日本における「住民中心の地域包括ケア」の実践例を探る
日本における「住民中心の地域包括ケア」の実践例を探る:幸手モデルについて
全日本民医連(min-i-ren) 副会長 野田浩夫(Noda Hiroo)
はじめに
前回に続いて地域包括ケアがテーマであるので、最初に前回のおさらいをしておきたい。
地域包括ケアとはもっとも簡単に表現すれば「医療と介護・福祉の一体化」ということなのだが、日本には政府側VS国民側といってもいいような対立する二つの地域包括ケアがある。
これに対して私たち国民側が思い描く地域包括ケアは健康権の実現を目標にして生活モデルに沿って医療と介護の一体化を図ることである。その担い手は住民自身である。日本国憲法の原則の一つである地方自治の実現の一環とも言え、新自由主義に真っ向から対決するものである。
ここで生活モデルと言うのは2001年のWHO総会で発表された国際機能分類ICFの用語である。ICFでは医学モデルは「障害を個人の問題として捉える立場」、社会モデルは「障害を社会によって作られた問題と捉える立場」として、この二つを弁証法的に統合した立場として生活モデルを定義して自らの立場としている。
この生活モデルを医療と介護の共通の立場にすること、言ってみれば、障害者福祉と医療・介護の合流から私たちの地域包括ケアが生まれたとも言える。
(*「合流」は私がいま民医連運動を考えるときの鍵概念としているもので、アイデアを加藤周一の「雑種文化論」から借りているが、ここではこれ以上触れないことにする。)
そこで今回は、国民側の地域包括ケアの実践が日本のどこにあるのかということを述べたい。政府側の地域包括ケアが強権を持って実施されようとしているのに対して、国民側の地域包括ケアはそれが高く掲げる正義に対する住民と医療・介護・福祉の専門家の支持と信頼以外に推進力はなく妨害ばかりが大きい。したがってその具体的成功例は少ないのが実情だが、決して皆無ではないのである。
埼玉(Saitama)県の幸手(Satte)市と杉戸(Sugito)町、合計して人口10万人の地域で展開されている「地域包括ケア・システム幸手(Satte)モデル」がそういうものとして注目されている。
その中心人物は中野 智紀(Nakano Tomoki)という大学卒業後15年目のまだ若い医師である。筆者は2015年12月19日に初めて中野医師を訪問して、幸手モデルのもつ可能性を深く信じるようになった。そこでその短時間の訪問記録とでも言うべきものを三点に分けて書いてみようと思う。
ただし、正確を期すため中野医師の発言は刊行された彼の論文と普及されている宣伝物の引用に限定し、会話から得た情報は除く。
Ⅰ 地域包括ケアは隣の人を助けたいと思う人を支援するところから始まる。それが住民主体の「地域ケア会議」だ。
ここでは急速な高齢化が生じており(最新の高齢化率21.6%)、かっては栄えた日光街道沿いの町も「シャッター通り」となり、古いコミュニティも機能しなくなっている。ここに全国から注目されている地域包括ケア・システム-幸手モデルが展開されているわけである。その中心になっている中野医師はこの地域唯一の急性期病院である東埼玉総合病院という私立病院に雇用されている勤務医である。
中野医師を訪問して最初に案内されたのは、幸手モデルの象徴のような喫茶店だった。3000世帯5000人が入居し高齢化率40%を超える老朽化した住宅団地の1階にそれはある。その喫茶店の店主が小泉圭司さんという社会企業家であり、幸手を代表するコミュニティ・デザイナーである。
小泉さんは以前スーパーマーケットの管理者だった。そこで気づいたのは店内のベンチで終日を過ごす高齢者がいることだった。その理由が「家にも病院にも居場所がない」ということだというのを知った小泉さんは一念発起してスーパーマーケットを退職して、住宅団地一階の空き店舗で高齢者の居場所となる喫茶店を開業する。しかし、経営はさほどうまくいかず、高齢者の持ち込む相談にもうまく答えられない。悩む彼を救ったのが、幸手市と地元医師会が作る基金が資金を提供し中野医師が運営を委託された「在宅医療-連携-拠点推進室 菜の花(Na-No-Hana)」だった。
「菜の花」の職員である看護師が最初は小泉さんの店に常駐して高齢者の相談にあたった。病院から地域に出てきた常駐型「暮らしの保健室(Kurasi-No-Hokensitu )」のスタートである。そのうち、小泉さんは相談に答えるスキルを身につけ、看護師は定期的にここを巡回すればよくなった。
小泉さんはさらに喫茶店の隣に、高齢者の働ける場として、かつ、その商品が住宅団地の住人の生活を助ける惣菜屋を開店した。また、介護保険の規則では高度障害がある人しか利用できなくなった高齢者用電気4輪車を誰にも安い値段でレンタルする事業も始めた。介護保険の規制のせいで売り上げが落ちて困っていたメーカーも小泉さんに協力し始めた。これで家に閉じこもっていた人が何人も自分で買い物にいけるようになった。
大事なことは小泉さんのように目の前にいる隣人を助けるために何かしたいと思っている人が、地域にはたくさんいて、その多くが手を挙げていないということである。そういう人たちの立ち上がりを「菜の花」が援助することで、「暮らしの保健室」は市内に見る見る増えて、2015年6月には23箇所にもなった。その形態は、喫茶店だけでなく、さまざまである。寺院もあれば、自治会もあるし、住民の健康クラブもある。「暮らしの保健室」のリーダーは「コミュニティ・デザイナー」と呼ばれる。
そして、コミュニティ・デザイナーたちのネットワークが出来上がり、これに行政職その他が加わって、「住民主体の地域ケア会議」が出来上がり、「地域包括ケア・システ-幸手モデル」の真の推進者になっている。
Ⅱ ケアは住民の仕方で。高齢社会や格差社会を自分達の力で乗り越えたという物語を住民が持てるようなやり方で。
「地域包括ケア・システム-幸手モデル」のもうひとつのエンジンは「在宅医療-連携-拠点推進室 菜の花」である。看護師、ソーシャルワーカー、事務員から構成されており、東埼玉総合病院の1階に事務室がある。
これがこの地域の医療と介護を結ぶ役割も果たしている。さらに住民にとって「医療・介護側に向かって開かれた扉、すなわちカウンター・パートナー」となっていることが重要である。
医療と介護がいかに継ぎ目なく連携していたとしても、それだけでは地域住民のそれぞれに対するアクセス困難がなくなるわけではない。
そのためにコミュニティ・デザイナー・「暮らしの保健室」のネットワークと「在宅医療-連携-拠点推進室 菜の花」の協働があるわけだが、 「暮らしの保健室」に住民の誰もが来るわけではない。コミュニティに参加しない「孤独を愛する」住民は相当数いる。
そのため「菜の花」は訪問による「地域診断」に向けた「健康生活アセスメント調査」を通年して幅広く行っている。訪問のメンバーには地域住民が訓練を受けて有償ボランティアとして多数加わっている。訪問を受ける対象は0歳から100歳に及び、高齢者に偏った「暮らしの保健室」での調査と対照的である。
中野医師はFaceBookへの投稿の中で「幸手モデルの地域診断へ向けたアセスメント調査は、日中独居者調査でも、高齢者実態調査でもありません。地域との対話を通じた信頼関係の構築であり、対象地域における地域ケア・システム構築へ向けた、新たな対話の始まりです。」と述べている。
実はこのことがきわめて重要で、「ケアは住民の仕方で。高齢社会や格差社会を自分達の力で乗り越えたという物語を住民が持てるようなやり方で。」というケアの原則を確かなものにしてゆくのである。
ケアの原則は、ケアの正議論として定評のあるエヴァ・フェダー・キティEva Feder Kitty「愛の労働-あるいは依存とケアの正義論」白澤社2008年の第6章「私のやり方じゃなくて、あなたのやり方でやればいい。セーシャ。ゆっくりとね」に詳しく述べられている。そこでは、ケアされる人の「その人らしさ」がその人に固有のものでなく、ケアされる人とケアする人の間の人間的交渉の中で成立するそれぞれの「分人」であるとして説得的に展開されるのである。
Ⅲ 東日本大震災被災地の地域再生を振り返ることが、そのまま、気候変動による大災害対策と地域包括ケア対策のモデルになる。
中野医師の発言の中で印象的なのは、自らの仕事を2011.3.11の東日本大震災・福島原発メルトダウンと結びつけていることである。
一つは杉戸町が日本で最初に実施した、第1原発立地地域である福島(Hukushima)県富岡(Tomioka)町からの避難者への健康診断に関する言及である。主観的な健康度を問うような問診だけではみんな「大丈夫」と答えていたのに、実際はほとんど正常者がいなかったという衝撃が語られている。大災害によって自らの苦痛を語ることもできないほどまでに住民は無力化するという認識から出発しなければならないということである。専門家がどんな犠牲を払っても地域に出て行かなくてはならない場面で存在することがこれから分かる。
そのような視点から、大災害からの地域再生と地域包括ケア構築の方法論が一つになっていく。
産業革命以前に比べてすでに地球の気温は0.8度上がっている。どういう対策をとってもしばらくは気象災害が大型化することはさけられないが、災害、高齢化、格差による地域コミュニティの破壊を同じ根を持つものとして考え行動することは今後きわめて重要になるだろう。
参考文献
①中野智樹:Lecture and Discussion 埼玉県幸手市における住民を主体にした対話と支えあいによるLiving in placeの実現―地域包括ケアシステム幸手モデルより,省察:大都市の総合診療 ,藤沼康樹(編集),カイ書林,2015,p72.
②中野智樹:ヘルスコミュニティデザインの主役はだれか,医療の質・安全学会誌Vol.10No1(2015),p72
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