映画 「母と暮らせば」山田洋次監督 2015
山田洋次監督の「母と暮らせば」の政治的訴えの真っ直ぐさは間違いないが、映画の作りはそれ以外にも多面的多層的だったので、それを違和感や構成の濁りと感じた人も多いようだ。
それはやはり面白さと感じた方がよい。
緻密さも極まった細部の描写は言うまでもない。
それ以外に僕が特に印象に残ったのは、黒木華を撮る性的な視点だった。
カメラを低く構えた小津安二郎監督の視点についてそれを指摘する人もあるが、それに似ている。
ブラウス姿で木戸から入ってくるところ、汗を光らせながらオルガンを弾くところ、靴を脱いで上がり框から上がるところ、小豆を洗う後姿などは何を意図して写しているか明らかである。
その意味では、全体が古い因習を破って開いていく女性と、それが破れないままに閉じて行く女性の残酷な交差の物語とも言える。後者から「嫉妬」という言葉が終わり近くに発せられるのも自然である。
それに加えて、「父と暮らせば」の娘が同じく最後に恋人と結ばれつつなお原爆症発症の暗い予感が濃いのに対して、こちらの場合はその可能性は暗示もされておらず、その後について想像が働きにくいのは、見終わっての余韻を浅くしているかもしれない。「丹波哲郎の大霊界」に似た終わりは別にしても、である。
また、1967年のべ平連機関紙「声なき声」に掲載された杉山龍丸の文章「二つの悲しみ」後半のエピソードの採用は、子役が達者すぎて、狙いどおりの効果を得ていないのではないか。
*杉山龍丸という人で、作家夢野久作の子供で、後にインドでの植林で有名になった人。「ふたつの悲しみ」はネットで検索すれば容易に探し出せる。
http://tanizokolion.fc2web.com/futatunokanasimi.html
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