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2015年12月 3日 (木)

地域包括ケアと小病院

こんな長いものを投稿すると常識を疑われるかもしれないが、僕自身の便宜のためなのでお許しいただきたい。

「今日はお話の機会を与えていただきありがとうございます。
最初にご指定いただいた当該領域での民医連方針の要領よい解説という課題は私の最も苦手とするところです。
これまでの方針を疑う、あるいは方針になかったものは何かと考えるのでないとモチベーションが起こりません。
そこで今回はテーマを「地域包括ケアの中の中小病院の医療活動と医師養成を考える」としたいと思います。

Ⅰ 総論

まず、地域包括ケアとは何かということですが、改めて二つの地域包括ケアがあるということをはっきりさせておきたいと思います。

政府側が地域包括ケアを提唱することによって進めたいことははっきりしています。高齢化で公費負担が拡大する介護保険、社会保障を思い切って縮小することです。要支援を介護保険の枠外に出したのはその第一歩です。

もう一つは医療と介護を一体化して商品化、市場化することです。国からの補助金つき優遇制度つきで10年間で60万戸建設予定のサービス付き高齢者住宅に大手不動産会社が競って参入しています。生活支援にローソンやクロネコヤマトが乗りだし、イオンがディサービスを展開しようとしているのはその一例です。さらに不動産資本が乗り込んで病院の所有と運営を分離することも解禁されました。

政府側の地域包括ケアの三つの図解がなされています。

厚生労働省によるものは一見中立的ですが、実は何も語っていないのでこれを穴のあくほど見つめても無駄です。

それに対して地域包括ケア研究会の植木鉢モデルは露骨なものです。ケアの基礎に自己責任をおき、今後商品化、市場化するものの順位を見事に描き出しています。

地域包括ケア研究会の中で最も若く今売り出し中の堀田聡子さんは、講演では我々の主張も取り込んだ折衷的姿勢を見せますが、その地域包括ケアの定義やオランダ・ビュートゾルフの玉ねぎモデルへの宣伝というコアな場面では、露骨な自己責任路線の主張を見せます。

彼女のいう 「地域を基盤とするケア×統合ケア=地域包括ケア」という方程式も「地域住民の動員×上からの統合/地域の自己責任」のことです。

上からの統合は4統合とされますが、私なりに図解するとこのようになります。中心は規範的統合、将来の目標は経営統合ということでしょう。規範的統合とは、自治体首長の強権ということです。

この二つの特徴から、この地域包括ケアが政府の新自由主義政策の柱になっているということができます。

ここで新自由主義とは何かという議論をしておくことが有益かと思えます。

デヴィッド・ハーヴェイによると、資本主義の外側が縮小して低成長に直面したグローバル資本が、その本国においてさえも改めて本源的蓄積を再開した、
産業資本による拡大再生産にもとづく蓄積の続行が困難になったので 、主として金融資本による略奪的蓄積を始めたということが新自由主義の本質と言うことになります。

日本共産党が、ルールなき資本主義と呼んだのも同じことです。

その結果は資本主義的経済発展には失敗したが、資本主義エリートたちによる権力奪回は成功したといわれています。

略奪的蓄積は高齢者の生活、介護というこれまで市場と思われていなかったところにおよび、そこを主たる舞台にします。そこでは、餓死、自殺、高齢者や子どもの保護の放棄などまさに本源的蓄積の頃の暴力的特徴が再現されています。

カール・ポランニーが、資本主義の始まりである17世紀イギリスの共同農地囲い込み運動を「貧者に対する富者の革命」と呼んだのと同じことがいま世界中で再現されているわけです。

これに対するもうひとつの地域包括ケアは「無差別平等の地域包括ケア」です。これは新自由主義的な地域包括ケアと全面的に真っ向から対決するものです。

図解すれば健康権に根ざして、自律と参加を必須とする大樹モデルの地域包括ケアです。

すこし広い視野から捉え直すと「プライマリ・ヘルス・ケアの一環としての地域包括ケア」と言えるのではないかと思います。上意下達のシステムではなく水平なネットワークを本質とする地域包括ケアです。

それはその他の領域の樹々とつながりあって森を作り、この森が相対的に健康権の成立となるのです。

地域包括ケアをめぐる闘争も、健康権をめぐる闘争なのです。

残念ながら、この地域包括ケアのより具体的な姿を示すにはまだ至っていないのが現状です。今後の実践的課題です。

そのためには、若干横道にそれるようですが、健康権と健康戦略の歴史をふりかえることが重要です。

健康権か健康戦略か
平等か公正か
・・・正義をめぐるセンとロールズの論争
全ての人に健康を保障することは正義の始まりだ 逆に健康はその社会の正義の達成度を測定する基準になる
健康戦略
プライマリヘルスケア1978
ヘルスプロモーション1986
SDHにもとづくヘルスプロモーション

いまWHOが推進しているのはリニューアルされたプライマリ・ヘルス・ケア で「プライマリ・ヘルス・ケアへの回帰」とも言われます。。

おそらく この新しい健康戦略は高齢社会や格差社会も念頭においているのではないかと思います。

これには三つの構成要素があるとされています

  ユニバーサル・ヘルス・カヴァレッジ
+人間中心のプライマリ・ケア
+全ての政策に健康の視点を  です。

「人間中心のプライマリ・ケア」が登場していることに私はもっとも関心を持ちました。このあたりに高齢社会、格差社会の課題の反映があるのではないでしょうか。

ただしユニバーサル・ヘルス・カヴァレッジを安倍政権が大宣伝していることに注目しておくことが必要です。
その具体的姿が最近民医連でも取り上げられることの多い「保健医療2035」です。
「世界に冠たる日本のユニバーサル・ヘルス・カバレッジ」式の言い方がなされていますが、まさに健康領域の大日本帝国再現のつもりなのでしょう。

この「健康権と健康戦略」と民医連の医療理念との関連では「合流」がキーワードになると思います。

結論から言えば
無産者診療所の精神と憲法との合流を第一段階とすれば
健康権実現運動との合流は第二段階です。

ここで地域包括ケアについて重要な別の視点の合流があることにも気付きます

障害者福祉の理念と医療理念の合流が地域包括ケアだという見方です。
それは医学モデルと社会モデルの合流から生活モデルが生まれるとしています。
しかし障害者福祉そのものが健康権の反映ですから、これは大きく言って健康権実現運動の理念的コアになるものと解釈できます。

これらの理念的背景を明確にすることによって、もうひとつの地域包括ケアの姿がより明瞭になると思います。

このあたり、まだ「群盲、象を評す」のレベルにとどまっているかと思うのですが、それでも、新しいプライマリ・ヘルス・ケアの一環として地域包括ケアがあることは感じ取られます。

そこで地域包括ケア研究会側の「ケア付きコミュニティ」というスローガンを180度転換する「ケアするコミュニティへ」というスローガンも考えてみました。当たっていると思います。

Ⅱ各論-1「地域包括ケアの中の中小病院の医療活動」

地域包括ケアは住民が主人公だ という立場では埼玉県幸手市の幸手モデルにまず注目すべきだと思います。

「とねっと」という画期的な地域連携システム、「菜の花」という画期的な在宅医療連携拠点の存在がその特徴です。

ここでは 地域ケア会議も行政的に上から組織されるのでなく、住民が主人公が貫かれています。

地域診断も、地域のわるいところを抉り出すという医学モデルでなく、不断の信頼関係構築のツールだとされています。
幸手モデルから学ぶことを通じて、民医連としては架け橋からプラットフォームへスタイルを発展させる必要があると思っています。

中小病院の医療活動も、ネットワークづくり、プラットフォーム作りが焦点になります

具体的には幸手モデルへの接近ですが、プラットフォームの概念や、それを支える3要素はここに示したようなものだと思います。

中小病院の医療構造は

地域緩和ケア
誤嚥性肺炎
認知症  の重要性に注目しながら

地域連携拠点室と総合診療科を軸にして、
病棟・外来+保健・在宅がロータリー・エンジンのように回ることとイメージされます。

それはただちに病院外の連携につながっていきます。ここが大事です。

Ⅲ 各論-2「地域包括ケアの中の中小病院の医師養成」

ここでは暫定的に「総合診療六つのコア・コンピテンシー」を採用することを提案します。民医連独自の解釈はもちろん必要です。

(その解説)

診療する場の多様性こそが軸で、これは、地域包括ケアの中での中小病院の医療活動の構造と考えたものと一致します。

問題は誰がもっともこの六つのコア・コンピテンシーを身につけ、変わらなければならないかということです。

世界的な趨勢からも先進国で大量のプライマリケア医の流入は見込めません。

そこで、まず求められるのは中高年医師の行動変容です。

(近藤克則氏の読売新聞記事)

これを読むと中高年医師が行動変容 しなくてはならないことがよくわかるのではないでしょうか。

中高年医師が輝いて医学生をひきつけることは可能か

それは可能です。マックウィニーらの「患者中心の医療」などから積極的に
学べば、医学生、研修医、職員全員と付き合うコンピテンシーを獲得することができます。

これは同時に中高年医師のヤブ医者化防止に絶大な効果をもたらします。

しかし、中高年医師のパフォーマンス向上には本人の学習だけではたりません。

働くシステムの改善・・・経営幹部の仕事
モチベーションと体力の維持・・・仲間の仕事
が重要です。そういう職場を作ることが必要です。

では幸手モデルのような地域の連携を作ることは誰がするのか
それは青年医師の課題です。
医師会はベテランの仕事という発想が逆転されなければならないし、それを踏まえて青年医師の研修目標も再構成すべきだと、あえて提案します。

高齢医師の仕事は「老学同盟」の結成です。


終わりに

いろんな県連からの報告をきいておもうのは、民医連の目標は経営的成功ではない、サービス供給事業者としての規模拡大でもない

あくまでプライマリ・ヘルス・ケアの一環としての地域包括ケア発展という国民的運動の促進でなくてはならない
ということです。

それに留意して、ともに21世紀のケアの確立に貢献していきましょう。」

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