていますが、それが最も鋭い問題として現れるのは災害のときです。

逆に言えば、災害対策を徹底すれば、最も効果的な貧困対策にもなるということではないでしょうか。

「安心して暮らし続けることのできるまちづくり」というスローガンは行政に対して私たちが要求運動をしていけばそうなるというものでなく、私たち自身の自然や社会に対する関わり方の新しい姿を創造しなくては現実化の展望は生まれてこない、そうわかったときに医療生協と言うものは強力な資源になるということを、心新たに申し上げて、今年はじめの私のご挨拶としたいと思います。

熱心なご討議をよろしくお願いします。(議長指名)

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